第35話 竜神
「でもさ、この封竜鏡の効果があるうちに逆鱗に一撃は打てないよね」
両手をぷるぷるさせる族長を見ながらアリシアが言う。
「まぁ、それができれば最初からやっているのだが、なんとも角度が悪いな。ほら、よく見るとあごを引いているだろう。あれでは逆鱗のあるのどの部分が首の周りのうろこに覆われてしまっている」
ギルが唸るように言った。確かに、ちょうどそうなのか、鏡の効果でそうなのかわからないが、よく見ると竜の顎引かれていて、喉の奥――逆鱗は隠れてしまっている。
「とはいえ、動けない今のうちに準備できることをして、鏡の拘束が切れる瞬間に先制攻撃を決める。竜神が体制を崩して喉を見せた時に、おれとラムネが一撃を加える。それしかあるまい」
「――了解。じゃ、おれは持ち場につくぜ」
一番危険なオトリ役のユキチはにやりと笑い、まだ動けない竜神の身体を登っていく。
「あたしは――竜神様の魔法防壁を、竜の加護で何とかできないか頑張ってみる」
アリシアが息を整え、竜の加護を意識する。彼女の周りを覆う加護の膜が竜神にまで広がる。そして、その前に立つのはルイス。
「アリシア、おまえはわたしが守る。しっかり頼んだよ」
ルイスは盾をかざし、守備に専念する姿勢を見せる。もう身体は震えていない。
「も……もう本当に手を下ろしてしまうぞい」
30分頑張った族長の手が静かに下ろされる。
「……あとは、任せたぞ」
倒れこむ族長を抱きかかえる大司教。封竜鏡は役目を終えたと言わんばかりに灰色に濁る。そして――
「グゥゥゥオオオオォォッ!」
咆哮とともに、竜神が再び暴れ出した。竜神の頭の上に乗っていたユキチは、竜神が動き出すとナイフで眼を狙い、竜神を挑発する。
竜神がユキチに気を取られている隙に、ギルはそっと攻撃態勢を整える。一瞬のチャンスも見逃すことはできない。竜の爪がユキチを襲い、空気を裂く。紙一重でかわしながらユキチは笑う。
「……っとと、あっぶねぇ! ほらほら、鬼さんこちらっと!」
必死に回避を続ける中、ふとアゴの奥に他のうろことは違う煌めきを見つけた。
「お、これが逆鱗ってやつか? ギル! 逆鱗見つけたぞ。結構アゴの奥の方だぁ!」
竜神にきづかれるわけにはいかない。ギルムネは黙ってうなずく。あごの手前であれば攻撃もしやすいんだが、さすが竜。金的などの弱点が丸出しの人間とは違う。あごの奥に攻撃を当てるには、なんとかあごをあげさせないといけない。――その瞬間、アリシアが叫んだ。
「よし! つながった!」
確かに、竜の加護の光がアリシアと竜神を包み込んでいる。そして早速呪文を唱えた。
「行くわよ!――悶絶!筋肉緊張地獄!」
「グゥゥゥアアアァァッ!」
無事、防御は突破したようだ。竜神の動きが鈍くなる。
「まだまだ行くわよ!――壮絶!小指致命傷!」
ぱっと見、竜神に変化はない。だがおそらく魔法は効いているはず。
「みんな! 今なら、足の小指への攻撃が全部クリティカルになるわ! あの膝っぽい部分がかかとってことだから……小指の当たり判定は広いわよ!」
ちゃんと大司教の小ネタを聞いていたアリシア。
「よくやった! でも、おれは厳しいかも……」
ユキチは額に汗を浮かべながら、爪をかわしている。
「任せて!――ここは私がやる!」
ルイスが大きく踏み込み、盾を大上段に振り上げる。ルイスの盾は、その体躯に合わせて大ぶりのため、ちょっとした鈍器としても使えるようになっているのだ。アリシアの呪文で脚の動きが鈍くなっているうえ、ユキチがオトリになってくれている。――まさに好機は今!
