第39話 星の卵焼き
オアシスは行商人でにぎわっていた。水塩を積んだ隊商、香辛料を並べる商人、旅の踊り子を連れた芸人一座まで。喧騒と砂塵に包まれて、小さな祭りだ。
「にぎやかだねぇ! あたし、こういうとこ好きだわ」
アリシアは目を輝かせ、屋台の匂いに鼻をひくひくさせる。早速食堂に足が向く。ユキチは「こんな暑いのに食堂かよ」とぼやきつつも、結局ついていく。アリシアの目的はもちろん"星の卵焼き"。
「これこれ! みんなが噂してたやつ! 星の卵焼き!!」
壁の木札に書かれたその文字を見つけると、アリシアは勢いよく席を確保する。星の卵――砂漠にだけ棲むステラバードの卵で作る料理。卵の殻の斑点が夜空の星座に似ていることからそう呼ばれていた。値段は高いが、旅人の間では有名な逸品だ。
「ふふん、やっと巡り会えたわね。どんとこい!」
目をぎらつかせるアリシアを、ギルが苦笑しながらなだめる。
「アリシアの食に対する執念は、もはや信仰だな」
ただ、アリシアの胸の奥には、別の思いもあった。――estella ovun aeth raelum。巡礼の途上で刻印を授かった時に聞こえた言葉。この卵焼きとは関係ない……はず。だが、"星の卵"という響きが頭から離れないのだ。
「まさか、屋台の卵焼きが神託の指し示すものとか……そんなわけないわよね」
小声でつぶやくアリシアに、ユキチが突っ込む。
「食欲と神託を一緒くたにすんなよ」
テーブルに運ばれてくる、ふわりと香ばしい卵焼き。その名前からして星の形で出てくるのかと思ったが、見た目は普通の長方形。黄金色の生地に、ところどころ軽くきらめくようなおこげが見える。その上には薄く削られたチーズが乗って次第に溶けていく。アリシアはごくりと喉を鳴らした――。
「ほう……これが……いや、しかし……」
意味の分からない言葉を並べながら、フォークを手に取る。卵焼きはとても柔らかく、スッと一口大に切れる。口を大きく開けたアリシアを眺めるユキチの視界に、警告マークが浮かぶ。
「……ん? ちょっと待てアリシア。その料理、毒が入ってるぞ」
「えぇ? そんな馬鹿な」
口に運びかけていたアリシアの手が止まる。
「おい、料理長! これはどういうことだ」
ユキチが卓を叩いて立ち上がる。
「お、お客様、どうなさいました?」
料理長は額に汗を浮かべ、視線を逸らした。
「おれたちの料理に毒を混ぜてるだろう」
ユキチの低い声に、店内の空気が凍る。
「ひ、ひどい言いがかりですよ。そんなこと、あるわけないじゃないですか……」
料理長は苦笑しながら両手を広げるが、緊張は消えない。
「じゃあお前が食ってみろ」
ユキチが卵焼きの皿を差し出す。
「そ、それは……」
料理長が青ざめる。
「くそっ、ばれちまったら仕方がない!」
叫んだ瞬間、厨房の奥から短剣を持った男たちが飛び出してきた。
「みんな、やっちまうぞ!」
ガタッ――! その号令に呼応するように、店内の客たちが一斉に立ち上がる。談笑していた商人も、物乞い風の旅人も、みな懐から武器を抜いた。
「なっ……ここ、食堂じゃなくて盗賊のアジトだったのか!」
ユキチは臨戦態勢を取る。隣で見ていたギルも拳を構え、ルイスが腰の剣を抜く。
「アリシア、伏せろ!」
ユキチが飛びかかってきた男をナイフで受け止める。皿が宙を舞う。
「あぁ、星の卵焼き!!」
「あきらめろ、アリシア。あとでまた買ってやるから」
ユキチがアリシアの頭を押さえつける。
「うう……ひどい、ひどすぎる……!」
