第17話 詰問所
「お金を払ってくれれば、見逃すこともできるが……」
詰所の奥、油の染みた木の机に肘をついて、老人の取調員は縛られたアリシアたちを見ていた。何回目の提案だろう。相変わらず答えはない。
「……あんたら、旅人だろ? よりによって、面倒なのに目ぇつけられたな」
外の通りから、怒鳴り声と馬のいななきが遠く響く。男は舌打ちし、机の上に置かれたカップをぐるぐると回しながら続けた。
「この街じゃ、ヴェルドットの一派に逆らえる奴なんざいない。商人も、宿屋も……もちろん、警察だってな。奴らの前じゃ正義なんざ、紙くず同然だ」
最後の言葉は吐き捨てるようだった。しかし、すぐに押し殺すような笑みを浮かべ、懐かしむように天井を見上げる。
「オルネアさんが仕切ってた頃は、よかったのにな……」
詰所のランプが、彼の影を歪ませながら揺れていた。
「……あんたは、オルネア殿をご存じなのか?」
ギルが口を開ける。その問いに男は一瞬ぽかんとした顔をしたあと、鼻で笑った。
「知ってるも何も……あの人は、この街の恩人だ。無法地帯だったこの街を腕一本で取りまとめて、港も商人も冒険者も、全部あの人の仕切りで回ってた。オルネアさんがいた頃は、夜道も安心して歩けたし、貧しい奴らも腹をすかせちゃいなかった」
男は机の上のカップを弄びながら、視線を落とす。
「でも今は違う。あの人が捕まったその翌日には、ヴェルドットが港を仕切って、通行料だの後援金だのを取り立てるようになった。商人や宿屋は嫌でも従うしかない……逆らえば、商売ごと潰される」
ギルの目が細くなる。
「警察は何をしている?」
「してるさ――ヴェルドットの護衛をな。取り締まりなんざ夢のまた夢だ。この街じゃ、あいつらの名前を口にするだけで誰もが黙る」
男はそこで声を潜め、ランプの炎が揺れるほど机に顔を近づけた。
「……あんたら、外の人間だから言うが……ヴェルドットは人も売ってる。逆らった男は港の倉庫で始末され、女や子どもは奴隷船に乗せられる。行き先は知らねえ……戻ってきた奴なんて、一人もいねえ」
詰所の空気が一段と重く沈む。
窓の外で馬蹄の音が響き、男は一瞬、口をつぐんだ。
「……だから、関わるな。ヴェルドットの機嫌を損ねたら、次はあんたらが消える番だ」
アリシアは縄で縛られたまま拳を握り、声を低くした。
「……なんて腐ってるのかしら」
横でユキチが口角を上げる。
「じゃあ、やっちまうか」
男は血相を変えて手を振った。
「頼む! 騒ぎはやめてくれ。俺にも家族がいるんだ。あんたらが暴れりゃ、真っ先に俺が困る。……それだけは勘弁してくれ」
アリシアはため息をつき、肩をすくめた。
「……しょうがないわね。おとなしく捕まってあげる」
ふと思い出したように首を傾げる。
「ところで、噂では取り調べにおいしいごはんが出るって聞いたけど?」
男は呆れたように手を振った。
「そんなものあるわけないだろ。出るのは水くらいさ……しかも下水の、な」
アリシアの眉がピクリと跳ね上がる。
「……だましたのね!」
縛られた腕ごと肩をぐっと突き出し、椅子を軋ませながら前のめりになる。
縄がきしむ音と共に、彼女の目が鋭く光った。
男は慌てて手を振り、周囲を見回す。
「しっ、声を抑えろ! だましたって……何を勘違いしてるか知らないが、人聞きの悪いこと言わないでくれ」
ユキチが大きく伸びをしながら、ぼそっと言った。
「あー……あんまり実りのある話も聞けなかったし、もう行くか。ギル、お願いできるか」
ギルが静かに頷く。――次の瞬間、ギルを縛っていた縄がちぎれる。そして、アリシアとユキチの縄もほどく。
「全く、こんな貧弱な縄で捕らえたつもりになってるとは、舐められたものですな」
縛られた縄の跡をさすりながらアリシアも憤慨する。
