旅立ち
「待ちやがれゴラァァァ!!」
怒号がヒルタウンの夜を裂く。
裏通りの石畳を、赤いマフラーの小柄な旅人が駆けていく。 その肩には、黒衣の修道服の少女――アリシア。片手でしっかりとかかえられていた。
「ちょっと! なんで私まで逃げてんのよ!?」
「いや、からまれてたのは君だろ?」
「私は静かに飲んでただけでしょ!? あんたが勝手に割って入ってややこしくしたんじゃない。」
「でも、汗臭いとか、酒がまずくなるとか言ってなかった?あれ完全に喧嘩売ってたぜ?」
「そんなこと言ったかしら?覚えてないわ。」
そのとき、アリシアがふと自分の足元を見て叫ぶ。
「ちょっと下ろして、パンツめっちゃ見えてるんですけど!?」
「見られて困るようなもんなのかい?」
「困るわよ!!」
そんなドタバタの最中、路地の先をふさぐように大男が立ちふさがった。 さっき酒場で吹っ飛ばされた荒くれ者。その背後には、取り巻きがぞろぞろと続いている。
「てめぇら、さっきはよくもやりやがったな! もう無事に帰れると思うなよ!!」
旅人はアリシアをそっと壁際に寄せて、ひとつ息を吐いた。
「思ったより足が速いね。キミたち。逃げきれると思ったんだけどな」
「しょうがない。本気を出時がきたようね。」
腕まくりを始めるアリシア。
「やれるの?」
「言ってみたかっただけよ。あたしは戦力にならないから、期待しないでね。」
「ははは。だよな。安心して。君に何かを期待したことは、今のところ一つもないから。それより下がってなって。危ないよ。」
もう一度壁に寄せられるアリシア。取り巻きたちが一斉に襲いかかる。旅人はまったく動じない。一人目の腕を取って背中に乗り、壁に叩きつける。振り向きざまにもう一人を肘で弾き、足元を払ってバランスを崩す。さらに奥から一人、棍棒を振りかぶって突っ込んでくる。旅人はぴょんと側転して避けると、振り下ろされた棍棒を踏み台にしながら回転、頭にかかと落としを叩き込む。
「ほらよ」
男が呻いて崩れ落ちる。しかし、旅人の背後からまた別の影が近付いている。――アリシアの声が響いた。
「ちょっと、後ろっ! 危ない!!」
しかし旅人はすでに動いていた。背後から迫るナイフの男をすれ違いざまに受け流し、手首を取り、肘を決め、膝蹴りをみぞおちに決める。――がくりと崩れ落ちる相手。
しかし、誰かが応援を呼んだのか、大男の仲間たちが更にわらわらと集まってきた。
「さすがに多いな……」
――と旅人がつぶやいた、次の瞬間。
「苦悶!阿鼻叫喚!!」
アリシアの呪文(?)が夜空に響いた。そして一瞬の間――
「……はっ、はっくしゅんっ!!!」
「うおっ!? は、はくしょんっ!!」
言葉にできない不快感が、その場にいる男たちを襲う。
「今よ!」
しかし旅人もそれどころではないようだ。
「はくしょんっ!!」
旅人もくしゃみをせずにはいられなくなっていた。
「待て待て、今の呪文(?) 俺にも当たってるんですけど、コレ!」
「あらら?ちょっと効果範囲を広めにしすぎたかしら?」
「勘弁してくれ!」
鼻をかみながらも、戦闘を継続する旅人。しばらくして何とか決着はついたようだ。
「な、なめやがってぇぇ……! くそっ、覚えてやがれぇぇっ!!」
仲間を引きずりながら、夜の街へと逃げていく男たち。しんと静まった路地裏。鼻をすすりながら旅人がぽつりとつぶやく。
「覚えてやがれっていう人、本当にいるんだな――」
――酒場の裏手、ひんやりした石段に並んで腰を下ろす二人。 騒ぎのあと、さすがに店には戻れず、でも店長に泣きついて赤鶏亭の裏口で串焼きを食べながらちびちび飲みなおす二人。旅人が待ちに待ったつくねを一口かじって、ふうっと息を吐く。
「……これはうまいな。もちもちしてる」
「ふん。さっきは助かったわよ」
「いや、こっちも。それにしても、あの変なくしゃみの魔法、効いたぜ。」
「やりすぎちゃって、ゴメンね。」
「まあ、くしゃみのタイミングで敵の顎に膝入ったから、結果オーライ」
ふっと笑い合う。
「そういえば」
アリシアがくるくると串を回しながら口を開く。
「ちゃんと名乗ってなかったわね」
「たしかに」
「私はアリシア。教会にいたけど、まあ、いろいろあって追い出されたシスターよ」
「教会を追放って、聞いたことないんだけど。よっぽどひどいことしたんだろ?建物燃やしたとか?児童売買とか?」
「失礼ね。そんなひどいことはしてないわよ。ただ、王族に出す予定だったご飯を食べたのがよくなかったみたい――。そんなことでか弱い乙女を追い出すなんて、本当に心が狭いよね」
「……なんか一歩間違えれば反逆罪とかになるやつじゃないか?」
