ワイバーン
ヒルタウンからロシアナ大聖堂のあるグラスノヴァへ行くと決めた二人。必要な荷物の調達を済ませると、二人は馬車へと乗り込んだ。北へ向かう人は少なく、馬車の中は幸い混んでいない。馬車はのどかな丘を越えて、広々とした平原をゆっくりと進んでいく。
「なあ、アリシア。昨日のアレ……くしゃみのやつ。あれって、やっぱ魔法だよな?」
「うん。神聖魔法の応用、って言えば聞こえはいいけど……」
アリシアは前髪をかき上げながら、気まずそうに目をそらした。
「実はあれ、回復魔法悪用してるのよ」
「悪用?」
ユキチは眉をひそめる。
「薬だって、飲みすぎたら逆に体壊すでしょ?回復魔法も同じ。治癒の力が強すぎると、正常な細胞まで無理やり活性化しちゃって、不調を起こすことがあるの」
「えぇ……それって、やろうと思えば命も奪えたりするってこと?」
「まぁね。でも、人にも抵抗力があるから、強すぎる魔法ははじかれて効かないのよ。弱すぎず、ちゃんと効果を発揮するっていうスキマを研究中って感じ」
「さすがに万能ってわけではないのか。くしゃみのほかにはどんなのがあるの?」
「まだ少ししかないけど、ささくれができたり、治りかけのかさぶたを剥がしたりとか……あと足の小指の痛みを倍増させるっていうのも作ったわね。――くしゃみの魔法が成功したのは昨日が初めて。効果範囲を広げると効きやすくなるのかな。まだまだ分からないことだらけだわ。」
大仰そうに首を振るアシリア。
「アリシアは変な方向に勉強熱心なんだな。ま、夢中になれるものがあるのはいいことだと思うけど。――でも、それってもう魔法っていうより呪いじゃない?」
「祝福と呪詛は表裏一体なのよ。――とはいえ、教会の権威ともいえる神聖魔法をこんな風に使ってるなんてバレたら――」
アリシアは声を潜めて、首を切る仕草。
「……マジでやばいから、黙っててね」
「わかったよ。まぁ、俺が誰かに話すより、君が先にやらかしちゃいそうな気はするけどな。」
苦笑いするユキチ。しばし沈黙のあと、アリシアがユキチを横目にちらりと見た。
「……ねぇ、ユキチ。君って本当にゴブリンなの?」
他の乗客には聞こえないように、小声で聞く。
「今さらかよ」
「だって、しゃべるゴブリンなんて聞いたことないもん。字も読めるし、突っ込みも容赦ないし、なんか普通に人っぽい」
「そりゃどうも」
ユキチは肩をすくめて、視線を空に投げた。
「まあ、俺はもともと“テイム”されてたからな。サイトーってやつに」
「あぁ、なんか納得。それにしても、君もだけど、そのサイトーさんって人も、なんか変な名前ね」
「そう。変なやつだったよ。世界を見たいっていう理由であちこちを旅しながら、色んな魔物や魔獣を仲間にしてた。俺もそのうちの一匹だったってわけ。俺の名前も、そいつがつけてくれたんだ」
「ふーん……」
「でも、ある日突然サイトーはいなくなっちまった。姿も声も消えて――残ってたのはあいつの荷物と俺だけさ」
「でも、テイマーが死んだら、魔物って普通は野生に戻るんでしょ?」
「そうらしいな。でも、俺は野生にはならなかった。……他の仲間はどうなったのかもわからない。とにかく、気づいたら俺は取り残されちゃったのさ。」
さみしそうにユキチがつぶやく。
「じゃあ……それからは一人で?」
「そう。特にやりたいこともないし、何もすることがなかったから、こうやってサイトーがやってた旅の続きをしてる……」
そう言って、ユキチは懐から例の白地図を広げた。
「この地図は、サイトーの荷物の中に入ってたんだ」
「何度見ても不思議な地図ね……このちょっととがってる先っちょが今私たちがいる場所ってことなのかな。」
「そう。旅したところが少しずつ記されていく。白い場所は、まだ見ぬ世界ってわけさ。」
アリシアはしばらく考えているように黙っていたが、やがてぽつりとつぶやいた。
「君がまだこうしてユキチでいるってことは……そのサイトーさん、どこかでまだ生きてるんじゃない?」
「そうだといいんだがな。まあ、俺も、旅のどこかでまたサイトーや仲間たちに会えたらいいなって思ってはいるよ」
そのときだった。
「ま、魔物だぁぁぁぁぁ!! 空から来るぞおおおお!!」
馬車の御者の絶叫が森に響く。
「えっ!? おい……!」
空を見上げたユキチの目に、巨大な影が映る。――ワイバーンだった。翼を広げ、鋭い爪を光らせながら、旋回している。
「なんでこんなとこにワイバーンが!?街道で出てくるような魔獣じゃねぇぞ、こいつ!」
馬車が横に傾き、御者が必死に手綱を握る。ユキチは飛び乗るように馬車の屋根へ跳び、戦闘態勢に入る。
「ユキチ、くるよ!」
ワイバーンが急降下し、鋭い爪を振りかざして襲いかかる。ユキチはとっさに身をよじって、辛うじて直撃を避ける。
「空飛ばれてちゃ、手が出せねぇ……!」
「あたしならできるかも。ちょっとまってね!」
アリシアが手を突き上げ、ワイバーンの顔を睨みつける。
「苦悶!阿鼻叫喚!!」
