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追放シスターと放浪ゴブリンのもぐもぐ見聞録  作者: 風上カラス
第3章 イグナリアの竜神

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第29話 ラグライド

「あの山が、竜神の住む山――グラナガ火山だ」


 ルイスの指差す方向に、じわりと陽炎が揺れる。視線の奥(結構遠く)砂色の世界の彼方に(目を凝らしてみると)、黒い影が浮かび上がっていた(確かに見える)。 


「えぇ?」


 アリシアが目を細めるが、よくわからない。しかしそれは、距離を詰めるごとに(だんだん)、ゆっくりと大きくなっていく(よく見えるようになる)。数時間後には、地平線の縁から突き出したかのように存在感が際立ってくる(視界に入ってくる)。周囲には木一本なく、遮るものとてないため、その輪郭は恐ろしいほど鮮明だった。山肌は漆黒で、ところどころ赤茶けた岩肌が陽光を反射してきらめく。山頂付近からは、もくもくと濃い煙が絶え間なく立ちのぼり、風に煽られて渦を巻き、形を変えながら空へと溶けていく。時折、煙の奥から「ゴウッ」と地鳴りのような音が届き、熱気すら錯覚させる。その威容を前に、ユキチは小さく息を吐いた。


「……なんか近そうで遠いな。なかなかふもとが見えないんだが」


 アリシアは


「へへ、グラナガ山はじらし上手~♪」


 なんて歌いはじめる。やがて、アリシアの歌が3番のサビに入った(聞くに堪えない)あたりで、とうとう砂色の地平に、低く連なる建物の影と、ひらひらと舞う色鮮やかな布が見え始めた。


 ――そしてそこから走ること1時間。


「ようこそ、ラグライドへ」


 車が停まるや否や、ルイスが軽やかに降り立ち、背筋を伸ばして恭しく一礼した。日はだいぶ傾いてきたが、まだ沈んではいない。街中からは人々の声と、太鼓のような低い(楽しそうな賑わいの)音が風に乗って届く。


「まずは族長に挨拶に行っていいかな。卵の奪還を報告させてほしい」


「もちろん。あたしたちもしばらく滞在するだろうから、一緒に挨拶させてもらえるとうれしいわ」


 街の中は、あちらこちらから白い蒸気がもくもくと立ちのぼっていた。まるで町全体が大きな蒸し器の中にあるようで、硫黄の匂いと湿った熱気が肌にまとわりつく。石畳の隙間から「シュウゥ」と音を立てて湯気が吹き出し、通り沿いの小屋には竹筒を伝って熱水が流れている。


「なにあれ?」


 アリシアが目を丸くして指差す。


「地面から噴き出る熱をにがしてるんだよ」


 ルイスが説明する。


「え、じゃあ……あそこに書いてある、温泉まんじゅう? 温泉たまご? ってのは?」


「その名の通りさ。噴き出る熱を使ってまんじゅうや卵を蒸してるんだ。おいしいぞ」


 そんな二人のやり取りに、通りの露店の老婆がにこやかに笑いかけてきた。籠の中には、確かにふかしたてのまんじゅうが湯気を立てている(ほかほかでおいしそう)。アリシアの目が一瞬きらりと輝いたが、ユキチに促されて(お尻を蹴られて)彼女は名残惜しそうに歩みを進めた(あとで絶対食べるんだ)


 やがて一行は、広場の中央にそびえる石造りの(なんだか立派な)建物の前にたどりつく。入口には赤く染められた布が垂らされ、そこに刻まれた竜っぽい紋章がゆらめいていた。中に入ると、族長と思しき壮年の(ドラゴニュート)が立ち上がり、ルイスを出迎える。


「おお! 良く帰ってきたな。ルイスよ」


 その声は重くも温かいものだった。


「竜神様の卵を取り返すのに時間がかかってしまい、申し訳ありません。ここに無事、仕事を終えて帰ってきました」


 ルイスが膝をつき、竜の卵を差し出す。


「おお確かに! お勤め大変ご苦労であった。そして、そちらの方々は……」


 族長はアリシアたちに視線を巡らせる。


「この方たちは、巡礼者アリシア殿とその一行です。アーチヘイブンからここまでの旅で一緒になりました」


「おお! 巡礼者の方か! ルイスとの出会いも、何かのめぐりあわせ。――歓迎しますぞ」


 彼は両手を広げ、背後に控える従者に合図を送った。


「ところで、みなさまは宿はまだとられておらぬかな?――差し支えなければ、赤龍館の部屋を手配しておきましょう、まずは旅の疲れを癒してくるとよい」


 その言葉に、アリシアの口元がぱっと緩んだ。


「やった! 噂の温泉に入れるかな? あと温泉まんじゅうと温泉たまごも」


 ユキチが呆れ顔で


「……おまえ、もう頭は温泉だらけだな」


 とぼやく。族長の好意に甘える一行。宿は街はずれにあるため、ルイスに先導されながらぞろぞろと街の通りを抜けていく。あたりはすっかり夕暮れで、蒸気の白い靄が街灯の光を滲ませ、異国めいた雰囲気を醸し出していた。


