泣く。
◇◇
「──ということで、体育祭当日はA班はこちらの図の場所で待機をお願いします。各自自分の競技に出る際は先ほど配った交代表を参考に──……」
放課後の三年生の教室。今は体育祭実行委員会の会議に使わせてもらっているここの教壇に立ち、司会進行を務めるのは僕・東山 優真だ。
「東山くんは会議の進行も上手だねぇ」
「ええ。生徒会でもあんな感じにうまく回してくれるので助かってます」
「君や安西くんが彼を次の生徒会長に推すのも分かるよ」
僕の脇に控える校長先生と体育祭実行委員会兼生徒会顧問の先生が手放しで褒めてくれる声が聞こえ、いつもなら“また身の丈に合わない過大評価が……!”なんて内心で大騒ぎするところだけど、今は別のところに意識を奪われていた。
──このノート、間違えて持ってきてるな……。
会議の進行と同時に、後で議事録を作るために書いていたメモ。体育祭実行委員会用に用意したノートを今日も使っていたつもりだったけど、今日は間違えて国語のノートを持ってきてしまったようだ。
──ここまで書いてから間違えたことに気づくとか……今日は何もやらかさずに済んだと思ったのにな。
授業の時は横向きの国語仕様にして使っている大学ノートの一番端には、今日の古典の授業で作った和歌が縦書きで書かれている。
──提出は強制しないっていうから好きに詠んでみたけど、改めて見ると恥ずかしいな……。
“本当の自分を抑えつけても構わない。あなたとの恋を守るためなら”といった意味が込められているその和歌は完成度的にも内容的にも、とてもじゃないけど他人に見せられるものではない。
──まぁ、どうせこれは僕しか見ないし……。
「──待たせたな、ヒガシマルくん!」
とりあえずこのままメモをとっていって帰ったら直そう。なんて結論付けた直後に席から立ち上がりながら声を上げたのは、この体育祭実行委員会の副委員長であり──風紀委員会委員長の三年生・北川辺 銀北川辺 銀。
「さあここからは私が書記を代わろう!」
「え"っ」
190は優に超えている細身の長身、額や耳が見えるくらいの短髪によって惜しげも無く晒される華やかな美貌の中で、自信満々に丘を描く眉毛がよく目立つ。校則の通りにピシッと着こなされたブレザーの制服の左上腕部には“風紀”と書かれた腕章が燦然と輝いていた。
「そ、そんなっ、北川辺先輩のお手を煩わせるほどではっ」
「何を言うヒガシマルくんっ、体育祭実行委員長である君をサポートするのが副委員長である私の役目!……はっ、もしや一学年上であり生徒会と敵対関係にある風紀委員会委員長でもある私に引け目を感じている……!?水くさいぞヒガシマルくん、本来所属している組織は違くとも今この瞬間は私と君は体育祭の成功という同じ目標を掲げる仲間なのだから遠慮せず頼ってくれて構わないのだぞヒガシマルくん!!」
さっきまでは別の議題で使っていた資料を整理してもらってたはずだけど早々に終わらせたらしい、仲間と言いつつも名前を間違えたまま詰め寄ってくる北川辺先輩に、目の前の席に座っている僕と同じく二年生の体育祭実行委員兼生徒会役員の祖父江くんが「うどんスープかよ」とぼやく声が聞こえた。
「まっ、待ってください、せめてページを捲らせてくださいっ」
「まだ書けるではないか、そんなノートの使い方をしていたらもったいないおばけが出るぞヒガシマルくん!」
「えぇえ……」
──まずいまずいまずい、このままでは恋心を詠んだ和歌を贈るという平安貴族みたいな告白を北川辺委員長にかましてしまう!
──あと声量が目の前にいる相手に話しかけるそれじゃない!
