追放
旅はいつも突然に。
でも準備はしっかりと。
「アリシア=ラフェル──お前はもう、追放だ!」
木造のこじんまりした教会が、神官長の怒声でビリビリと震えた。日課の掃除をみんなとしていたアリシアはぽかんとした顔で頬をぽりぽりとかいていた。
「……へ?」
場の空気が凍りつく。
神官長は顔を真っ赤にして、口元には泡がある。
「へ? じゃないッ! 貴様、よくもあの奇跡の果実”を──!」
「え、それ……なんですか?」
アリシアは完全に心当たりがない顔。というより、本気で忘れている。
「昨日、台所から勝手につまんだそうではないか!」
「あっ……」
アリシアの脳裏に、昨夜の記憶《醜態》がようやくよみがえる。深夜、空腹と酒の勢いで台所に忍び込み、なんかド派手に光ってる果物を興味本位で食べた──気がする。
「もしかして──あのキラキラしてたしてた果物のことですか?いやいや、あれは普通に台所に転がってて、あのままだと痛んじゃうかなーと思って……それに食べてほしそうな顔をしてたし……それなら私がって……」
「そんなわけないだろう!!」
神官長の額に青筋が浮かぶ。
「あれは明日、王女殿下のご来訪に合わせて──王女の聖魔力向上のために献上する予定だった聖果なのだ! 王国の予算で数年かけて育てた神樹が、ようやく実らせた奇跡の果実! それを、お前……!」
「えっ、高級品だったんですか。どおりでおいしかったわけだ……あ、でも私、ちゃんとお皿に戻しましたよ? 芯しか残ってなかったけど」
「ふざけるなーーッ!!」
「きゃあああっ!?」
決してふざけてはいないのに、ふざけるなと言われる。理不尽《意味わからない》。
そんなことを思いながらも神官長の説教はまだまだ続く。
普段ならそろそろ何か罰則の提示があって、お説教も終わるはずだが、今日はそれがない。
(追放なんて……まさかね。)
だんだん不安になりながら怒られ続けるアリシア。
それから数刻後、自室にて
「う〜ん……もしかして、私、やらかした……?」
神官長は長い説教のあと、そのままアリシアを釈放した。それにしても奇跡の果実って。そう言われてみれば、昨日はあれだけ飲んだのに、二日酔いしてない。むしろ、身体が軽い。それに、お肌の調子までいい気がする。二日酔いがない朝がこんなにも爽快だなんて。これがあの奇跡の果実の効果というやつなのか。すばらしい。王族はいつもこういうものを食べているのだろうか。だとしたら何たる格差社会。
「ていうか、なんでそんな大事な果実を、無防備に台所に置いてたのよ……」
ぶつぶつ言いながら寝転がっていると、神官長がやってきた。
その手には小さな袋。中身は、硬いパンと乾燥肉、そして銀貨が数枚。
「アリシア=ラフェル。お前には“聖地巡礼”の旅に出てもらう」
「はぇ?」
「各大陸の大聖堂を巡り、祈りを捧げるのだ。そして、聖都アルカナにて神の祝福を受けることで巡礼は完遂される。そうすれば、今日の、いや、それまでのお前が引き起こした数々の問題も帳消しにできるほどの栄光がお前にもたらされるであろう。──それが果たされるまで、ここに戻ってくることは許さん」
「ちょっと待ってください!"聖地巡礼"って死者続出するアレですよね!? いやいやいや、私回復魔法は得意ですけど、戦闘スキルはゼロですし……金ピカの果物食べたことは謝りますから。それに王女様には、もっと別のおいしいものを召し上がってもらうとかすれば、その、ええと――」
もはや言い訳にもならない言葉を必死で並べ立てるアリシアを、神官長は冷たく見下ろす。
「出発は2時間後。それまでに荷物をまとめるように。」
ヒルタウンの下町は、昼から活気づいていた。食べ物の香ばしい匂いと、そこかしこから聞こえる人々の笑い声。 それに反して、丘の上からとぼとぼ降りてきたアリシアの表情は沈んでいた。
「巡礼ねぇ……死ぬまで帰ってくるなってことじゃん、実質」
荷袋の中でパンが乾いた音を立てる。生まれてこの方旅なんてしたこともない。だが──
「ま、悩んでもしょうがない。こんなときこそうまい酒ってね」
下町を歩いているアリシアは、ふらりと看板を見上げた。 丸々と太った鶏が誇らしげに翼を広げる、あの酒場。 ヒルタウンでもっとも活気のある酒場、赤鶏亭》。
扉をばーんと押し開けると、午後の赤鶏亭はちょうどランチと昼飲みの客でにぎわっていた。
「いらっしゃ……あ、アリシアちゃん? 今日は巡回の日だったっけ?」
「いやいや、今日はお客様。旅立ち記念に一杯ってね。……まあ、片道切符だけどねっ!」
