第10話 黒い霧
ゴーレムの咆哮が街を震わせる。その巨体が大地を揺らして、グラスノヴァの街を蹂躙する。
「あんなにでかいのに、防御も完璧とか、反則じゃない!」
走りながらアリシアが叫ぶ。
「全くだ。ゴーレムの外皮は石でできてて刃も魔法も通らないし、核になってるおでこの大司教はスライムで守られてる……どっちから攻めるべきか……」
ユキチは歯噛みした。ゴーレムの頭にくっついてる大司教は、相変わらずうつろな目をしていた。そしてそんな大司教を守るのは──かつて分裂したラムネの片割れ。
そのとき、ユキチとアリシアの前にラムネが飛び出した。
「ラムネ! 無事だったか?」
ユキチの問いにラムネは大きくうなづく。そのラムネを見ながらアリシアはつぶやく。
「相手がスライムなら……こっちもスライムで……でも質量が……」
「アリシア、何か思いついたのか?」
独り言を続けるアリシアに声をかけるユキチ。
「──これなら! 二人とも! 来て!」
アリシアは再びゴーレムの方に走り出した。
「くそっ! なんなんだよ。まぁいい。勝ち目があるなら乗るのみだ。……あいつはああ見えて頼りになるんだぜ。大丈夫だ。行こう、ラムネ」
そう言うとラムネを頭に乗せて、ユキチもアリシア後を追う。
アリシアが向かった先はゴーレム──ではなく、その向こう、ゴーレムが現れた元ロシアナ大聖堂の跡地。大聖堂の面影はどこにもなく、崩れた壁や天井があちこちに散らばっている。
「こんなところに来て、どうしたんだよ」
「ちょっとまってね。確かこの辺に……」
アリシアは今にも崩れそうな瓦礫の一角に頭を突っ込むと、奥に潜りながら探し物をしている。
「あった!」
ずりずりと引き出してきたのは、聖水が入っている木箱。
「この下にも何個かあるわ」
「ほう。で、これをどうするんだい?」
「これを──こうするの!」
アリシアはおもむろに聖水の蓋を取ると、ユキチの手元にいたラムネに瓶ごと突っ込んだ。
「これに私の魔力を加えて……」
すると、ラムネが薄く光る。そしてやや膨らむ。
「おお!?」
「ほらユキチ、ぼーっとしてないで聖水入れるの手伝って!」
──それからしばらく、バケツリレーをする二人。周りには大量の使用済みの瓶が散らばっている。
「なぁ、まだやるのか?」
「ラムネの元の大きさは人の頭くらいって言ってたわよね──だから、向こうの野生ラムネに対抗するなら、せめて、それと同じくらいにはラムネに大きくなってもらわないと」
「そういうことね」
頷くユキチ。
「おっきくなったラムネを私の魔力で更に強化して、野生ラムネをやっつけちゃおうって寸法よ!」
「なるほどね。打撃や斬撃は効かないけど、同じスライム同士ならあのバリアにも攻撃は通るってことか。……行けるよな? ラムネ」
ラムネは、突然の二人からの期待のまなざしに、不安そうに震える。
「大丈夫。あなたならやれる。なぜって、このあたしが全力で応援するんだから」
──アリシアの謎の自信に苦笑いするユキチ。ラムネも聖水を次々に吸収して、人のあまたの大きさどころか、ちょっとした大きな岩石くらいの大きさにまで急成長した。
「すげぇ。こんなでかいスライム見たことないぞ」
ちょっと楽しそうなユキチ。そうこうしているうちにも、遠くではゴーレムの足音と人々の悲鳴が聞こえている。
「よし。準備はできた! あとは手はず通りにね! よろしく! ラムネ! ユキチ!」
「おう! でもラムネ。重くなったな。あそこまで運ぶのも一苦労だぞ」
「そうね……これを借りましょう!」
そう言ってアリシアは、どこかから一輪の手押し車を持ってきた。
「これを押すのは……俺ってわけね。いいぜ。飛ばすから、振り落とされるなよ、ラムネ!」
こうして舞台は再び戦場へ──
街中で暴れているゴーレムの後ろから、忍び寄るアリシアたち。ラムネは手押し車からずるりと這い出し、大司教を守るゴーレムのバリアをじっと見つめる。
「……行ける?」
アリシアが問いかけると、ラムネは力強く、頷いた。
「……わかった。あたしが合図を出すわ。そしたら作戦開始よ!」