「──失礼します」
いよいよ僕の作った和歌が北川辺先輩の目に触れてしまう、これで先輩からの返事も和歌だったらどうしよう、僕読めるかな……なんて明らかに余計な心配を胸に抱いたところで、本来ここでは聞こえるはずのない凛とした声が教室に響き渡った。
「あ、安西会長……!」
「頑張ってるようだな、東山」
思わず叫ぶように名前を呼ぶ僕に目を細めながら答えてくれたのは安西 修哉先輩。僕が副会長として補佐を務めるこの学校の生徒会長だ。
「やぁ安西!実行委員でもない君がなぜここに?」
「当日の段取りについては生徒会も無関係ではないからな、ここからは俺も参加させてもらうぞ。東山、ここからの書記は俺がやろう」
「まぁ待ちたまえ」
そうこちらへ歩いてくる安西会長の前に、北川辺先輩が立ちはだかる。
「百歩譲って、体育祭実行委員の会議に部外者の君が参加するのは許可するとしよう。だが書記は私がやる。本番直前になって思い出したように来る者より、これまでの会議の内容を正確に把握している者が書いた方が中身のあるものになると思わないか?」
「これまでの会議の内容は東山が公開している議事録で俺も把握している。それから、毎年生徒会長は体育祭では競技の原案や開会式での代表挨拶、見回りなど担っており部外者というのは適切ではないな。……去年の生徒会長からもそう説明を受けているはずだが、君たち風紀委員はその辺りの伝達が出来ていないのか?」
「……風紀委員の体制に不満があると?」
──また始まった……。
もはや恒例行事のように睨み合いを始めた安西会長と北川辺委員長にこっそりため息をつきながらも、この隙にと手元のノートのページをがばっと捲っておく。
「先輩たちもよくやるよね……」
「生徒会と風紀委員、一般生徒でも分かるくらいバチバチだもん」
「ま、二人ともイケメンだから全然見てられるけど」
会議に参加している、各クラスから二人ずつ選出された体育祭実行委員たちも、一触即発状態の安西会長と北川辺先輩に声をかけることも出来ずただただ見守っている。生徒会と風紀委員会は元々あまり仲は良くなかったけど、前任の生徒会長が服装についての校則の改定を風紀委員会に無断で進めたことでその不和は決定的なものになったらしい。
──安西会長も結構負けず嫌いだからなぁ。自分が折れて北川辺先輩に合わせるとかしたくないんだよなきっと。
「まぁまぁ北川辺くん。君には東山くんのフォローに入ってほしいし、書記は安西くんに任せておこうよ」
「……校長がそう仰るなら」
依然睨み合いを続ける二人を見かねた校長先生がそう声をかけると、渋々といった様子で北川辺先輩が元いた席に戻っていく。
「それでは東山、そのノートは俺が預かろう」
「はっ、はい!」
北川辺先輩という壁がなくなり、僕の元にやってきた安西会長に新しいページを開いたノートを渡す。
「このページに書いていけば良いんだな?」
「はいっ、お願いします!」
さっき北川辺先輩と睨み合っていた時、僕がこのタイミングでノートのページを捲っておけば良いんだと気づくまでのほんの数秒ほど安西会長がこちらに視線を向けた気がしたけど、この様子だとあの和歌は読まれていないようだ。
──まぁ見えていたとしても、数秒じゃなんて書いてあるか訳すことも難しいだろう。
「……東山」
「──はい?」
少し時間が押してしまったのでこの後は少し早足で進めるべく、次の議題を確認しようとしたところで会長に呼ばれる。何か分からないことでもあるのかとそちらを見やると端正な顔が僕の耳元に近づいていき──
「……会議が終わったらいつものところで待ってる」
……ただの後輩に向けているとはとてもじゃないけど言えないような甘さを含んだその囁きに、失われた言葉の代わりにコクコクコクと頷いて応える僕であった。
◇◇
「──会長、お待たせしましたっ!」
体育祭実行委員の会議が終わり諸々の片付けを済ませ、いつものところ──昇降口を出てすぐ脇にある花壇へ向かうと既に安西会長は待っていた。
「いや、俺も今来たところだ」
そう柔らかい微笑みを浮かべながら徐に歩き出す会長の2歩くらい後ろを付いていこうとすると、不意に立ち止まられてその背にぶつかりそうになる。
「か、会長?」
「東山」
「はい?」
「俺の言いたいことが分かるか?」
「え?……あ、は、はい……」
急な問いに一瞬戸惑うけどすぐに意味を理解して、赤面しながらもいそいそとその隣へ移動する。そんな僕を確認してから「よし」、と満足げに頷いてこちらの歩調に合わせるようにして歩き出した姿に思わずはにかんだ。
──そう。周りに言っても信じてもらえないだろうけど、安西 修哉生徒会長と僕・東山 優真は現在お付き合いをしていて、体育祭実行委員の会議や生徒会の活動が終わった今僕たちは先輩後輩ではなく恋人同士として帰路に付いたところだった。
「手間をかけさせてすまないな、東山。本来ならうちの学校は体育祭実行委員の委員長は生徒会長が兼任するのだが……北川辺とは一年生の頃からどうも馬が合わない」
「いえっ、今年の体育祭に関しては開催を5月にと提案した僕が進めるべきだと思っていたので……!会長こそ、そんな中会議に出てくださってありがとうございました。とても心強かったです」
歩きながら軽く頭を下げると、安西会長は「それなら良かった」と目を細める。眉目秀麗、質実剛健というふたつの四字熟語がぴったりはまるようなその風貌は長い手足と北川辺先輩ほどではないにしろ十分に高い背丈もあって、ドラマとか少女漫画とか創作の世界に入り込んでも違和感がなさそうだ。
──性格も面倒見がよくて真面目で、非の打ち所がないとはまさに会長のことだ。
──そんな人が今、恋人として僕の隣にいるなんて……!