アリシアの神聖魔法、いや呪いか――の光が空を裂く。しかし――ワイバーンはまるで反応しなかった。
「アリシア、効いてなさそうだぞ……てか、そもそもワイバーンってくしゃみするのか?」
「知らないわよ!でも見た目に鼻っぽい穴があったからするんじゃない?でも、あいつが速すぎてうまく魔法が当たらなかったに違いないわ……!」
「オーケー。早すぎて魔法が当たらないっていうなら、なんかあいつの動きを止める方法を考えなくちゃな」
ユキチは頭上を旋回するワイバーンをにらみつける。
「うっ……それなら……!」
アリシアは自分の荷物をがさがさと漁る。何かを取り出そうとして、ひとつの小包で手が止まった。
「……これを、使うしかないか……」
彼女の手の中にあったのは、丁寧に紙で包まれた高級干し肉。肉厚で照りがあり、香辛料が擦り込まれた逸品だ。
「それ……普通の干し肉じゃないな?」
「ヒルタウンの市場で、朝の五時から並んで買ったの! 旅中でテンション上げるための“ごほうび飯”だったのに……!」
「おまえ、今朝待ち合わせ時間になってもギルドになかなか来ないと思ったら、そんな寄り道してたのかよ!?」
「そうよ!悪い?ずっと欲しかったの!旅立つ前に買わなくっちゃって。銀貨1枚もしたんだから!ワイバーンって肉食でしょ! こんだけおいしそうなら、空からでも匂いで気づくはず……!」
悲哀の叫びをあげて、アリシアが覚悟を決める。
「――っしゃああああああああああっっ!!!」
絶叫とともに、アリシアはそれを風上へ全力で投げた。干し肉はきれいな弧を描き、馬車から離れた場所に落ちる。濃密なスモークとスパイスの香りが混ざった重厚な匂い――それはアリシアの予想通り、空中のワイバーンすら思わず反応するほどだった。しばらく旋回していたワイバーンの動きが、わずかに変わった。くるりと弧を描くように旋回しながら、アリシアが投げた干し肉のほうへ徐々に高度を下げていく。
「……おっ、きたぞ!」
ワイバーンが地上数メートルから急降下し、肉に飛びついたその瞬間――!
「ユキチ!!今!!」
「任された!」
ユキチが駆け出し、ワイバーンの翼の根元に跳びつく。ナイフで筋を裂くように一閃。
「ギィィィィアアァァァ!!」
ワイバーンが叫び、翼をばさばさと動かす――が、右の翼だけが力なく下がる。
「飛べねぇな……よし!」
ワイバーンが無理に羽ばたこうとするが、ユキチの一撃のせいで翼がうまく動かない。体がぐらりとよろめく。暴れるワイバーンの隙をついてユキチは攻撃の機会を伺う。
「アリシア! こいつおとなしくできるか!?」
「うーん、なんとかしてみる!」
アリシアが懐から取り出したのは、小瓶に詰まった聖水。
「爆発しろ、我が食べ物の恨み!」
そう叫んで小瓶をワイバーンに投げつけると、そこにありったけの魔力を注ぎ込む。眩い白光が弾け、ワイバーンの顔面を焼いた。
「グギィィィアァァァァッ!!」
目を眩ませたワイバーンがバランスを崩し、前のめりに倒れこむ。
「ユキチ、今!!」
「これで、終わりだ――!」
ユキチが空高く跳躍し、ワイバーンの眉間にとどめの一撃をくらわす。 ワイバーンは苦悶の叫びとともに、地面をのたうち回り――やがて、力なく沈黙した。
同時に、ワイバーンの口ががくりと開き、そこからぽろりと、食べかけの干し肉が転がった。
「……あ」
「……あ」
「まだちょっと残ってる……けど……」
「食べる?」
ユキチがちらりとアリシアを見る。
「そんなの食べれるわけ……」
アリシアが干し肉を掴む。
「食べる! 食べてやる!銀貨1枚! あたしの肉なんだから!!」
「……勇ましいな」
アリシアがむしゃむしゃと肉をかじる中、ユキチはワイバーンの死体をじっと見つめてつぶやいた。
「……うん、毒はない。こいつも食べられる」
「え、なんでわかるの?」
「ん? 俺ね、なんでかわからないんだけど――ものが食べられるかどうかが“わかる”んだよ。見てると、情報が自然に頭に入ってくる」
「魔法?」
「いや、違うと思う。ゴブリン特有の感覚なのかな。どうしてかはよくわからないや。アリシアはそういうの、できない?」
「できないわよ……!そんな便利な能力、あったら欲しいわ!」
拾い食いで腹を壊した悲しい思い出が、走馬灯のようによみがえる。
「やっぱそういうもんだよな。まぁ、この能力で最悪金がなくても食いつなげるから、旅をするには助かってるよ。」
ユキチは肩をすくめ、ワイバーンの頭を軽く叩いた。
「そんなことより折角新鮮な肉が手に入ったんだ。ちょっと早いけどキャンプにしようぜ」
「いいね、疲れたし、おなかも空いたし……でもワイバーンって食べれるの?」
「食べたことないのか?鶏肉みたいでおいしいぞ。」
「それはそれは楽しみね。お肉は正義!」
じゅるりと舌なめずりアリシア。
「解体しておくから、火おこし頼むよ。」
「任せなさい!旅に出る前にちゃんと火おこし器具買ってきたんだから!」
アリシアが嬉しそうに干し肉をかじりながら焚き木集めに走り出すと、ユキチは静かに呟いた。
「……こういう旅も、悪くないな」