床に転がった皿を名残惜しそうに、アリシアは仕方なく身を低くする。
「それにしても、おれたち、何か恨まれるようなことしたか?」
襲いかかってくる男たちを柄で峰打ちにしながら、ユキチがぼやいた。
「何をしらばっくれてやがる!」
怒声を張り上げたのは、髭面の傭兵風の男だった。目は血走り、睨みつけてくる。
「おれの家族を返しやがれ、このゴブリンが!」
「……何の話だよ」
一瞬、ユキチも言葉に詰まるが、そっけなく切り捨てる。
「とぼけるつもりか! お前らが洞窟に何人も人間を連れ去ってるのを、俺たちが気付かないとでも思っていたのか!」
男の怒りは本物だ。その声に、周りの敵たちの表情も一層険しくなる。
「おじさんたち、絶対勘違いしてるって。一旦落ち着いて!」
アリシアが床に伏せながら説得するが、その声は届いていない。
「死ね! ゴブリン!」
ユキチの後ろから襲ってくる男を、ルイスの盾がはじき返す。そして、態勢が崩れたところにギルの肘がみぞおちに入り、男は倒れる。
「全く、話を聞けっていうのに!」
ギルがその勢いで、奥から走ってくる男たちを回し蹴りで二人同時に壁に叩きつける。バッタバッタと倒れていく敵。アリシアはゴキブリのように壁際に退避。ラムネ、ルメールと固まって声援を送る。
「いけー! ユキチ、右から来てるわ!」
「ぷるぷる!」
「キュイ―!」
「まったく……気楽なもんだぜ」
ユキチはため息をつきながらも、次の敵を軽く捌く。
「くそっ……なんでお前ら人間の癖に、ゴブリンの味方をするんだよ!」
髭面の男がギルに食って掛かる。
「なんでもなにも――おれの旅仲間だからな」
ギルは、構えたまま相手をまっすぐ見据える。
「おまえらこそ、なんで襲ってくるんだ。私たちに戦いの意思はない」
「旅の……仲間?」
男が口ごもる。顔に動揺が浮かんだ。
「じゃあ、お前らはあの洞窟のゴブリンとは関係ないのか?」
「すまないが、多分ゴブリン違いだ」
横からユキチが会話に加わる。
「おれはテイムされたゴブリンだが、そいつらはおれみたいに話をしたりできるのか?」
「し、しない――気がする……」
男の顔から一気に血の気が引いた。次の瞬間、あたりの空気が一変した。殺気が、潮が引くように一斉に消えていく。襲ってきた男たちは顔を見合わせ、戸惑いの色を浮かべていた。
「おい……じゃあ、俺たち……」
「……ま、まさか人違い?」
ざわざわと囁き声が広がる。だが時すでに遅し。店内は、家具もひっくり返って、たくさんの犠牲者。
「……」「…………」「……………………」
沈黙。
「……どうすんだよこれ」
ユキチが額を押さえる。
「まぁ、正当防衛ってやつね。ドンマイ!」
アリシアが親指を立てる。ギルが肩をすくめて、ため息をつく。
「まあ……誤解は解けたんだったら、ここから建設的に話し合えれば、それでいいか」
「手加減したから、みんなけがはしてないはずだけど……」
ルイスも床に転がった男たちを見まわす。その時――。奥の扉がきしむ音を立てて開き、さらに人影が現れた。
「……おいおい、まだやろうってのか」
ルイスが剣に手をかける。
「ホント、スミマセーン!」
奥の扉から、妙に甲高い声が響いた。現れたのは、スーツ姿の浅黒い肌の男。両手を大げさに挙げ、ひょこひょこと歩み出てくる。
「ワタシ、戦う意思はアリマセン!」
妙な片言の言葉がやけに耳につく。
「……とりあえず敵ではないのかな」
アリシアは不安が拭えない。
「怪しいにもほどがあるだろ」
