第20話 地下食堂
「まさか宿屋の地下にこんな場所があるなんて……」
アリシアが天井を見上げながら呟く。石壁に囲まれた空間は思ったより広く、奥には長机と粗末な椅子が並び、壁際には樽や干し肉が積まれていた。ひんやりとした空気の中、ランタンの灯が神秘的な揺らめきを作っている。
「で……さっきのアレ、一体何だったんだい?」
おかみさんが腕を組み、ユキチたちを見回す。
「ヴェルドットの恰好した化け物が、何匹も居て、街の人たちを操ってるように見えたけど」
アリシアが視線を落とし、言葉を選んで口を開く。
「……ヴェルドットが言うには、あいつは魔王四天王の一人だそうです」
「……はあん?」
おかみさんの顔が一瞬固まる。
「魔王の……? 冗談じゃないよ。そんなのは物語の中の話だろう?」
「いや、残念ながら現実だ」
ユキチが肩をすくめる。
「しかも“人形遣い”って名乗ってた。街の人間を操って、使い捨ての兵隊みたいに扱ってたんだ」
おかみさんは鼻で笑おうとしたが、うまく笑えない。
「……じゃあ、あの時広場に集まった住民たちは……」
「多分、全員ヴェルドットに操られて操り人形にされたんだと思います。おかみさんに助けられる前に見た時は目が虚ろで、動きがぎこちなくて……生きてる人形みたいでした」
「なんだってんだい。冗談じゃないよ。じゃあ、あたしたちは知らないうちに悪魔に街のトップを任せていたっていうのかい。こんなんじゃ、あんまりじゃないか」
おかみさんはため息をつき、樽の上に腰を下ろした。
「オルネアさんが失脚したあたりから、あの男に黒い噂が絶えないのは知っていたけど……まさかそんな、人間ですらないなんて」
「おそらくですが、貴族も操り人形にしているのでしょう」
「なんでそんな……」
「ま、十中八九、手駒の調達だろうな。国単位で人間を人形にしようなんて腹づもりだったんじゃないか。それだけの人間を使って何をしたいのかはわからないけど、戦争か、反乱か、思いつくだけでも碌なもんじゃない」
ユキチが椅子に背を預け、首を振る。
「でも希望もあるぜ。兵隊を集めている最中っていうなら、今までにいなくなった人たちも処分されたわけでも奴隷になったわけでもなくて、どこかに人形として捕らえられている可能性が高い」
「そうね。でも、そんな人数を気づかれずに収容できる場所なんてあるのかしら」
「ヴェルドットがこの街にきて1年、トップに立って3カ月。この地下食堂みたいな収容所を用意するのには十分な期間じゃないか? どこに作ったかはわからないけど」
「兵隊集め……ね」
おかみさんは声を落とし、続けた。
「……そういや、あんたらに話しておくべきかもしれないね。ちょっと前から、この街には妙な噂があったんだよ」
「妙な噂?」
ユキチが片眉を上げる。
「一年くらい前からだったかな。夜中になると、誰もいないはずの路地の奥で人のささやき声がするって話だよ「こっちを見なさい」って。しかも、その声を聞いた人間は、街から姿を消してしまうんだ」
アリシアが息を呑む。
(……それってもしかして、禁書の呪文――?)
「けど、ある日ひょっこり帰ってくるんだ。何事もなかった顔でね。ただ――帰ってきた奴は、みんなどこかおかしいんだ。前は気の弱い魚屋だったのが、急に役人に取り入って店を拡張したり、正義感の強かった警官がいつの間にか賄賂を要求するようになっていたり……。失踪しなかっただけ良かったのかもしれないけどね、そいつらの目がね、死人みたいに虚ろなんだってよ」
「……まさに今のあの住民たちと同じじゃないか」
ユキチが眉をひそめる。
「どうなんだろうねぇ。ただの作り話だと思ってたけど……さっきお嬢ちゃんたちを襲っていた住民たちを見たら、笑えなくなったよ」
アリシアが真剣な表情でおかみさんを見つめる。
「その噂の声が聞こえる路地って、どこら辺かわかりますか?」
「さぁねぇ。あたしもただの与太話として聞き流してたからわからないけど、この街の北側――古い石畳の並ぶ旧市街はさっきの噂のほかにも、人さらいの話だとか変な話をよく聞くから、旧市街が怪しいと思うね。あそこは昼間は人通りもあるけど、夜になると不思議と足を運ぶ人がいなくなるんだよ」
「おかみさん、ありがとう! ユキチ、ヴェルドットの本体もきっと旧市街にいる気がするの。どう思う?」
「確かにな。面倒ごとは分身に任せて自分は離れた場所から高みの見物っていうのは、悪党がよくやる手だな。でも、旧市街って一言に言っても広いんだろ? どうやって探す?」
「それについては、心当たりがあるの!」
アリシアが右手の刻印を掲げる。ユキチは顎に手を当てる。
