第111話 転生
「まったく、こんなこと、前代未聞だぞ!」
遠くから誰かの怒鳴り声が聞こえる。
「まぁいいじゃないですか。世界が変わった瞬間! 新人類の誕生ですよ」
どこかで聞いたことのある声だ。
……サイトー?
声を出そうとするが、喉が動かない。
目を開いているはずなのに、何も見えない。
身体を動かそうとしても、まるで自分のものじゃないみたいに動かない。
――ここは、どこだ。
でかい化け物と戦って、アリシアを……助けて……その後……。
……みんなは?
……アリシアって、誰だ?
――だめだ、考えがまとまらない。
思考がかき乱され、ユキチの意識は再び闇に沈んでいく。
次に目を覚ましたとき、そこは見知らぬ部屋だった。
視界がある。無機質な天井。白い光。
(……ここは……?)
声を出そうとしても、喉が痛くてうまく喋れない。
でも、しゃべれないわけではなさそうだ。
ゆっくりと身体を起こし、自分の手を見た。
――細い。
というか、肌の色が――おかしい。
これはまるで……人間の手、みたいな……?
「お、目が覚めたな!」
扉の向こうから、無精ひげにメガネをかけた中年の男が入ってきた。
「だ……れ……?」
かすれた声が喉からこぼれる。
それは、自分の声ではないように聞こえた。
「おっと、この姿で会うのは初めてだな。俺だよ、サイトーだよ」
「……え?」
目の前に立つ男は、記憶にあるサイトーとはまるで違っていた。
無精ひげ、メガネ、そして少し疲れた笑顔。
けれど、その声と軽い調子だけは、間違いようがない。
「おどろくのも無理はないよな。きみは<あっち>の世界の住人で、ここは<こっち>の世界だ」
<こっち>と<あっち>? こいつは何を言ってるんだ?
混乱する頭で考えようとするが、言葉が出ない。
「う……あ……」
喉を鳴らすのが精一杯だ。そんなユキチを見て、サイトーが苦笑する。
「まぁ、焦るなって。とりあえずご飯を食べよう。まずはそれからだ」
サイトーが持ってきたのは、白く濁った液体。食事というより、重湯のような粥のような……。穀物をすり潰したものらしく、ほんのり甘い香りがした。
温かい液体が喉を通ると、少しだけ体に力が戻ってくる。息を整えながら、ユキチはようやくサイトーの顔をまともに見た。
「ふぅ……よし。少しはマシになったか」
サイトーが椅子を引いて、ユキチの隣に腰を下ろす。そして、真剣な表情で口を開いた。
「ユキチ。アリシアを助けようとして――無茶をして強制退会されたこと、覚えてるか?」
ユキチは、静かに頷いた。
「ここはな、きみの考えるところの――管理者が暮らす世界だ」
静かな声で、サイトーが言う。
「きみがいた世界とは、空間も時間の流れも社会ルールもまったく違う。普通なら、管理者が強制退会されても、この世界に戻ってくるだけで話は終わるんだ」
「俺みたいにな」と、サイトーは壁の端末に何かを打ち込みながら、淡々と説明を続けた。
「だけど、きみは向こうの世界で生まれた存在だった。いわば、原住民としての魂を持っていたんだ。だから強制退会された瞬間、魂が宙ぶらりんになっちゃったってわけ」
(管理者が住む世界……それって、月の観測所とは違うのか?)
ユキチはぼんやりとそんなことを考える。必死にサイトーの言葉を理解しようとするが、理解が追いつかない。
「そんな状態の君の魂を、<こっち>の世界で作った空の肉体に移したのが今のきみってわけさ」
サイトーが軽く指を鳴らす。
「この世界にはゴブリンどころか、魔物もいない。そもそも魔素という概念がない。――だから、肉体は俺と同じ普通の人間のものだよ。少し違和感があるかもしれないけど、すぐに馴染むはずだ」
言われて、ユキチは改めて自分の手を見つめた。白くて、細くて、柔らかい。――まるで他人の手みたいだった。
「……あ、自分の姿、見てみるか?」
サイトーが壁際の机から鏡を手に取り、ユキチに差し出す。
(え……? これが、おれ?)
鏡の中に映っていたのは――あどけない顔立ちの人間の少女。ユキチは思わず、口を開けたり、鼻を押したりして確かめる。
「ふふ、さすがに2歳児ってわけにはいかないからな。その身体の年齢は――10歳だ」
サイトーが悪戯っぽく笑う。
「今までみたいに無茶はできない。その身体は華奢だからな。大事に使えよ」
ユキチは、鏡の中の自分を見つめながら、小さく息をのんだ。そこにゴブリンの面影は――もう、どこにもなかった。