アリシアはゴーレムの正面に回ると、両手から持てるだけの聖水の瓶を取り出し、大司教に向かって投げる。
「まずは仕切り直しの挨拶よ!」
宙を舞う聖水に向かって魔力を放つ。強烈な眩い白光が弾けた。さすがに顔までは届かなかったものの、ゴーレムの胸元で閃光が走る。目くらましには十分だ。
動きが止まったゴーレムの死角から、ラムネがしゅるしゅるとゴーレムの足に取り付き、染み込むようゴーレムの隙間を通って頭を目指していく。
「こっちだ! デカブツ!」
ユキチがゴーレムの気を逸らすように、挑発する。ゴーレムがユキチの方にゆっくりと振り返り、踏みつぶそうする。それをかわすユキチ。そしてゴーレムが何度目かの足を上げたその瞬間……ゴーレム頭部のバリアがぐにゃっとゆがむ。ラムネが野生ラムネに攻撃を始めたのだ。
スライム同士の戦いは外部からはよく分からないが、聖水とアリシアの力で大きく、強くなったラムネが優勢のようだった。大司教を守るバリアはぐにゃぐにゃしながら、次第に崩れていく。
「よし……今だっ!」
ユキチはその隙を見逃さない。速攻でゴーレムを駆け上がり、大司教へ肉薄する。
「おらあああああっ!!」
もうユキチの攻撃を遮るものは何もない。ユキチの拳が唸り、大司教の顔面を捉えた。大司教はきれいにゴーレムの頭からはがれ、夜空に飛んでいく。
「よっしゃー!」
額の大司教が離れると、ゴーレムもバランスを崩して片膝をつく。ついでに大司教の手から離れた例の本が、きれいな放物線を描き、下で様子を見ていたアリシアの顔面に直撃した。
「へぶっ!……なにこれ? 禁書? どうして?」
鼻を抑えながら手元の本を観察するアリシア。その脇で片膝をついたゴーレムは崩壊をはじめ────ない。それどころか、また立ち上がろうとする。
「くそっ! なんでだよ……まだ、止まらねぇのか!?」
大司教を失ったことで制御を失ったゴーレムが、暴走を始める。 蒸気のような魔力の煙が体のあちこちから噴き出し、岩石の隙間の関節は赤黒く脈打つ。 そして胴体の中心部──球状の物体が、不気味に赤く明滅していた。
「あれが核か!? やっぱり頭じゃなくて胴体にあったじゃねぇかっ!」
ユキチが叫んだ。
「そうみたい! でも大司教が離れるまで光ってなかったってことは、大司教と今光ってる核でワンセットだったのかも! とにかく、あれを壊せば、ゴーレムは止まるはず!」
「そう願うぜ!」
試しにナイフを光っている場所に投げてみるも、
「カンッ」
とはじかれてしまう。
「どうする? アリシア? あの核を壊すには、その周りの硬そうな殻をまずはどうにかしないと──俺の攻撃じゃ傷もつけられない」
「ちょっと待ってね。もしかするとこの本に何か手掛かりがあるかも」
アリシアが鼻血を出しながら、真剣な顔で禁書を読んでいる。鼻血が出ているのは本が顔面を直撃したからか。それとも、別の理由があるのか──それはアリシアにしかわからない。
「えっ……」
「うわっ……」
頬を赤らめつつも禁書をすごいスピードで読み進めるアリシア。
そして出した結論。
「よし! この本にはゴーレムについては書かれてなかったけど、スライムを強制使役する方法ならわかったわ!」
「さっきのおっさんは、それを使って野生のラムネを使役していたのか!」
「そういうこと! そして、大司教と野生スライムがいなくなって、あのゴーレムは制御を失った……つまり、あのゴーレムはスライムを介して動かしていたのよ!──そしてそれなら、今のラムネでも同じようにできるはず!」
禁書を懐にしまうと、勝利の糸口を見つけた喜びで、ガッツポーズをするアリシア。
「ラムネとあたしで力を合わせて、あのゴーレムをコントロールを奪う! あの大司教にできて、あたしたちにできないはずがない!」
「ラムネ! あたしと従魔契約結んでくれる? 強引な形になっちゃって悪いんだけど……このゴーレムを止めることができるのは、あなたしかいないの……!」
ゴーレムの隙間からにゅっと出てきたラムネ。ぷるぷる震えてる。多分OKの震え方だ! そう認識したアリシアは、胸の前に指でハートマークを作ると、先ほどの禁書に書かれていたスライム使役の儀式を始める──