「ほら、あそこがルベリオ大神殿」


 ルイスが手を伸ばして示す。指し示す先にあったのは、こぢんまりとした石造りの建物だった。入り口の上に教会の紋章が彫られているものの、堂々たる神殿を想像していたアリシアは思わず口を尖らせた(がっかりした)


「大神殿ってわりに小さいわね」


 なかなか失礼なことを言うシスターである。


「この辺、地震が時々あるから、高い建物を建てるのは禁止されてるんだ」


 ルイスは肩をすくめる。


「数十年前にはでっかいのを作ってたみたいだけど、何回も崩れて、だんだんあきらめて平らな建物になったんだよ」


「へー。なるほどね。建物に歴史ありだ。ま、人も建物も、見た目より中身よね」


 アリシアは腕を組んでいかにもとうなずく(いいことを言った気分)


「今日は遅いから、明日顔出そっと」


 さらに進むと、今度はにぎやかな通りに出る。蒸気の白に、香ばしい匂いと人々の声が混じり合い、夜の活気が漂っていた。


「で、これがこの辺で一番の商店街。そして、ここが――街一番のレストラン」


 ルイスが商店街でひときわ目立つ建物を指さす。


「おおー!」


 アリシアとユキチが同時に声を上げる。外観は豪華で、赤と金の布が飾られ、店先からは楽団の音色まで漏れ聞こえてきた。そして、ルイスはさらりと続ける。


「んでもって、あたしンち」


「おおー?」


 二人(アリシアとユキチ)は今度は別の意味で驚きの声を上げた。


 そのまま通り過ぎよう(宿に向かおう)とするルイスを引き留め、レストランに押し入るアリシア。


「ほら、ルイス、挨拶するよ」


 アリシアが背中を押す。


「いいよあとで」


 ルイスは気恥ずかしそうに手を振る。


「だめだめ、こういうのは最初にきっちりしないと」


 アリシアは強引にルイスを引っ張る。


「こんにちはー!」


 その瞬間、中から低い声(イケボ)が響いた。


「ごめんねー。今はまだ準備中なんだ」


 そこに立っていたのは、開店準備をしている中年の男性(ドラゴニュート)――ルイスの父親らしき人物であった。


「ルイス! かえってきたのか」


「ああ、ちょうどさっきな」


 ルイスが照れくさそうに頭をかく。


「で、この人たちは――アーチヘイブンで会った友達」


 ルイスが仲間を手で示すと、おやじさんはじろりと一同を見渡し、そしてすぐに柔らかく目を細めた。


「これはこれは……ルイスと仲良くしてくれてありがとう。遠いところ、よく来たね」


 そしておやじさんが奥へ向かって声を張り上げた。


「おーい! ルイスが帰ってるぞー!」


「ルイスねーちゃんだー!」


 バタバタと足音が響き、ぞろぞろと子どもたちが玄関に飛び出してくる。五人、六人と次々に顔を出し、ルイスに一斉に抱きつく。ルイスは「おっとと」とよろめきながらも、苦笑して子どもたちの頭を撫でていく。その喧騒に混じって、台所からふわりと漂ってくる香りがあった。スパイスと肉と野菜が煮込まれた濃厚な(最近食べた)香り――カレーだ。アリシアの腹がぐぅと鳴る。そこへ、エプロン姿のおかみさんが大きなしゃもじを片手に現れる。


「ちょっとルイス! 友達連れて帰ってくるなら、そうと先に言ってちょうだいよ。ご飯用意しなくちゃ!」


「え、ルイスのお母さんのご飯? やったー!」


 喜ぶアリシアに、ルイスは慌てて両手を振った。


「ちょ、ちょっと待ってくれ、今日の夕飯は族長の好意もあって宿で出るから! 今は我慢だ。……な? ここには明日のお昼に来よう。母さん、そういうわけだから、今日は大丈夫だよ」


 子どもたちが


「えぇー! 一緒に食べないのー?」


 と一斉に不満の声を上げる。アリシアも小声で「えぇー……」と混じっていたが、ユキチに頭を小突かれて黙った。


「族長さんが赤竜館をとってくれたんだ」


 ルイスが補足する。


「そうだな、折角だから……おまえたちも温泉行くか?」


「行くー!」 子どもたちは一斉に跳びはねて、玄関先で大はしゃぎ。さっきまで不満そうにしていたのもどこへやら、瞳が期待に輝いている。


 その様子に、おかみさんが腰に手を当てて笑った。


「あたしらは仕事があるからね。ルイス、チビたちをお願いできるかい?」


 ルイスは軽く頷き、「もちろん」と子どもたちの頭をぽんぽん叩く。


「じゃあ、あんたら」


 おかんがしゃもじを掲げて子どもたちに声をかける。


「遅くならないうちに帰ってくるんだよ」


「はーい!」「やったー温泉!」 子どもたちが口々に答え、アリシアも「温泉まんじゅうもあるんでしょ!? 絶対買うわ!」と張り切っている。ユキチは苦笑しながらも「……夕飯前には戻らすよ」ときっちり答えた。


