第97話 魔王ガイラム
「さて――残るはあんただけみたいだぜ。ガラム……いや、魔王ガイラム」
ユキチがガラムに向き直る。
「ふっ――。リュートとシロを倒して浮かれているようだが……我が配下を何人倒そうが、私が一人いれば人間を滅ぼすなど、たやすいことだ」
ジッ――
ユキチの視界が一瞬ずれる。気がつくと、ガイラムが真後ろに立っていた。いつも間にか、ルイスとギルは壁に叩きつけられている。アリシアは少し離れた場所で、ルメールと共に座り込んでいた。
「なんとも隙だらけだな。……これでどう私を倒すというのだ」
落胆したようにガイラムがつぶやく。その声には、ほんの少しの嘲笑が混じっていた。
詠唱なしの時間停止。ユキチがリュート戦で使ったパラレルシフトとは違う。――これは正真正銘の禁呪だ。魔王になったことで、遠慮なく禁呪を使ってきやがる。連発されたら勝ち目はない。
(――やるなら、今だ。……フォーカスシフト)
ユキチは振り返りざまに、もう一つの新しい魔法を発動させる。それは、すべての魔法の効果を受け流す効果を持っている魔法。自分に有利に働く強化魔法や回復魔法も効かなくなるのがデメリットだが、今はそれよりも禁呪の対策が優先だ。そして、魔法がかかったのを確認すると、ガイラムを挑発する。
「すまんすまん。"よーいどん"の合図を聞き漏らしたみたいだ」
「ふん。減らず口を」
ガイラムが再び時間を止める。その瞬間――本来なら、ガイラム以外のすべての存在の動きが停止するはずだった。だが、今回は何かが違う。油断したガイラムの懐に、ユキチが迫る。
「なにっ――!」
ガイラムは紙一重でユキチのナイフをかわす。だが胸元が浅く裂け、血が一筋こぼれた。ガイラムは落ち着いて周囲を見渡す。空中に浮いたままの瓦礫。はためかないカーテン。確かに、時間は停止している。――だとすると、目の前のこいつは何なのか。
「貴様……どうやってこの俺の魔法を回避した?」
「さあな。自分で考えな」
ユキチは肩をすくめると、にやりと笑った。
「それより――時間止めたままでいいのか? 時間が止まった世界じゃ、攻撃魔法の効果も止まるぜ。ま、肉弾戦がお望みなら、俺は別に構わないけどな」
言葉と同時に、ユキチがび地を蹴る。光の残像を残して、ナイフが閃いた。
「ちっ!」
ガイラムは苦々しく舌打ちをする。確かに――時間が止まった世界では、炎の魔法すら手から離れず、魔力のまま空中で止まってしまう。
「時間停止にそんな弱点があるとはな……だが、それがどうした!」
ガイラムが歯噛みしながら時間停止の呪文を解除すると同時に、右手で炎の束をユキチへと放つ。
ユキチはそれを、まるで予見していたかのように軽やかにかわした。
「なんだ、時間を止めるのはもうおしまいか?」
「はっ! 威勢のいいゴブリンだな!」
ガイラムの周囲に炎が渦を巻く。地面が焼け焦げ、空気がゆがむ――。
「いててて……何があったんだ?」
壁にめり込んでいたギルが起き上がり、ルイスも立ち上がる。
「お、ギル、ルイス! 大丈夫か? 一気に畳み込むぞ! ラストスパートだ!」
「おおっ? よくわからんが、分かったぜ! うおおおおお!!」
ギルはガイラムの放つ炎をものともせず突っ込んでいく。
「心頭滅却すれば火もまた涼し――って、そんなわけあるか! あっちぃ!!」
――そしてガイラムを取り囲む炎の壁に弾かれる。
「おまえ、何やってんだよ!」
「いや、勢いで何とかなるかと思ったんだが……!」
パタパタと焦げた法衣を叩いて火を消すギル。
「おまえ、若返ってバカになったのか?」
「失礼だな! ちょっと元気があり余ってるだけだ!」
ギルが両の掌を合わせ、息を吸い込む。
「それなら、こうだ! 見てろよ――豪波・滅殺断罪掌!!」
長年研鑽した体術と、若返った肉体が組み合わさり、これまでの彼とは次元が違う威力の衝撃波が発生する。床の表面がめくれ、ガイラムを包む炎が一瞬で吹き飛ぶ。
「へぇ、これが全盛期の“断罪旋風”の姿ってわけか……!」
ユキチが目を見張る。
「調子に――乗るなぁッ!!」
怒り狂ったガイラムが、魔力を凝縮させた黒炎の槍をギルに放つ。
だが、その矢先――
「させないよッ!」
ルイスが持ち前の大盾で割って入り、炎の槍を受け止める。
「――守備力強化!!」
盾で槍をはじくと、方向がずれた槍は、広間の壁に刺さって爆散した。肩で息をするルイス。地を踏みしめて立ち続ける。