「ぷるぷるの名のもとに契りましょっ☆聖なるしずくは輪になって、とろける心は拒まない──ラムネ! 私の声にぷるっと答えて!」
(呪文まで最低だ──)
傍で首を振るユキチ。ふざけた呪文を唱えても真剣な顔のアリシア。そしてそれまでの愛らしい呪文とは打って変わって、アリシアの喉から不協和な音列が漏れだす。
「ヴルゥ・グ=ググ=ネ゛リュ……ホァ・シ=ブゥル=トクァ、ナ゛ラ゛=メェル」
アリシアの言葉が空間を濁らせ、ゴーレムの節々に入り込んでいたラムネが光りだす。
「ロロ☆ラ☆サンクティ♡」
仕上げにアリシアが投げキッスをすると、ラムネの光がより一層強くなる。
「おお!?」
「よし! これでうまくいったはず」
「それにしてもすごい儀式だったな。これをあのむっつりのおっさんがやったと思うとぞっとするぜ」
「……それは言わないで……それはそうと、ラムネ、聞こえる? さっき戦った野良ラムネの情報を吸い出して、きみが代わりにゴーレムを操作できないかしら?」
ラムネの青白い光がゴーレムの赤く光っている胴体に集まっていくのが外から見てもわかる。青白い光が徐々にゴーレムの赤黒い光を押し込む。蒸気も収まりはじめる。
「いいぞ! ラムネ! やっちまえ!」
やることのなくなったユキチは応援に回る。そしてしばらくして、ゴーレムの光が消えたと思ったら……
────ドン!────
ゴーレムの胸元から、突然禍々しい黒い霧が吹きだした。
「なんだ、あれ?」
「あたしが知るわけないでしょ。……でも、よくないものなことだけは確かね。ラムネは? 大丈夫?」
──大丈夫。という感覚が使役契約のラインを通じて伝わってくる。
ゴーレムは核も含めて全てラムネが支配した。が、ゴーレムを暴走させていた何かの因子が、ラムネに押し出されて噴き出している。そんな核からごうごうと立ちあがる黒い霧。運悪く近くを飛んでいた鳥が霧に触れたとたん、パタッと落ちる。
「あれは何だかわからねぇがやべぇ。アリシア! 間違っても吸い込むんじゃねぇぞ!」
「わかってる! って、えっ……なにこれ……?」
ふと右手に目を向けると、手の甲の刻印が光っている。
「おお!? ゴーレムやラムネだけじゃなくて、お前も光るのか?」
うらやましそうにユキチがつぶやく。
「あたしは光りたくて光ってるわけじゃないからね! ってか、これ、爆発するとかそういうんじゃないわよね。この刻印押したの、あそこでさっきまでゴーレム操ってた大司教なんですけど」
心配そうに刻印を見つめるアリシア。特に嫌な感じはしないが、不安になる。
そうこうしている間にも、立ち込める黒い霧が広がり、アリシアとユキチに迫る。
「──こっちこないで、やだ、やだ、やだ!」
アリシアは半泣きになって走りながら、近づいてくる黒い霧に向かって、魔法の形にもなっていない魔力の塊を撃つ。──残念ながら、しかし想定通り、効果はなさそうだ。発せられた魔力は虚しく、霧をすり抜けてしまう。このまま黒い霧に触れてしまうと、多分ゲームオーバーだ。もちろん、コンティニューはない。
「アリシア!! 風魔法だ! 竜巻であの霧を晴らせないか?」
ユキチが走りながら、アリシアに提案する。
「だめ! あたしが使えるのは神聖魔法だけ! 風を起こすとかそういうのは……やっぱないかも」
「そうか……」
残念そうなユキチ
「あっ!」
考えながら走っていたアリシアは瓦礫につまづき、転んでしまう。
「アリシア──!」
ユキチの声もむなしく、アリシアが黒い霧に飲み込まれる、その瞬間──
輝く刻印の右手が、アリシアの意思とは無関係に霧に向けられた。
「え……ちょっ……ちょっと、なにこれ──手が動かない……」
転んだことに加え、右手が動かない、黒い霧に飲み込まれる。アリシアは、いよいよパニックになる。
そして、アリシアの口から、アリシアの知らない言葉が、またしてもアリシアの意思とは無関係に発せられる。
「ズ=ッハグ・ネ゛ェル=トクァ、ヒ゜シ・ュル=ァォ、グ、グルゥヴ=ァ=ル=ググル……」