「失敬ね。おなかがすいてただけよ」
「はは。アリシアは自分に、いやお腹に正直なんだな。――俺はユキチ。放浪の旅人……みたいなもんかな」
「一人で旅してるの?」
「うん。前は仲間がいたんだけど、今は一人。」
「じゃあ……組まない? パーティー。私と。どうせこのまま旅に出てもか弱い私はきっとすぐ魔獣に襲われて死んじゃうだろうし、仲間が欲しいと思ってたんだ。」
「か弱い?――図太いの間違いじゃないのかな。」
突然の提案に戸惑いつつも、突っ込みを入れずにはいられないユキチ。
「ちょっと、うら若き乙女に対してそんな言い方はひどいんじゃないかしら。」
「乙女――?まぁいいや。ところで、パーティを組むのはいいんだけど、その前に――君には言っておかなくちゃいけないことがあるんだ。――驚かないでくれるとうれしいんだが。」
ユキチは少し目を伏せて、それからゆっくりと顔を覆っていたマフラーを外す。――月明かりが照らし出したユキチの肌は、ほんのりと緑がかっていた。マフラーからちらりと見えていた異常に鋭い目つき。尖った耳。そして口元から逆さに生える牙。
「……俺、ゴブリンなんだ」
「ふぅん」
「――それだけ?」
「それだけ。それとも、なんか言ってほしかったのかしら?まあ、あたしからしたら、助けてくれたし、強いし、つくねくれたし。あなたは、あなた。それ以上でも、それ以外でもないわ。」
「つくねは君が勝手に奪っていっただけな気がするけど……」
「とにかく!ごはんくれる人に悪い人はいないって話!」
「――そんな基準だといつか痛い目見るぞ。……まぁ、そっか。君がいいなら、俺もそれでいい。じゃあ、よろしく。アリシア」
「こちらこそ。よろしくね。ユキチ」
あらためて乾杯をしながら、夜は更けていくのであった。
翌朝。ヒルタウンの冒険者ギルド。受付に並んでいたアリシアが、元気に登録用紙を差し出す。
「冒険者登録をお願いしまーす!神聖魔法の適性アリでーす!」
「承知しました。それでは魔力量の確認を……」
差し出された水晶玉にアリシアが手をかざすと、水晶玉が淡く光る。
「……魔力量、基準値クリア。経歴にも問題ありませんね。冒険者としてはFランクからの登録となります。よろしくお願いします。冒険者アリシアさん」
「やった!これで酒場の冒険者割引が使えるわ!」
「喜ぶとこはそこなのか……?」
後ろに並んでいたユキチがぽそっと突っ込む。ユキチの表情はマフラーで読めないが、あきれているのは確かだ。とはいえ、危険な生き物が跋扈することの世界を旅するなら、冒険者登録は必須だ。酒場だけでなく、医療品や宿屋の割引をはじめ、組合からもいろいろと冒険に必要なサポートを受けることができる。
「冒険者登録が終わっても決して強くなったわけではありませんから、決して無理はしないでくださいね。そちらの方も登録されますか?」
「あー、俺はもうしてるから、いいよ」
ユキチが胸元からギルドカードを差し出すと、受付嬢の目がまるくなる。
「失礼しました……Cランク冒険者の方だったのですね」
「は?」
アリシアの耳がぴくっと動いた。
「Cランクって……ベテラン冒険者じゃない。」
「いや、まあ……なんか気づいたら、流れで」
「流れで取れるようなランクじゃないと思うんだけど……まぁいいわ」
二人は外へ出て、街路のベンチに腰を下ろした。
「ねえ、ユキチ。どこか、目指してる場所とかある?」
ユキチは少し考えてから、鞄から一枚の地図を取り出して広げる。
「……なにこれ。白い地図なのに、一部分だけやけに細かく描かれてるわね?」
「俺が今まで旅した場所だけが細かく記されてるんだ。他は全部、白いままなんだよ」
「へぇ、これ、ひょっとしてすごいアーティファクトなんじゃないの?こんなの教会でも見たことないわよ。」
アリシアは少し驚いた顔で、でもすぐに笑って言う。
「なるほど。なら決まりね」
「え?」
「北よ。ロシアナ大聖堂。そこから始めましょう」
「あ、君が言ってた巡礼ってやつ?」
「そう。各大陸にひとつずつある大聖堂をめぐる旅。まずはここ、オルテリス大陸にあるロシアナ大聖堂が私の最初の目的地ってわけ。そして、ちょうどそこはまだ白いから、ユキチの旅もはかどるって寸法よ!」
「いいね。じゃあ、北のロシアナ大聖堂へ。そんなに遠くないから馬車で7日ってところかな。」
まんざらでもない様子で、地図を折りたたみ立ち上がる。
「ま、途中で変な寄り道とかしそうだけどな。いや、絶対するだろ。」
「そん時は、そん時。それも旅の醍醐味よ!」
二人の影が朝日に伸びていく。こうして、追放シスターと放浪ゴブリンの、気ままな見聞録が始まった。