だが、ルイスが防いだその先から――ガイラムの周りに新たな魔力の槍が次々と生成され、ルイスを襲う。
「くっ……これ、ちょっと持たないかも……!」
歯を食いしばりながら、弱音を吐くルイス。
「がんばれ! おれが何とかする――パラレルシフト!!」
「なにっ!?」
周りに無数のユキチの分身が現れ、四方八方からガイラムに襲いかかる。
「ぐっ……こ、これは……いったい……?」
ガイラムが受ける衝撃は、現実の痛みとして脳に刻まれる。ガイラムの攻撃が止まる――そこに、ルイスが駆け寄り、右手を振り上げる。
「ガラム……目を、さませぇーーっ!!」
叫びとともに、ルイスの右手が思いっ切り下ろされる。
ぱぁん――
乾いた音が響き――ガイラムの仮面が吹き飛んだ。
仮面が外れ、露わになったガイラムの素顔は、案の定、無表情のガラム。慣れ知った顔に、ルイスは一瞬、ためらう。――だが次の瞬間、その頭を抱きしめ――唇を重ねた。
「えっ……!?!?」
空気が凍りついた。アリシアは思わず目をおおう。声を失うギル。だが、ユキチだけは冷静だった。
「いまだ――アリシア! 頼む!」
「……!? わかったわ!」
ユキチの指示で自我を取り戻すアリシア。ルメールのおかげで魔力はだいぶ回復した。今唱えるべき呪文は覚えている。右手を掲げて、声高らかに唱える――。
「――オル・セイン!」
それは、ヴェルドットがノル=ヴェリスの人々を操った、人の魂に命令を刻む禁呪。床から金色の鎖が伸び、ガラムとルイスを包み込むように絡みつく。だが――
「しまった! ルイスにもかかっちゃった!!」
慌てるアリシア。ガラムだけでなく、ルイスの目も操り人形のように虚ろになっている。
「しょうがねぇ! チャンスは今しかねぇ、やっちまえ!!」
なんなら、あとで命令を修正すればいい。
「で、でも……命令、命令……どうしよう!?!?」
アリシアがパニックになるうちに、キスしたままの二人は鎖でがんじがらめになっていく。その光景を前に、アリシアは思わず口にしていた。
「――命じる!」
その声は震えていたが、覚悟を感じる。
「健やかなる時も 病める時も
喜びの時も 悲しみの時も
富める時も 貧しい時も
これを愛し 敬い 慰め合い 共に助け合い
その命ある限り 真心を尽くすことを誓いなさい――」
金色の鎖が淡く光り、やがて二人の身体に溶け込むように消えていった。
「おい、アリシア……それって結婚式の時に言うやつじゃ……」
ユキチがなんとも言えない顔をする。様子を見ていたギルも苦笑い。
「しょうがないじゃない! あんな二人見せつけられたら、これしか思いつかないわよ!」
そして誰も気づかなかったが――広間の遠くの床の上で、無意識のままリュートが悔しそうに唇を噛んでいた。
「ともあれ……これで、シシドの呪いは解けたはずよ!」
アリシアは額の汗を拭う。鎖が完全に消え、抱き合ったまま倒れるガラムとルイス。その姿を見て、ユキチがため息をつく。
「……見せつけてくれちゃって、まったく」
だが――話は、そう簡単ではなかった。
倒れたはずのガラムの身体に、黒い魔素が再び集まりはじめる。その魔素は脈動するようにうねり、ガラムの中へと溶け込んでいく。
「我は――魔王ガイラム」
そして、再び響く低い声。
「そ、そんな……魂の命令は解除したはずなのに!」
アリシアの悲痛な叫びが広間にこだまする。
「くそっ! どういうことなんだよ……!」
ユキチが悪態をつく。ガラムの身体を中心に、黒い魔力が渦を巻きはじめる。その濃度は、バーキッシュが使うの魔王の影など比べ物にならない。渦の影響で空間そのものがひずみ、床の石が音もなく砕け散っていく。
――触れたら、確実にただでは済まない。
ユキチは渦の魔力のわずかな隙を狙うが、仕掛けるチャンスは全く訪れない。ギルはまだ意識の戻らないルイスを抱え、後方へと退避した。
そのときだった。
「シーキュー、シーキュー。あー、もしもし。聞こえるか?」
ユキチたちの腕輪から、突然、聞き覚えのない男の声が響く。
「え? だ、誰?」
突然の声にアリシアが動揺する。
だが、その声を聞いたユキチの目が大きく見開かれた。
「そうだよな。急に話しかけられたら驚くよな」
その声は穏やかだったが、不思議な力強さがある。
「――俺はサイトー。ユキチと一緒に旅をしていた人だよ」
ユキチの胸の奥に懐かしさがこみあげてくる。




