第11話 聖女
場に、妙な静けさが落ちた。おかみさんの「ゴブリン?」という声に、ユキチは肩をすくめた。否定するでも、肯定するでもない。だが、その沈黙こそが何よりの答えだった。
「……いや、これは……その……」
アリシアがフォローしようとするが、うまく言葉が出ない。
「この者は――聖女アリシア様の使い魔です!」
唐突に、張り詰めた空気を破るように大司教の声が響いた。ぼろぼろになりながらも、大司教は誇らしげに胸を張り、天に向かって叫ぶ。
「神よ! このような奇跡に立ち会えたことに感謝いたします!」
その顔は涙ぐんでさえいた。
「聖女様の放った聖なる光は、あらゆる悪しきものを祓い、大地を清めました。そして聖女とともに悪に立ち向かった彼もまた、神が遣わされた使い魔に他なりません!」
アリシアが言葉を失って固まる、ユキチが肩をすくめて一歩前に出る。
「……隠しきれませんでしたか。そのとおりです。大司教様」
ユキチは大司教の話に適度に迎合しつつ、必要以上に丁寧にはならない絶妙な口調になる。
「……ちょっと、ユキチ?」
(悪い、今はこれが一番丸く収まる気がするんだよ。ここまで大騒ぎになっちゃってるけど、俺、目立つの嫌いなんだ。)
(いや、充分目立ってるから! ていうか何その開き直り!)
二人は小声で軽く応酬する。大司教はその姿を遠目に見ながら、うんうんと満足げにうなずいている。
(ほれ、乗っかってこい。お前の番だぞ)
それを聞いて、アリシアは目を細めてユキチをじっとにらんだ。しばらく無言でにらみ続けたあと、小さくため息をつく。
(……はぁ。仕方ないわね……)
肩をすくめて、やや上ずった声で言った。
「私が聖女かどうかはさておき、ええ、そう。そうなの。彼は、私の使い魔なの。えっと……そういうことなのよ。うん」
とつぜんの聖女呼ばわりに精一杯のアリシア。そのやりとりを見ていたおかみさんが、ぽつりとつぶやく。
「アリシアちゃんが、聖女様……? それにしても、ユキチさんがゴブリンで使い魔……?」
だが、おかみさんはすぐにふっと笑って、両手を腰に当てた。
「まぁ、でもユキチさんはユキチさんだしね。アリシアちゃんも」
ユキチもアリシアも拍子抜けしたように目を丸くして、それから少しだけ笑った。
「街はボロボロだけど……でも、私たちは生きてる。まずは、それが一番だよ」
空を見上げながら、少し寂しげに、でも穏やかにおかみさんが言う。
「……そういうこと。あたし。お腹すいちゃった」
その一言で、場の空気がふっとゆるんだ。
「よっしゃ、腹が減ったらなんとやらだ! 大活躍したはらぺこ聖女様とそのお仲間のために、焼き石チーズ祭りの再開と行こうかね!」
おかみさんが張り切った声で手を打つ。
「トネリ、使える食材を探してきておくれ。あたしは調理器具を確認してくるよ」
トネリはうなずくと、すぐさま走り出した。
「聖女様はやめてよ。今まで通りアリシアって呼んで」
アリシアがむくれたように言うと、おかみさんは「へいへい」と笑いながら去っていく。
「俺はちょっとラムネの様子を見てくるな」
ユキチが軽く手を振りながら、大聖堂跡の方へと向かう。
「オッケー。私は怪我人がいないか街を見てくるわ」
そこに大司教が、恍惚の表情で胸に手を当てながら名乗り出た。
「私は聖女様の降臨を皆に伝えてまいります」
「そういうのはやめてって。それより避難した人たちを集めて、今晩過ごせる場所を作らなきゃ。大司教、手配はお願いね」
アリシアがぴしゃりと指示を出すと、大司教はその場で感動して膝をついた。
「おお……聖女様、なんと優しいお言葉……! その御心のままに……!」
「なぁアリシア、こいつだんだんポンコツになってないか」
ユキチがぼそりとつぶやく。
「さぁ」
アリシアは知らんぷりを決め込んで空を仰いだ。
満月の夜は長そうだ。