ルイスが剣に手をかけたまま低く呟く。だが男は怯む様子もなく、にっこり笑った。
「ドウモ、行き違いがアッタヨウデス。ミンナ、オチツケ」
その声に呼応するように、床に転がっていたはずの連中が次々とむくりと起き上がる。
「あだだ……背中がいてぇ」
「うぅ……おれ、生きてる?」
呻き声は聞こえるが、みんな大丈夫そう。
「ミナサン、コノ人タチ、悪イ人じゃナサソウデス。だって……ほら、ミンナ、生きてる」
「……もうちょっと早く助け船が欲しかったな」
ユキチがぼやく。
「……いや、うまくて加減できたからこうなったのかもよ」
アリシアがぼそりと突っ込む。ルメールがほっと息をつき、アリシアのお腹に引っ付いて魔力を食べだす。「コプコプ」その雰囲気で、ようやく空気が和らぐ。
「ワタシ、名前シンバと言います」
片言の男は胸に手を当て、深々とお辞儀した。
「セレナ=ミラージュの商売、ダイタイ仕切ってマス。さっきはゴメンナサイ」
「商売を仕切ってる……つまりボスってこと?」
アリシアが首を傾げると、シンバはにっこり笑ってうなずく。
「最近ゴブリンが街を荒らすので、ミンナ、殺気立ってマス。食品や装飾品ダケならまだいいノデスガ……中には家族をサラワレタ人もイテ……」
その言葉に、髭面の男が唇を噛みしめる。
「……だから、あんたを見て頭に血が上ったんだ」
「なるほどな」
ユキチは苦笑した。
「おれもこの格好でいきなり街に入って、ぶしつけだったかもな」
「格好って……そのまんまゴブリンでしょ」
アリシアはいまいちユキチの言っていることが分からない。
「まぁな。でも、俺もしばらく正体を隠すこと忘れてたからさ。この勘違いされる感覚、久しぶりだな」
ユキチの目が遠くを見ていた。彼の脳裏に浮かんでいたのは――一人で最初に入った街。住民に見つかった瞬間に大騒ぎになり、石を投げられ、兵士に追われたあの日のこと。あの時は命からがら逃げ出すしかなかった。
「……ゴブリンが人間の街に入るってのは、面倒ごとになるんだよ」
ユキチがぼやくと、アリシアは少し悲しい顔になる。
「でも、アナタ……手加減シテくれた。ミンナ、まだ生きてマス。突然襲い掛カッテ、本当にゴメンナサイ」
再び頭を下げるシンバ。
「誤解が解けたんであれば、それでいいよ。何があったのか、落ち着いて話を聞かせてくれないか」
ユキチが提案する。
「……それじゃ、まずは“星の卵”について、から話してもらいましょうか」
アリシアの目がきらりと光る。
「ちげーだろ。洞窟のゴブリンって言ってたよな、そいつらの駆除の話だよ」
「お、ユキチさん真面目モードだね」
アリシアがにやにやと肘でつつく。
「そういうんじゃねぇよ」
ユキチはむっとした顔をする。
「ただ、勘違いされたままだと悔しいじゃん。ゴブリンっていうだけで、ひとくくりにされてさ」
その言葉に、場の空気が少ししんとした。シンバも腕を組んでうなずく。
「……ソレハ、確かに。悪いヤツと善いヤツ、一緒にするのは失礼デスネ」
ルイスが静かに口を開いた。
「わかるよ。わたしたちドラゴニュートも、“竜の血を引くから危険だ”って偏見を持たれることがある。だからユキチの気持ちはよくわかるね」
「おれも神父だからって、勝手に聖人君子扱いさるしな」
ギルが苦笑して肩をすくめる。
「そういう意味じゃ、あたしも同じよ!」
アリシアが手を挙げる。
「お酒飲んでると、シスターが酒飲んでるって変なおじさんによく絡まれるわ!」
「いや、それは着替えてから酒のめばいいんじゃねぇの?」
