第112話 アリシア=ラフェル
「はぁぁぁぁ……」
アリシアは、深い悲しみに沈んでいた。自分の浅はかな行動のせいで仲間に多大な迷惑をかけ、そして何より――大切な友人を失ってしまった。
原初の魔王を倒してから、すでに数日が経っていた。あの戦いのあと、魔法の腕輪はまるで役目を終えたかのように沈黙し、サイトーはおろか、アルドラとの通信も途絶えてしまった。背中に刻まれた地図も光を失い、月の観測所へ行く術もなくなってしまった。
「はぁぁぁぁ……」
復興の進む魔王城を遠くに見ながら、アリシアは胸の傷跡にそっと手を当てると、再び長い息を吐いた。戦いは終わり、世界は急速に平和のムードへと変わっていた。
当初の予定通り、宥和派の魔王リリアが、暴走した魔王ガイラム、 そしてその背後にいた真の黒幕をも討ち果たした――そういう筋書きで昨日、教皇と新魔王リリアが握手を交わす写真が、世界中に配信された。
ギルとラムネは、リュート、バーキッシュと共に原初の魔王に破壊されたナハル=ダインの復興作業に奔走している。リュートは相変わらずラムネに懐いているようだ。ガラムへの執着はなくなったので、みんな一安心している。
一方、ルイスは騒動が落ち着いたのを見計らい、ガラムとハネムーンに旅立った。なんでも「改めて聖地巡礼をやり直すんだ」とのこと。――うらやましい限りだ。
ルメールはシロと共に武者修行の旅へ出た。シロが親として動くのは驚きだったが、当の本人はどこ吹く風。「竜の世界を見せてやる」とか息巻いていた。ルメールはアリシアと離れるのはさみしそうだったが、父の体に風穴を開けられるような強い子だ。心配はいらないだろう。
そして――アリシアは今、人間側の代表として、時折魔族代表のリリアと会談を繰り返し、穏やかに世界の動きを見守っていた。
「よっ、聖女様。今日も憂鬱なのかい?」
ギルが軽い調子で声をかけながら、アリシアの隣に腰を下ろした。復興中の仮設キャンプ。風が吹き抜け、瓦礫の匂いと土の香りが混ざり合う。
「そんなことないわよ。今日も元気よ!」
アリシアはわざと明るく、空元気でガッツポーズ。だが、その拳の震えを見逃すほど、ギルは鈍感ではない。苦笑しながら、彼はアリシアの頭をくしゃくしゃと撫でた。
「俺の前では虚勢張らなくていいぞ。ずっと気になってるんだろ。――アイツのことが」
「……うん」
短く答えたアリシアの声は、沈んでいる。
「だよな。……会いたいか?」
「当たり前でしょ!――会えるなら、ね」
アリシアは目を伏せる。アルドラとの通信も途絶えた今、ユキチに再び会うことはほぼ絶望的――のはずだ。
「じゃ、会いに行ってこい!」
それでも、ギルは普段の口調で、あっけらかんと言い放つ。
「え? でも……どうやって?」
目を丸くするアリシアに、ギルはにやりと笑って見せた。
「これだよ」
ギルが懐から取り出したのは、今は懐かしい金の刺繍が入った黒い本。
『美少女メイドのイケない異世界転生~転生したらそこはパラダイスだった件~』
「あっ、その本見つけたんだ! 最後の一冊だったよね。でも……その本に書かれてたのって、確か、魔王を作る方法――」
「――と、異世界人の召喚方法だ」
不意に、背後から声が響く。
「――!?」
アリシアが振り向くと、そこに立っていたのは――
「ハセガワ!」
もう連絡が取れないと思っていたソーマプロジェクトのメンバー。にこやかに手を振りながら歩いてくる。
「久しぶりだね、アリシア。今回は本当にお疲れ様。よく頑張ったね。影ながら全部見させてもらってたよ」
アリシアは微妙な顔で、それでも律儀に手を振り返した。この人の考えはイマイチ読めない。
「立場上、あんまりこういうのは良くないんだけどな。でも……このままじゃ、すっきりしないだろ」
ハセガワはそう言うと、ギルと目を合わせて、ニヤッと笑い合った。アリシアの胸に、説明のつかない不安が広がる。
◇◇◇◇◇◇◇
「ねぇ……本当に、これで大丈夫なの?」
荒野の風が吹き抜ける。アリシアは不安げに辺りを見渡した。
「計算上は問題ない。理論上は、ね」
ハセガワが眼鏡を押し上げ、満足げに頷く。