「ほぉ、片道って……またずいぶんと穏やかじゃないな」
「うん。ちょっとね。つい手がすべって、口もすべって、色々すべった結果って感じ?」
「なんだそりゃ、神官やめてフィギュアスケーターにでもなったらどうだい?」
「フィギュアスケーターのことはよく知らないけど、神殿からは追い出されちゃって、今はただの旅人。追放済みの、ぴっかぴかの失職シスター!」
「何を言ってるかよくわからんが……まあ、人生いろいろあるわな。んじゃ、悩める失職シスターには、赤鶏亭特製のやけ酒セットだ。」
「さすがマスター! わかってる!」
「ちくしょー……神官長のばか! 私の食欲とキラキラりんご、どっちが大事だって話なんだよ。 それにあーしに巡礼の旅とか……無理に決まってんじゃん ばーかばーか!」
「アリシアちゃん、もうそろそろ……」
マスターの心配をよそに、アリシアの前には空いたジョッキが山のように積まれている。
「まだまだ大丈ぶ!それよりマスター!ビール追加!でかいやつ!あとソーセージと、焼き鳥盛り合わせと……あと、あのお兄さんが食べてるやつ!」
アリシアが指さした先酒場の隅、フードを深くかぶりマフラーで顔を隠した旅人──彼は、静かに席に座っていた。彼の前にはちょうど、赤鶏亭裏メニュー・炭火つくねが運ばれてきていた。香ばしいネギ、甘辛いタレ、そしてとろりとした半熟卵。湯気が上がり、食欲を誘う。
そこに、アリシアがずかずかとやってくる。
「なにこれ、超うまそうなんですけどー。……一口、ねっ♪」
「えっ、それ俺の──」
「いただきっ!」
もぐもぐ。笑顔。ビールをぐいっ。
「うっま~~!! ねぇなにこれ、鶏なの? 神なの!? 最高すぎるんですけど!!」
「いや、だから、それ……俺の……」
マフラーの下から控えめな抗議の声が漏れる。だがアリシアは完全に酔っ払いモードに突入していた。
「いいじゃないの〜、あんたも一人でさびしそうだったしさ〜。ねえ、旅人でしょ? どっから来たの? ニワトリの国?」
つくねをぺろっと平らげると、酒をぐびりとあおり、テーブルにごろんと頭を乗せた。
「は~~~……世界、回りたくない……巡礼とか、絶対向いてない……」
(……俺のつくね……)
ぼそっと呟いた彼の声は、アリシアには届かなかった。
「……で、あんた、名前は?」
「えっ」
「なんかこそこそしてるし、地元民じゃなさそう。てことは旅人? いいじゃん! 旅人同盟結ぼ? 私も今日放浪決定しちゃったばっかでさぁ!」
「えぇ……」
「 はい、あたしたちの出会いに乾杯~!!」
彼は言葉に詰まりながら、この街に来て初めて、関わっちゃダメな人に声をかけられたと後悔した。
つくねを食べられ、しょんぼりしていた彼は、そっと手を挙げてマスターに追加注文を伝えようとした。
「あの、すみませ──」
──バンッ!
タイミング悪く、酒場の扉が勢いよく開いた。
「看板のわりに、ずいぶんしけた酒場だな……っと」
入ってきたのは、見るからに荒くれ者の一団。 汚れた鎧に酒くさい息、目つきも悪い。通りがかった人が露骨に顔をそらすレベルだ。
「おっ、なんだよ。シスターじゃねぇか。お祈りより先に酒か?」
リーダー格らしき大男が、アリシアに絡み始める。アリシアは、ジョッキを持ったままふんわりと振り返る。
「知らないの?ビールは神が遣わした奇跡なのよ?麦の恵みは神の恵み!」
「ははっ、わかってるじゃねぇか! じゃあよ、俺らに一杯、酌してくれや。そんで隣、空いてるよな?」
アリシアはにこっと笑って返す。
「……いま、友達と楽しく飲んでるの。わからない?」
(……友達……?)
つくねを強奪された彼の手は追加で注文しようとまだ上がったままだ。
「それにね、汗臭い男とお酒飲むと、せっかくのお酒に匂いがうつっちゃうのよ。悪いけど──他をあたって」
男のこめかみがピクリと跳ねた。
「てめぇ……」
「へぇ、なめた口きくなよ、シスター風情が……!」
リーダー格の男が立ち上がり、拳を振り上げると、
「……その辺でやめときなよ。」
ぼそりと、隣の彼が言った。
その声は小さく、けれど不思議と通る声だった。
「はぁ?なんだお前、ガキか?しゃしゃってんじゃ──」
男が標的を変えて殴りかかろうとしたそのとき、吹っ飛んだのは大男の方だった。
ドサッ!
「よくもアニキをーーッ!!」
突っ込んできた子分達も、軽く足を払われて床に転がる。
「……行こう。これ以上はお店に迷惑だ。」
「ちょ、ちょっと待って!? あたしのお酒が……まだ残ってるのにーっ!」
出口へ引きずられるアリシアの悲痛な声が、青空に響いた。