ユキチが即座に突っ込んで、みんなの笑いが広がる。
「まずはこいつに星の卵焼きを食わせてやってくれ。毒の入ってないやつな」
ユキチがアリシアを指す。
「そ、そんな言い方しなくてもいいじゃない!」
アリシアがむくれる。
「オルトリア大陸のノイエ=ヴェルンで噂を聞いてから、ずっと楽しみにしてたんだよ。こいつ」
ユキチが笑って話を続けると、アリシアは照れ隠しのように咳払いした。
「モチロン。ワタシにオゴラセテください」
シンバは笑顔を浮かべ、片言ながらも誠意のこもった口調で応じた。彼は周りの男たちに目配せすると、呻きながら立ち上がった彼らを指示して店内を片付けさせる。そしてアリシアたちを改めて席に案内し、厨房へと声を張った。
「星の卵焼き、4ツ! 大盛デ!」
「6個で!」
アリシアが遠慮なく訂正する。苦笑いするシンバ。ユキチの隣に腰を下ろし、真剣な顔に戻って話し始める。
「数カ月前から、このオアシスの東の岩場の洞窟に、ゴブリンが発生するヨウになったのデス。所詮ゴブリン、とミンナ侮っていマシタ。しかしヤツらは素早く、しかも連携ヲ取っテ襲撃シテクル。マルデ軍隊のヨウニ」
「軍隊、ねぇ……ただの野良ゴブリンじゃないのかもな」
ギルの表情が険しくなる。
「対抗シヨウにモ、腕利きの冒険者がイナクテ。ダカラ困り果ててイタのデス」
「そこで俺を見て、頭に血が上ったってわけか」
ユキチが納得する。
「その通りデス。ゴメンナサイ」
シンバはぺこりと頭を下げる。
「謝罪は十分してもらったし、もういいよ」
ユキチがそう言ったとき、厨房から芳しい香りが漂ってきた。
「お待たせしました! 星の卵焼き、特盛です!」
黄金色に焼き上がったふわふわの卵が、テーブルに運ばれる。アリシアの目が輝いた。
「きたぁぁぁぁ!!」
「……こんな状況でもお前、食欲だけはブレないな」
ユキチがため息をついた。一応確認するが、今度は安全そうだ。
「こ、こんどこそ……食べていい? いただきます」
アリシアは配膳も待たずに、目を輝かせてフォークを突き刺す。ふわふわと弾む断面から、湯気とともに芳ばしい香りが広がった。
「なんでこんなにふわふわなのかしら……あっ!」
口に入れた瞬間、アリシアは顔を上げた。
「わたし、分かった! あの言葉はね――このおいしい卵焼きを作るお店が、ゴブリンに襲われてピンチだって教えてたんだわ!」
「……ずいぶん下々の生活に詳しい神様だな」
ユキチが冷めた目で見る。
「神も、この卵焼きが好きなのかもしれませんね」
ギルは適当なことを言いながら、ひと口ぱくり。
「これは確かに絶品だな」
「ほんとにおいしい……!」
ルイスもほくほく顔で笑う。
「ぷるぷる」ラムネは小さく震え、テーブルの隅でルメールが「キュイ―!」と子鳥みたいな声をあげて喜びながら食べている。
「それで話が済むなら、一つ目のお告げは何とかなりそうだな。……まあ、多分違うと思うけど」
ユキチもフォークを動かしつつ、適当にあいづちを打つ。
「でもさ」
アリシアは真剣な顔で訴える。
「こんなおいしい卵焼きを奪うなんて許せないわよ!」
「奪われているのは卵焼きではなくて、街の人だけどな」
ユキチが修正する。
「この店を狙う悪いゴブリンは、わたしたちが退治する」
「おう! それには賛成だ」
他のメンバーもみんな頷く。こうして――"星の卵焼き"を守るために。アリシアたちはゴブリン退治のため、洞窟へ向かうことを決意するのだった。