「せいッ!」
振りかぶった盾を、勢いをつけて竜神の巨大な足のつま先へ叩き込む! 盾の尖った部分が、ウロコが生えていない竜神の小指の爪の根元に刺さる。
「グアアアアァァァッ!!」
地鳴りのような咆哮が響いた。竜神が脚を引きずりながらよろめき、爪が大地を裂く。だがもうルイスは竜神から距離を置いていた。
「うっわ……あれは……痛い……」
目の前で起こった攻撃に、アリシアユキチは思わず目をつぶり、まるで自分の小指が痛くなったような幻覚さえ感じた。
「――ギル! 今だ!」
ユキチが叫ぶ。ルイスの一撃を食らった竜神は、崩したバランスを取り直そうと前につんのめる。巨体が揺れ、洞窟が波打つように震えた。倒れずにかろうじて踏みとどまりはしたが、それはまさしくギルの攻撃がしやすい位置だった。しかも、ちょうどよく顔も上がっている。頭の上にいるユキチから直視することはできないが、アゴの下の逆鱗ははっきり見えてるはず。
「――竜神様。すまない」
目の前に逆鱗がある。だが、ギルは油断しない。気配を消したまま竜神の側面から静かに近づくと、小さく呟いた。その目には畏敬と覚悟が宿っている。
「おれの力量では――あなた相手に、手加減はできない」
巨躯の下に潜り込み、ギルムネが勢いよく地面を踏みしめる。ゴリッ、と嫌な音が響いた。ルイスが狙ったのとは反対側、竜神のもう片方の脚――その小指をギルの足が思い切り踏みつける。
「合掌――!」
ギルムネが両手を胸の前で合わせ、お祈りのポーズをとる。
「螺旋撃ッ!!」
次の瞬間、ギルムネの肘から先が凄まじい速度で回転を始めた。光をまとった渦となり、竜神の顎へと突き進む。
「破ァ!!」
ドリルが逆鱗をかすめ――その脇の隙間を正確に捉える。
「グオオオオオオオオォォォッ!!!」
竜神の絶叫が響き、辺りに衝撃と竜神の血しぶきが舞い散る。
「うぉお!?」
衝撃波で吹き飛ばされるも、器用に受け身を取るユキチ。
「きゃっ!?」
足元ではアリシアが、ルイスに守られつつも、衝撃の余波でしりもちをつく。その間もギルムネの回転する肘と拳はなおも竜神の喉元へと食い込み、さらに深くへと突き刺さる。血しぶきが噴き出し、紅の雨となってあたりに降り注ぐ。
喉を貫かれながらも暴れる竜神の爪がギルムネを襲う。ギルムネの胴体部の岩石が剥がれ、ギルがむき出しになる。そこに竜神の爪が迫るが、間一髪――ラムネが他の岩をずらして竜神の攻撃をしのいだ。そしてついに竜神の両手がだらんと下がる。
「もうやめて!」
アリシアは叫ぶ。だが、ギルムネのドリルは止まらない。よくみると黒い霧が竜神の傷跡からにじみ出て、ギルムネの周りを包み混み始めている。ギルもその異常に気付いたものの、成す術がない。
「む……魔王の影がおれたちに乗り移ろうとしている――?」
ギルムネのコントロールができない。それは魔王の影によるものか、はたまたゴーレムコアのトラブルか。それとも竜の血を浴びたことによる影響なのかもしれない。ともあれ、まずはラムネへの魔力供給を一旦カット――できない。
「これはまずいな――ラムネ、止められないか?」
お尻の下がぷるぷるふるえる。ダメそうだ。このままでは魔力を吸われ続け、魔力切れで殺される。ギルは奥歯を噛みしめる。
「大丈夫――あたしが何とかする!」
アリシアの手の甲の刻印が光っている。彼女は呪文を唱え始めた。
「ズ=ッハグ・ネ゛ェル=トクァ、ヒ゜シ・ュル=ァォ、グ、グルゥヴ=ァ=ル=ググル……」
その時、血まみれの竜神が、顔をアリシアの方に向け、口を開く。ギルムネのドリルはのどに突き刺さったまま、まだ回転をしているが、お構いなしだ。そして竜神の喉の奥からは光が漏れ始める。
(まさか……ドラゴンブレス――!)
