第18話 ヴェルドット
「ヴェルドット――お前が――」
ギルの喉から、かろうじて声が絞り出される。ヴェルドットの眼鏡の奥の瞳が細くなり、炎の揺らめきがその輪郭を不気味に照らす。
「はい。――今は、このノル=ヴェリスの代表として仕切らせていただいております」
「それにしては部下の躾がなってないんじゃないか。あまりにも礼儀がなってないから、かわりに教育しておいてやったぞ」
ユキチは警戒を緩めないまま、わざと軽口を叩いた。ヴェルドットは口元だけで笑い、視線を崩れた詰問所と足元の残り火に向ける。
「……それはそれは、私の部下が失礼しました。あとでしっかりと言っておきましょう。あぁ、でもこの男――なんという名前でしたか。あの程度のお仕置きで死んでしまったようですね。この男の分につきましては、どうかこれにてご容赦を」
うやうやしく頭を下げながら、心にもない台詞を吐くヴェルドット。
「黙れ。外道」
ギルの声は低く、重く、鋭い刃のようだった。ギルの殺気に応じてか、周囲に砂塵が舞う。 しかしヴェルドットは一切怯むことなく、笑みを崩さなかった。
「さすが神父様。敵である者たちも思いやるとは。その慈愛の心。素晴らしい。どうかその心、私にも向けてくだされば、それ相応のお返しをすることも考えさせていただきますが、いかがですかな? できれば、この死んだ役立たずの代わりに私のために働いてもらえるとありがたいのですが」
「ふざけるな!」
怒号と同時にギルの直拳がヴェルドットを襲う。ユキチですらかわすのが困難なギル最速の攻撃である――が、それも空を切る。
「おやおや、最近の神父様は元気がいいですね」
ギルの本気の攻撃も、余裕の表情でいなすヴェルドット。その姿はとてもただの一商人のものではない。
「ギル! こいつなんかやべぇ! いったん下がれ!」
「ほう。神父様はよい仲間をお持ちのようで。うらやましい。残念ながら私は仲間というものを持ち合わせておりません」
片手を上げ、指先を軽くひねる。
「私にいるのは――ペットだけです」
そして、今度はゆっくりと口を開いた。
「立ち上がれ――」
その声が響いた直後。 詰所の瓦礫が、ギシ…ギシ…と不自然に揺れ、崩れかけた壁の隙間から腕が突き出たかと思うと、次々と人影が這い出してくる。それは――瓦礫の下敷きになっていた警備員たちだった。制服はほこりまみれ、顔や腕には傷が刻まれている。足取りはふらつき、目は虚ろだ。中には、あの気の弱い取調員の姿もあった。彼の震える手には、ボロボロの剣が無理やり握らされている。
ひとり、またひとりと立ち上がり、ぎこちない動きで武器を構える。傷口から血が滲んでも、膝が震えても、倒れることはない。まるで糸で吊られた人形のように。アリシアが息を呑む。
「ひどい……」
ヴェルドットは眼鏡を押し上げ、口角をさらに吊り上げた。
「さあ――私の可愛いペットたちがお相手します。――やれ」
ヴェルドットの号令で一斉に動き出す警備員たち。
「こいつら、殴っても殴っても立ち上がってくるぞ!」
「意識がないのか、気絶もしないようですね」
ギルもだんだん手加減ができなくなる。警備員たちは、顔面に拳を食らっても、骨が折れも、よろめきながら再び立ち上がった。
「このままじゃ埒が明かないぜ!」
素手がダメならと、ナイフを抜くユキチ。
「殺しちゃだめ!」
アリシアが叫ぶ。
「……だよな。やりづらくてしょうがない。アリシア、お前の魔法で何か使えるの無いか?」
「え、あたしの? うーん。――無い! この人たち、多分痛覚や防衛反射の機能とかもマヒしてるから、下手したらくしゃみもしないんじゃないかな。あ、でもラムネならやれるかも! どう?」
彼女はちらりと足元に視線を送った。様子を見ていたラムネは力強くうなずいた。
「いけるって! やっちゃえ! ラムネ!」
その呼びかけに応えるように、ラムネはぷるんと身を震わせて前に出たかと思うと、まるで警備員たちを飲み込むようにガバッと広がる。警備員たちの脚や腕、胴をぬるりと包み込んだ。
「あう……」
「う……う……」
ぬめるゼリーに全身を締め上げられ、彼らは動けなくなる。
「ふむ……なんだ、殺さないのですか。つまらない」
ヴェルドットが眼鏡をくいと押し上げると、その指先に赤い光が集まった。瞬く間に、それは燃え盛る火球へと形を変える。
「では――不出来なペットは燃やしてしまいましょう」
「させない!」
アリシアが聖水の瓶を懐から出すと、ヴェルドットに投げつける。
「くらえ!」
聖水に向けて魔力を込めると、ヴェルドットの目前で瓶は破裂した。ヴェルドットの火球はコントロールを失い、あらぬ方向へ飛んでいく。爆炎が瓦礫を照らす中、ヴェルドットの眉がわずかにひそめられた。
「この私に聖水をかけるなんて……あぁ、うっとうしい」
それまで余裕を見せていたヴェルドットが初めていら立ちを見せる。そして、その視線が、ふとアリシアの右手に移る。
「……ん? その刻印は?」
炎の揺らめきに照らされ、アリシアの右手の刻印がより一層際立つ。ヴェルドットの顔がゆがむ。
「その忌まわしき刻印……まさか、お前が、お前らが――“あの方”の障壁になるものたちか」
それまでの調子から一変、彼の口調が、底冷えするほど冷酷になる。ヴェルドットの眼鏡の奥で、瞳が血のように赤く輝いた。炎の光が彼の輪郭を歪ませ、次の瞬間――顔の皮膚が裂けるように黒い紋様が浮かび上がる。額から覗くのは、鋭く曲がった二本の黒い角。体格こそ変わらないものの、纏うオーラは全くの別物であった。
アリシアが息を呑む。
「……ヤバい感じはしていたが、人間じゃなかったのか」
「この気迫……先日戦った魔王の影の比ではありません。皆様、ご注意を」
異形の姿となったヴェルドットは、炎を背にゆっくりと口を開いた。
「ご明察。私は魔王四天王の一人――"人形遣い"のヴェルドット。改めて、お知りおきを」
慇懃無礼に一礼すると、おもむろに懐から取り出したのは、漆黒の革表紙に金装飾が施された分厚い本だった。
「禁書……!」
アリシアの声が震える。ヴェルドットは楽しげに眼鏡を押し上げ――いや、すでにそれは角の根元に引っかかっているだけだ――不気味に笑った。
「ほう――禁書を知っているのですね。ならば話は早い。お前たちも我が禁呪の力で私の操り人形となりなさい」
そう言うとヴェルドットはおもむろに本を開く。そのタイトルは――『催眠アプリで好き放題 ~生意気生徒会長もボクのいいなり~』―― ユキチが眉をひそめた。
「くそ……新手の変態か」




