第109話 100メートル
「ユキチ、アリシアのことは任せたぞ!」
ギルの声に、ユキチがうなずく。ルイスも涙をこらえながら、ギル、ガラム、リュートと共に前衛だらけの布陣を組む。火力を集中して、一点突破を狙う。
「ゴールはあの原初の魔王の胴体部分の切り口。あそこに俺かルイスの腕輪が触れれば、俺たちの勝ちだ」
ギルが短くルールを伝える。目標までの距離はおよそ100メートル。だがそのわずかな距離を埋めるかのように、無数の触手がうねり、地面を覆っていた。突破力が期待できそうなシロは触手に絡め取られ、動けないでいる。ギルムネを動かすには周囲に程よい岩石が足りない。
「ガラム! おまえの魔法で時間を止めて、みんなをあそこまで運べないか?」
ギルが振り向いて叫ぶ。
「すまない……。この前の戦いで腹を貫かれてから、魔法がまったく使えなくなってしまったようだ」
ガラムは悲しげに息を吐き、首を振った。魔核――彼の魔力の源はすでに失われていた。あのバカみたいな特異体質も魔核によるものだったようだ。ギルは一瞬だけ眉をひそめたが、すぐに表情を引き締める。
「……そういうことなら仕方ないな。正攻法で行くぞ!」
四人は頷き合い、固まって走り出す。それを阻もうと、無数の触手が襲い掛かってくる。
「くっ……! キリがないですね!」
いつもは平然としているリュートの顔から余裕が消える。それでも彼は悪態をつきながら、次々と迫る触手を切り払い、道を切り開いていく。
残り50メートル。原初の魔王に近づくにつれ、触手の密度が目に見えて上がっていく。触手を断ち切ったとしても、すぐに再生する。
「危ない! 守備強化!」
ルイスが咄嗟に盾を構え、強化魔法を展開する。ガラムの背後から迫っていた触手を、その巨大な盾で弾き飛ばした。
「さすがサイトーが準備したアーティファクト級の装備だな……!」
ルイスが感嘆の声を漏らす。勇者の盾改め、竜の盾は、原初の魔人の攻撃にもびくともしない。
残り20メートル。触手の数がさらに倍増し、前がよく見えなくなってくる。
「行けるぞ!」
ガラムが自分を鼓舞するように、息を荒げながらも叫ぶ。彼の声に押されるように、全員の足が一歩ずつ前へと進む。目標の胴体――黒い絶壁のような切り口は、もうすぐそこだ。
残り5メートル。ギルが汗を滲ませながら一歩、また一歩と進む。あと数歩――そう思ったその瞬間だった。
ビシィッッ!!
原初の魔王の触手が、一斉に動きを止めた。そして、次の瞬間、あちこちの触手の先端から鋭い棘が生え出し、嵐のように襲いかかってきた。
「これは……アリシアを貫いたやつと同じか!」
ギルが叫ぶ。もう誰も倒れるわけにはいかない。
「やらせるかよっ!」
四人は背中合わせに円陣を組み、お互いを守りながら攻撃を受け止める。ルイスの盾が火花を散らし、ガラムの剣が周囲の棘を叩き切る。ギルの拳が棘をいなし、リュートの手刀が宙に舞う。
だが、攻撃は止まらない。守るのが精一杯で、一歩も前に進めない。
「くそ……あと少しなのに……!」
ルイスが歯噛みしたその時――
「みんな! 大丈夫!? 助けに来たよ!!」
上空から声がする。見上げると、光を背にして二つの影が飛んでいる。魔王の影に乗り、風を切って舞い降りるのは――リリアとバーキッシュだった。崩壊した魔王城から、彼らはこの戦場へと駆けつけてきたようだ。
「……これは、なんだ……?」
バーキッシュが絶句した。眼前に広がるのは、異形の塊――原初の魔王。まるで世界の闇が具現化したようなその存在を前に、彼でさえ言葉を失う。
「説明はあとだ! この触手と棘を、何とかできないか!?」
四方八方から襲い来る棘を打ち払いながら、リュートが怒鳴る。金属音が響き、火花が散る。
「やってみる! ――シャドウ・サーバント!!」
リリアが詠唱を終えると同時に、足元から黒い霧が広がった。無数の影が蠢き、触手に絡みつく。一瞬、触手の動きが鈍る――が、それもほんの数秒。触手は霧を裂き、再び暴れ始めた。
「くっ、手ごわいわね……!」
一方でバーキッシュは、空気に触れて蒸発する棘のかけらを見て、ひらめく。
「――これは、魔素の塊か! なら……触手そのものも操れるはずだ!」
彼は手を突き出し、詠唱を開始する。低く響く声が空気を震わせた。
「闇よ、我が意に従え――!」
瞬間、一本の触手が制御を失い、他の触手をなぎ倒し始めた。
「おおっ!」
その場にいた全員の目が見開かれる。一瞬の突破口――。
「今のうちに行けっ!!」
ギルの叫びに、ルイス、ガラム、リュートが続く。
切り立つ黒い壁まで、あと1メートル。
だがその瞬間、バーキッシュの操る触手が他の触手に引き裂かれ、支配が途切れる。再び無数の棘が四人を狙って殺到する。
「くっ……!」
ギル達が攻撃を再びしのいでいるとき――
「きゃっ!」
触手の破片が弾丸のように飛び、リリアを直撃した。そのままバランスを崩して、地面に叩きつけられ、砂煙が上がる。リリアの目の前に――原初の魔王の胴体。
「リリア! 離れろ!」
ルイスの悲鳴が響く。――だがその瞬間、ルイスの腕輪からサイトーの声が聞こえた。
「――アリシアからもらったスタンプを、そいつに押せ!!」
「えっ!? は? はいっ!!」
状況を理解する暇もなく、リリアは懐から小袋を取り出す。それは、晩餐会で魔王就任の記念にアリシアから受け取った奇妙なスタンプ――
彼女は震える手で、それを原初の魔王の胴体へ――
ぺたっ
軽い音とともに、スタンプが黒い表皮に押し当てられる。
――ドウッ!
次の瞬間、黒い肌の上に、さらに黒い幾何学模様が刻まれる。まるで闇が別の闇に上書きされていくように、あっという間に模様があたり一面に広がっていった。
「よくやった! あとはこっちで何とかする!!」
サイトーの声が、ルイスの腕輪を通して響き渡る。
「え? これでよかったの?」
呆然とするリリアをバーキッシュが慌てて回収する。棘の脅威は収まっていない。ギル達も目標達成を確認し、今度は徐々に退いていった。
「サイトーあとは任せたぞ」
ギルは腕輪にそうつぶやく。