アリシアは身構える。詠唱中は動けない。それに洞窟でブレスを撃たれたら、どっちにしろ避けようがない。
だが、アリシアがあきらめるよりも早く、アリシアの周りの竜の加護が反応した。刻印の光に共鳴するように竜の加護が輝きを強め、アリシアもろとも竜神を包み込む。竜神は震えながらも、口を閉じていく。
(こんなになるまで戦わせようとするなんて……許せない!)
アリシアはやるせない怒りを込めて詠唱を終える。
「コォ・ナラ゛=ピシィ=ラフ、クァ=ァム・ルゥゥゥ・ズバグ、エ=シャグ=ク・チョワ=ンォ……」
すさまじい光の束が、アリシアの右手から放たれる。そしてそれは、竜神とギルムネとその周りの魔王の影を丸ごと飲み込む。
「ギイイイイィィィィッ!!!」
洞窟の中に断末魔が響き渡る。それは竜神によるものか、魔王の影によるものか。ギルでなければよいが。――そして洞窟を包んでいた黒い霧は晴れ、竜の住処に静寂が戻る。床には横たわる竜神。周りはその血で真っ赤に染まっている。そして崩れるギルムネ。
「ギル!」
アシリアが駆け寄ると、ゴーレムの隙間からギルとラムネが顔を出す。
「――死ぬかと思ったぜ」
ギルは全身ボロボロだ。ぷるぷる。ラムネも心なしか小さくなった気がする。ルイスが岩をどかして出てくるのを手伝う。
「危なかった。もうちょっとでまた魔王の影にいいようにされるところだった」
ギルはゴーレムコアをギルムネから外しながらつぶやく。その脇で血まみれになった竜神がうごめく。まだかろうじて息はあるようだ。アゴの下の穴から荒い呼吸音が漏れる。慌てて回復魔法をかけるアリシアと大司教。ギルもわずかばかり残った魔力で手伝う。
「竜神様……ごめんなさい。あなたを止めるにはこうするしかなかった」
涙するアリシアに、加護を通じて竜神の声が聞こえる。
『気にするな、人の子よ。われはどうせもう寿命だったのだ。最後に魔のものとしてではなく、竜として生を終えられること、感謝する。――そして我が子を、頼んだぞ』
その時、洞窟の奥から族長の声が聞こえる。
「竜神様、アリシア様!……卵が!」
族長が血に濡れた床を踏みしめながら駆けてくる。震える指先が指し示すのは、竜神の広間のさらに奥――卵が収められている台座。そこには、光を帯びた竜の卵が横たわっていた。そこにひびが入る。
『おお――我が子の誕生に立ち会えるとは。Divinus, huic puero virtutem superandi tribue et benedictionem.』
竜神は血を吐きつつも、新たなる生命の誕生に笑顔を見せる。卵は中から割れ、真っ白な竜の赤ちゃんが顔をのぞかせる。まだ目は開いていない。
「これが……竜神様の子……」
アリシアは思わず息を呑み、口に手を当てる。
――キュイ――
竜の子があくびをする。
「か……かわいい……」
アリシアもルイスも目がキラキラする。そして族長と大司教は感激に涙している。
『その子の名前はルメール。前から決めていたんだ。それにしても白竜とはな。父親似のやんちゃな子になりそうだ。――アリシア、あとは頼んだぞ』
竜神は静かに血だまりに首を下ろすと目を閉じる。
「竜神様――!」
族長が竜神に駆け寄る。
「勝手にお願いして、自分はいなくなっちゃうなんて……責任重大じゃない」
アリシアは涙を拭き、少し無理に笑顔を作った。
「みんな聞いて、この子の名前はルメール。竜神様が遺された希望の子よ。そしてなぜかあたしが保護者に指名されたみたい。とはいえ、あたし一人では世話できるものでもないから、みんな協力してもらえないかしら?」
ユキチをはじめ仲間たちは反対する理由がない。みんな笑って頷くと子竜に駆け寄った。子竜、かわいいな。
「竜神様の遺志ですから、もちろん喜んで!」族長たちも、もろ手をあげて協力してくれることになった。こうして――アリシアたちは竜神に別れを告げ、新たな命を託されたのだった。