「……会議でも少し触れていたが、5月に体育祭を開催することに不満の生徒も一定数いるらしいな」
「あっ……はい。事前に行ったアンケートによると全校生徒の約7割が5月開催に賛成だったのですが、ここに来て一部の二・三年生から“なんで今更この時期にやるのか分からない”といった声がソーシャルメディア部を通じて上がってまして……」
──いけないいけない、会長に見惚れ過ぎて何の話をしていたか忘れるところだった。
「もう少し説明に時間を割くべきだったと反省しています」
「事前に質疑応答の時間を設けた上でアンケート調査をして決定したのだからあれ以上はやりようがない。あとは実践で良い悪いを判断してもらうしかないだろう。……だからそう気負うな」
例年文化祭の直後に開催され、どうも不完全燃焼で終わる体育祭に思うところがあり学校全体の行事が特にない5月開催を提案したものの、いざ実行のために動くと逆に学校のみんなを混乱させてしまうことが多かったと思う。少し性急だったかな……でも……なんてうじうじする心を見透かすように、安西会長は苦笑しながら僕の肩を軽くたたいた。
「新しい試みを取り入れる勇気も学校を盛り上げるためには必要だ」
「会長……」
──なんて有意義な時間なんだ……!
会長とお付き合いを始めてから約2週間、ゴールデンウィークを挟んだりしたから毎日会ってたわけじゃないけど学校のある日はほぼ毎日こうして一緒に帰り生徒会の話はもちろん、最近は僕が委員長を務める体育祭実行委員についても助言をもらっていた。
相談を聞いてほしいからお付き合いしたわけじゃないけど、現生徒会長の経験が生きたアドバイスは色々と見落としがちな僕にとってはすごくありがたい。そうだ、せっかくだからあのことも相談させてもらおう。
「……あの実は、体育祭が終わってから来年以降の開催時期を決めるためのアンケートを取る予定なのですが、どんな形式にするか悩んでいて……」
「ふむ。5月にするか秋にするか単純な多数決にしても良いと思うがそれだと少数派に我慢を強いることになるし……慎重にいきたいところだな。ああそうだ、俺が一年生の時も似たようなアンケートを実施したことがあったのだが、その時に自分用に作ったマニュアルが自宅に残っているはずだ。明日持って来よう」
「えっ本当ですか?それはすごく助かります……!」
「分かった。忘れないようメモをしておきたいから少し待っていてくれるか?」
「それはもちろん!お手数おかけしてすみません……っ」
「俺の後継者である君のためならお安い御用だよ」
そう言って道の脇に避けてからスマホを取り出す会長。僕もそのすぐ隣に並び、なんとなしにその横顔を眺める。
──ああ、スマホいじってるだけなのになんでこんなにかっこいいんだろう……。
── 一昨年のマニュアル探したりするのも大変だろうに嫌な顔ひとつしないで申し出てくれたし。いくら僕が次期生徒会長の最有力候補だからってここまで目をかけてくれるなんて……ん?
──待って会長いま僕のこと後継者って言った!?
会話の最後にしれっと放り込まれたそれに一人狼狽える僕などお構いなしに、「確かあれは外の蔵に……」と一人つぶやきながらスマホを操作している安西会長(というか蔵ってなんだ、会長のおうちって歴史があるタイプのお金持ち……?)。
──安西会長から何を受け継ぐっていったら、ひとつしかないよね……!?
──まずい、それは本当にまずい……!