「準備できたぞー!」
遠くからギルの声が響く。彼は巨大な車の運転席に座っている。ハセガワ曰く、あれは"トラック"という代物らしい。
「よーし! じゃあ始めるか!」
ハセガワの説明によると、異世界人を召喚するための呪文を逆転させることで、異世界へ転移する魔法として再構築できるのだという。そしてこれから行うのが、異世界へ転移するための儀式なのだとか。
「ねぇ……本当に本当に大丈夫なんでしょうね?」
アリシアが再び尋ねる。その手には、例の禁書――『美少女メイドのイケない異世界転生~転生したらそこはパラダイスだった件~』が握られている。
だが、ギルもハセガワも準備に夢中で、アリシアの声など聞こえていない。
「……もう、ほんとに大丈夫なんでしょうね……」
手持無沙汰になったアリシアは、外套のポケットに手を入れた。
――かさっ。
指先に紙の感触。取り出してみると、それはこの大陸に到着した直後、試しにユキチを占ったときのおみくじだった。その内容に目を走らせた瞬間、アリシアの口元に笑みが浮かぶ。
―― 待ち人:来る。来なければ会いに行くべし ――
「……いいじゃない。きみが来ないなら、こっちから行ってやるわよ」
太陽に照らされ、アリシアの瞳が力強く輝いた。
「よし、アリシア。準備はいいか? 呪文詠唱を始めてくれ」
ギルの声に、アリシアは頷いた。仲間たちには別れを告げてある。――もう迷いはない。
「……うん、わかった」
アリシアは胸の前で禁書を開いた。800年前の勇者、シャルルが作り出した、発音も意味も理解不能な呪文。効果を逆転させるにあたり、ハセガワが呪文を改変したらしいが、どこが変わったのかは正直わからない。
「ラ=クォル゛=メ゛・シィ゛ゥ=ラグ゛・ノォ・ン=ラ=フェ゛ル=オ゛ゥ、
ズバ・リェ゛ェ・ト=ゥラ=シュ゛ゥ――」
荒野に響く詠唱。久しぶりにアリシアの両手の刻印が光る。呪文の響きと同時に、ギルがトラックを全速力で走らせる。アリシアの方へ、真っすぐ。
普通に考えて、正気の沙汰じゃない。だが、恐怖よりも、ユキチへの想いが勝っていた。
「オ・ア゛ル=メ゛ラ゛・ヴォォ、クラ゛=アン゛・ヒュラ゛・ソ=ナラ゛・ディゥ゛ン=トワ、ヌ゛ォ=シア・レ=ラ゛ン――」
ドドドドドド……! 轟音と共にトラックが迫る。 地面が揺れ、風が巻き上がる。アリシアの目には恐怖が浮かぶ。
(怖い……でも、行かなきゃ)
「ラ゛・ソ=ナラ゛・ディ゛ゥ゛ン=トワ、ヌ゛ォ=シア・レ=ラ゛ン・トクァ゛=ァ・ザラ゛=ス・メェ゛エル=シィ゛・フル゛・ナ゛=ヴォ!!!」
詠唱の最後の一節を叫び終えた瞬間、禁書がまばゆく光り、アリシアの身体を包み込む。
「よしっ!」
ハセガワが呪文詠唱が成功したことに、喜びの声を上げる。
「ユキチによろしくな、アリシア!!!」
ギルの叫びが荒野に響く。次の瞬間――轟音と共に、トラックがアリシアに正面から突っ込んだ。強烈な衝撃。禁書が宙を舞い、地に落ちる。
アリシアの身体は――光の中に消えるとか、そんな演出はなく、トラックに吹き飛ばされて、血を流して地面に横たわった。首と足が、あり得ない角度に曲がっている。
少し先で停車したトラックから、ギルが慌てて駆け寄る。
「なぁ……ハセガワ、これで……いいんだよな?」
震える声。足元には、アリシアの肉塊が血だまりに沈んでいた。原初の魔王との戦いの時ですら、ここまで惨たらしくはなかった。
「――大丈夫。うまくいったよ」
ハセガワは遠い目をして静かに頷いた。だが、本当に<うまくいった>のか、ギルには判断がつかなかった。
余談だがこの日、この地は後に"聖女昇天の地”と呼ばれるようになる。魔族との懸け橋となった聖女アリシアが神になった日。そして、その教えを信仰するアリシア教がジェネス大陸を中心に広がり、やがてディウヌ教をも飲み込んで、世界最大の宗派として栄えるのだ――が、それはもう少し先の話。
ギルはなんとも申し訳ない気持ちで、血まみれの魂が抜けたアリシアを抱きかかえる。
(……行ってらっしゃい、アリシア)
血に濡れた腕輪から、かすかにアルドラの声が聞こえた気がした。