「そうか……さっき光らなかったのは、ヴェルドットが複製体だったからか。もしも本体が近くにいれば、この刻印が反応するかもしれねぇな」
アリシアは強く頷く。
「そう――今すぐ本体を探して、倒すしかないわ」
「無茶する気かい?」
おかみさんが目を細める。
「無茶っていうか、時間との勝負だな」
ユキチが即答する。
「長引けば長引くほど、あいつの手駒は増える。俺たちの仲間のギルだって早く取り返さなきゃいけない」
おかみさんは短く息を吐き、それから口元をゆるめた。
「……そうと決まれば――まずは腹ごしらえだよ」
「いや、だから時間が――」
ユキチが言いかけたが、その手前でおかみさんがピシャリと遮る。
「腹が減ってると動きも判断も鈍る。満腹で戦った方がまだマシだろ? まぁ待ってな、すぐできるやつ作ってやるから」
しばらくすると、カウンターの向こうから香ばしい香りが漂ってきた。野菜を千切りする音、肉を油で揚げる音、甘辛いタレが煮立つ音……それらが合わさって、地下の空気が一気に食堂の匂いに変わる。
「はい。お待ち!」
どんっと二つの丼が目の前に置かれる。白いごはんの上に鎮座するのは、厚さ指二本ぶんはあろうかという肉厚の牛カツ。衣はサクサク、切り口からはほんのり赤みを帯びた肉がのぞく。その脇に、さっぱりとした千切りキャベツがちりばめられる――脂っこさを相殺するのに最高の添え役だ。甘辛いタレがカツ全体を艶やかに覆い下のご飯にまで染み渡る、それらが反則級の香りを奏でて、鼻孔に届く。
「レモンとマヨネーズはお好みでどうぞ。あとこれ、みそ汁と口直しの漬物ね」
おかみさんが容器を置き、得意げに腕を組む。
「「いただきます!」」
アリシアとユキチは同時に迷わず肉をつかみ、かぶりついた。
「……なんだこれ、うめぇ……」
ユキチが涙する。肉が生っぽいのに、とろけるように柔らかい。噛むたびに肉汁とタレが絡み、キャベツのシャキシャキ感が後口をさっぱりさせる。
「おかみさん、あなたが神だったのですね……そしてミノタウロスは神の使い!……この出会いに感謝します!」
もぐもぐしながら手を合わせるアリシア。
「ミノタウロスの肉は基本筋張ってるけどね、腰回りの希少な部位を使ってるのさ」
おかみさんは鼻を鳴らす。
「裏メニューだから、うちの常連でも滅多に食えないよ」
「……戦う前にこれ食べていいのかしら。幸せすぎて力抜けそう」
アリシアが笑いながら箸を進める。
「俺は今日、死んでもいい」
「バカ言いな。体力も気合いも腹からだ。しっかり食って、あのヴェルドットをぶっ飛ばしてきな! 帰ってきたらまた作ってやるから! おっと、そうそう、スライムさんもカツ丼食べるよな。用意してあるから、安心しな」
食べやすいよう平たいお皿に盛られた牛カツ丼に、待ってましたとばかりに飛びつくラムネ。
「はっはっは、いい食いっぷりだね! お代わりもできるから、気兼ねなく言ってくれ!」
「この味噌汁がまた、心落ち着くな……それはそうとアリシア」
「ん?」
「ヴェルドットとの最初の戦いで止め刺す前に何をしたんだ? 俺にはあいつが突然苦しみ始めたようにしか見えなかったんだけど」
「あぁ、あれね」
アリシアがにやりと笑う。
「あいつのまつ毛の向きをね、こう……反転させるように成長させたの」
「まつ毛?」
「そう。魔法研究してるときにね、髪の毛を伸ばしたり、ムダ毛を処理できないかなって色々調べてて、見つけたの。まつ毛の生える向きを逆にして伸ばすと、眼球にあたってとても痛いって」
「それは……そうだろうな」
「流石に人間に試したことはなかったけど、あいつ、魔王四天王らしいし? 悪魔にならやってもいいかなって。理論上は、もう一度同じ魔法をかければまつ毛が元通りになって痛みもなくなるはずなんだけど、それは次の機会に試したいな」
アリシアの悪魔の発想に、ヴェルドットに同情するユキチ。
「――毛を操る魔法で、そんなことを思いつくお前がすごいよ」
「えへへ、そうかなー。でも結局うまくいったのはそれだけ。髪の毛を伸ばすには栄養不足で、伸ばせてもせいぜい数ミリ。脱毛はできるけど、皮膚の方にまでダメージが行っちゃって、肌がボロボロになって本末転倒。なかなかうまくいかないのよね」
「そんなもんかね。――ともあれ、ヴェルドットに二度目が通じるかわからないし、今度は本体だ。そんな小手先の魔法じゃなくて、その右手の魔法が決め手になるはず。頼りにしてるぜ」
二人と一匹は、容赦なくカツ丼を2回お代わりすると、戦闘の準備を始めた。戦いの前とは思えない満ち足りた空気が、地下食堂に流れていた。