僕には心穏やかな学校生活を送るため──そして出来るだけ長く恋人として安西会長の傍にいるために、自分に課した使命がある。
──僕が本当は安西会長の後継者なんて呼び名が裸足で逃げ出してしまうくらいのポンコツであることを隠し通した上で、次の生徒会長になるのを回避すること。
生徒会加入当初からみんなの足を引っ張らないようがむしゃらにやってきた結果か“次期生徒会長の最有力候補”だなんて呼ばれてしまっているけど、本来の僕はとてもじゃないけど仕事が出来るとは言えない。
──この学校の未来のためにも僕は絶対に生徒会長になってはいけない……!
いざ『生徒会長は東山にやってもらおう』ってなって引継ぎを受けた瞬間に何らかの醜態を晒し、それをきっかけに振られたりしたら二度と立ち直れない自信がある。だけど僕以外の候補者の名前が挙がらない中、どうしたら生徒会長になることを回避出来るのか答えは未だに見つけられていなかった。
──でも先のことばかり考えててもしょうがないし、今は自分で提案した五月の体育祭を成功させることだけを考えるべきだよな。
──会長も色々と相談に乗ってくれてるから大丈夫だとは思うけど……。
「──って思うのうちだけ?」
「いやそれなー」
──と、僕たちの前をうちの学校の制服を着た女子生徒二人組が通る。ネクタイの色からして二人とも一年生だろう。
「──そういえばアンタ、あの社会人の彼氏はどうなったん?」
「ん?」
「ほら、バイト先の社員に告られたって」
「あーね」
聞き耳を立てているわけじゃないけど、スマホにメモを打ち込んでいる会長の邪魔をしないように何もせずに待っているとどうしても耳に入ってきてしまう。
──社会人の彼氏?それ大丈夫なやつかな、体よく遊ばれてたりしてない?
彼女たちと同い年の妹がいるせいかお節介な心が芽生える中、女子生徒たちの会話は続いていく。
「二人で会ってる時も仕事の話しかしなくてさー、鬱陶しいからさっきメッセ送って別れた」
「あー……。別に仕事の話なら付き合ってなくても出来るじゃんね」
「ねー、ほんと付き合った意味なかったわ」
──……仕事の話しかしないから別れた……!?
その衝撃的な内容に今の話詳しく!と叫びたくなるのをぐっと堪えて、去っていく彼女たちの背中をこっそり見送る。
──そういえば会長とお付き合いが始まってから僕、生徒会と体育祭のこと以外で何か話したっけ……?
──いやでもあの子と会長は別の人間だし気にすることなんて……。
──え、待って、それにしたってお付き合いする前よりも仕事のことばっかり話してる気がする……!!
「──よし。待たせたな東山、広報の南條からメッセージが来ていてついでにそちらの返信もしてしまった」
「あっ、ぜ、全然待ってないです!」
ここでスマホの操作が終わったらしい会長がそれをポケットに戻して僕の方を見やる。返信などに集中していたからかさっきの一年生女子たちの会話は聞こえていなかったようだ。
「……それで君さえ良ければだが、明日の昼休みはいっしょに食事をとらないか?」
「いっしょに……ですか?」
「持ってくると言ったマニュアルだが、俺が一年生の時に作ったものだから拙い部分も多いだろう。解説を聞きながら見るのが君も分かりやすいかと……」
突然のランチのお誘いにまだ心の準備が……!と思わず身構えたけど、会長からそう説明されて合点がいった僕はすぐさま「そういうことならぜひ!」と頷く。
──それなら明日の昼休みまでならいつも通り仕事の話をして大丈夫、かな……?
──だけど問題は放課後だよな……。今は大丈夫でも、あまり生徒会とか体育祭のことばっかり話してると愛想を尽かされちゃうかも……!?
『君は浅慮だった上に仕事の話ばかりで面白みがない。別れてくれ、俺は今日からこの思慮深くて話も合う彼と付き合う』
某探偵アニメの犯人のような黒塗りの人型のシルエットを“彼”と呼び、その肩を抱いた会長が冷たい目で僕に言い放つという最悪の想像が頭を過ぎって一人震える。
──明日の放課後には何か気の利いた話題を提供できるようにならないと……!
「東山?どうかしたのか」
心配そうにこちらを覗き込みながら聞いてくる会長に、僕は食い気味に「問題ありません!」と強く頷いて──翌朝まで首の筋を痛めることになるのだった。