恐怖で首を振る。口から洩れる言葉は続く。口が勝手に紡ぐ言葉は、心なしか、さっきのラムネとの契約呪文に似た響きがする。発音の一部は可聴域を超えている。右手も未だ動かず、黒い霧の奥に向けられたままだ。刻印の光だけがさらに輝きを増す。
「コォ・ナラ゛=ピシィ=ラフ、クァ=ァム・ルゥゥゥ・ズバグ、エ=シャグ=ク・チョワ=ンォ……」
いつ終わるとも知れない、長い詠唱が終わると同時に、強力な光の奔流が右手からほとばしる。黒い霧はその光に切り裂かれていく。白い閃光のなか、黒い霧が悲鳴のような音を立てながら消えていく。そして、その隙間からのぞく夜空には丸い月が浮かんでいた。
────静寂。
「終わった……のか──?」
白い光も黒い霧も消え、静か。呆然と座り込むアリシアと、そのそばで立ちつくすユキチ。アリシアをそっと見ると、その右手の刻印はもう光っていなかった。
「立てるか、アリシア? 怪我はないか?」
アリシアに手を差し伸べながら心配そうに聞く。
「今のは──?」
ユキチの手を取りつつも、未だに状況が理解できない。
「お前がやったんだろ。すごいじゃないか。切り札があるなら、あるって言ってくれよ。ひやひやさせやがって」
「いや、あたしじゃない。あたしも、もうダメかと思ったの……それなのに右手が突然勝手に動き出して……」
「それこそが……神の……ご加護です……」
向こうから大司教が歩いてくる。ほっぺたはユキチに殴られた跡がついており、真っ赤に腫れている。
「わ! むっつり大司教!」
叫ぶアリシア。
「ん……? むっつり……?」
聖職者にそぐわない呼び名に、首をかしげる大司教。
「あはは。気にしないでください」
「あの光は、おそらく古の文献に記されていた神の光。すべての悪しきものを払うといわれています」
「なんでまた、そんなすごいものがあたしの右手から……?」
「それはわかりません。神の導きとしか……私も初めて目にしました」
「それにしても、お前、なんであんなところにいたんだよ?」
「すみません。あんなところとは……? お恥ずかしながら記憶があいまいで……」
「お前が、あのゴーレムに乗って、街を破壊してたんだよ」
「街を……? 私が……? ゴーレム……?────うわぁぁ!」
大司教が振り返ると、目の前にはゴーレムの残骸。その周囲には瓦礫だらけの街並み。その驚き方は演技ではなさそうだ。街のあちこちではまだ混乱が収まっておらず、夜の暗がりの中、あちこちで起きている火事の明かりがその凄惨な状況をところどころ照らしている。それを見た大司教は、静寂の大神殿の責任者とは思えない大声を出した。
「こ──これは、一体!? 街が、大聖堂が──!」
きれいだったグラスノヴァの街並みも、遠くからもよく見えたあの威厳ある大聖堂も、今は跡形もない。
「その様子だと、本当に何も覚えてないっぽいな」
皮肉交じりにユキチの口角が上がる。
「これ、あんたがやったんだよ。もしくは、あんたを操っていた何かが──」
「そんな──」
──グガガガガ……
その時、ゴーレムがゆっくりと動き出した。
「まだ終わらないのか──」
「──大丈夫。あれはラムネよ」
アリシアの声にこたえるかのように、ゴーレムが、ズンッ、とジャンプする。
「あぁ──確かに。ラムネだ」
「ラムネ、そこにいると、みんな怖がるから、大聖堂のあった場所に行ってくれない?」
ゴーレムはぎこちなくうなづくと、大聖堂跡地へ歩き出した。
「──おーい。あんたら、大丈夫だったかい?」
遠くから走ってきたのはおかみさんとトネリ。避難する住民を誘導していたところ、ゴーレムに立ち向かうアリシアとユキチを見かけて、遠目に見ていたらしい。
「なんだったい、ありゃぁ──私たちの街をめちゃくちゃにしやがって」
率直な市民の声を聴いて、思わず顔を伏せる大司教。
「それにしても、あんた、その姿──」
おかみさんがまじまじとユキチを見つめる。
ゴーレムとの戦いで衣服はあちこちボロボロ。そしていつも顔に巻いていたマフラーも、ちぎれて、もうほとんど糸。月明かりの下、ありのままのユキチの姿が照らし出される。
「ゴブリン──?」
おかみさんの声が、瓦礫の街にこだまする。