「で、ここが――お待ちかね、赤竜館だ」


 ルイスの言葉と共に、大きな朱塗りの(ひときわ立派な)門が一行を迎えた。門柱には竜を模した彫刻が絡みつき、奥には立派な瓦屋根の建物が見える。蒸気の町ラグライドの中でも一際目を引く存在感だ。


 ラグライドの街は決して広いわけではない。だが宿までの道のりには、温泉まんじゅう屋や射的場、ガラス細工の露店など、妙に足を止めさせる店(数々の誘惑)が軒を連ねていた。そのたびにアリシアは「ちょっと! 一個だけだから!」と足を止め、ユキチが腕を引っ張ってなだめる羽目になった。そして、移動中に休みなくやってくる子供たちの悪意のない質問攻撃。「おねえちゃんの肌、ウロコがなくて、もちもちー! なんで?」「お兄ちゃんの顔、緑色。体調悪いの?」「スライム、ひんやりして、きもちいい! 友達なの?」ここまで辿り着くのも一苦労だったのだ。


 門をくぐると、宿の人々が並んで頭を下げた。


「いらっしゃいませー。アリシア一行様、お待ちしておりましたー!」


 靴を脱いで上がると、すぐに部屋へ案内される。ルイスが軽く手を挙げ、スタッフに声をかけた。


「すまない。夕飯の前に、このチビたちも温泉で一緒に入浴したいんだが」


「かしこまりました。別料金になりますが、よろしいでしょうか?」


「もちろん。この場で払っておくよ」


 ルイスは慣れた手つきで財布から硬貨を数枚取り出し、スタッフに渡した。


「タオル、浴衣などは全部こちらにございます。サイズが合わなければスタッフに声をかけてくださいね」


「お夕飯は十九時でよろしかったでしょうか?」


「よろしいのかしら?」


 とアリシアが皆に顔を向ける。


「いいと思うぜ」


 ユキチが頷く。


「じゃ、十九時で」


「はい、承りました。では朝食はいかがなさいますか?」


「朝食? それも今決めるの?」


 アリシアが目を丸くする。


「はい」


 スタッフはにっこりと微笑む。


「何時がいいかな?」


 とまたみんなに聞くアリシア。


「九時には教会行くって考えると、八時とかでいいんじゃないか」


 ギルが答える。


「そうね。じゃ、八時で」


「かしこまりましたー。時間の変更も承っておりますので、その時はスタッフにお声がけくださいませ」


 スタッフが下がった後、アリシアがぽかんとした顔で部屋を見回した。


「この宿……あたしが今まで泊まっていたのと全然違うんだけど。なんかすごい聞いてくる……」


「そういえば……おれたち、この度では基本野宿か食堂宿泊で、あとはVIPルームでオールナイトだからな。こんなハートフルな宿は初めてだ」


「ふふ。そうね。なんだか落ち着く」


 アリシアはしばらく呆然(ぼーっ)とした後、布団の柔らかさを確かめるようにぽすんと腰を下ろした。


「……やばい。絶対ここから動きたくなくなるやつだわ」


 荷物をまとめ、ほっと一息ついたその時――。


「……あれ?」


 アリシアが指差した先、窓際の卓の上にきちんと並べられていたのは、白い湯気をほんのりまとった包み。目の前には、まるで「どうぞ召し上がれ」と言わんばかりに温泉まんじゅうが置かれていた。横には急須と湯呑みが用意されており、ほんのり茶葉の香りまで漂ってくる。


「え、なんで? これ……食べていいの!?」


「いいよ。お茶もあるから一緒にな」


 ギルがにやりと笑う。アリシアは一瞬、無言でまんじゅうを手に取り、そしてかぶりついた。ふかふかの皮と、甘すぎない餡子の味わいが口いっぱいに広がる。


「……ここは天国か」


 彼女の目が潤む(アリシアは涙する)。ユキチは腕を組み、


「まだ感動するのは早いぞ! 食事前に温泉にいくんだろ」とニヤリ。 


「そうだった! ルイスは子供連れて先行くって言ってたわね。この――浴衣っていうのに着替えたら、温泉へ、レッツゴー!」


 わたわたと浴衣に着替える一同。


「これ、ちょっと私には小さいですね」


 ギルがぼやく。


「スタッフ呼ぼうか?」


「いや、温泉に行きがてら途中で受付に寄って、もらってきますよ」


 グダグダな空気が流れる中、赤竜館での至福のひとときは、まだ始まったばかりだった――。

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