「それにごはんも出さないなんて。あり得ない!」
ギルの行動を見守ることしかできない取調員は呆然と座り込んでいる。
「あああ……、やめてくれ、やめてくれ……」
「ごめんな。でももう行くよ」
ユキチの合図でカギのかかったドアを破壊するギル。そして広間に出ると――案の定警備兵が見張ってる。
「使えねぇじじいだな。取立て一つまともにできないとは! 脱獄は重罪だから、ちょっとやそっとの金じゃもう許されねぇぞ。ま、そこのきれいな姉ちゃんにはひと稼ぎしてもらって――」
「きれい?」
喜ぶアリシア。「ま、価値観はそれぞれだよ」つぶやくユキチ。
「他の男たちにはご退場願おうか。お前ら、やっちまえ!」
その叫びが石壁に反響し、警備兵たちが一斉に襲ってくる。
「……失礼な。聖女様を拘束するなど、愚の骨頂。罪人は――お前たちだ」
ギルが構える。
「何を意味わからねぇことを!」
リーダー格の警備兵が切りかかるが、それをいなすギル。
「神の御加護に背く貴様らに、この場で天罰を下す!――豪波! 滅殺断罪掌!」
掌から奔った閃光が、詰所の天井を貫いた。次の瞬間、轟音と共に石壁が崩れ、舞い上がる粉塵が視界を白く染める。瓦礫の雨が床を叩き、警備員に降り注ぐ。絶叫と怒号が入り乱れる。アリシアたちはというと、アリシアのスカートの中に隠れていたラムネが幕を張って守られていた。
「サンキュー、ラムネ」
「あたし、お尻の大きい女って思われてなかったかしら」
「お前は気にするところがいちいち変なんだよ」
緩んだ空気が流れたのもつかの間、
「相変わらず腕は衰えてないようだな、……ギル」
低く唸るような声とともに、粉塵の向こうから一人の影が歩み出る。
現れたのは、屈強な体格の男――ロガン。
「おまえは……」
その顔を見た瞬間、ギルが目を見開く。巡礼の旅の道中あちこちで顔を合わせ、その都度ぶつかったり助け合ったりした、戦友とも呼べる冒険者仲間だ。ロガンの豪快な笑い声と、焚き火を囲んだ夜の記憶が脳裏をよぎる。
「ロガン、お前がなんで……」
「仕事だ。それ以上でも、それ以下でもない」
淡々とした声に、感情の色はない。次の瞬間、剣と拳が火花を散らし、瓦礫と化した詰所跡が激しく揺れた。ロガンの動きは昔と変わらない。だからこそ、弱点も熟知している――だが、それは向こうも同じこと。お互いに容易には崩せない。重い斬撃がギルの肩をかすめるたび、骨まで響く衝撃が走る。
――幾度も打ち合い、互いの息が荒くなる。そして――連撃の中の一瞬の隙。
「……そこだ!」
ギルが渾身の一撃をロガンの腹に叩き込み、ロガンの膝が崩れた。荒い呼吸のまま、ロガンが笑った。それは記憶の中のものと同じものだった。
「……お前の勝ちだ」
「お前が本気だったら……わからなかったさ」
「俺は本気さ。いつでもな」
一瞬だけ目が合う。そこにはかつての仲間の面影があった。
「――行け。これ以上、騒ぎが大きくなる前に」
背を向け、歩き出そうとしたその時――
ゴオオオオオォォォーーーー!
背後で爆炎が上がった。振り返れば、ロガンの身体は火に包まれていた。
「……まったく、これだから人間は信用できない」
どこかから声がする。
「ッ!――ロガン!」
しかし、もはやその影も確認できない。
「そんな――」
絶句するアリシア。
「アリシア、下がれ!」
「おやおや、しゃべるゴブリンですか。珍しい。珍獣好みの貴族に高値で売れそうですね」
炎の向こうから姿を現したのは眼鏡をかけたスーツ姿の男。口元は上がっているが、目は笑っていない。やわらかい物腰とは裏腹に、全く油断ができない。――コイツ、強い!? ユキチの感覚がそう告げる。
「はじめまして。旅人の方。私、ヴェルドットと申します――」




