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2.小生意気な調理実習

 

 

 ――それから三年後。年も押し迫った十二月の第一週目。


 午前中の白い日差しが差し込む、某地方都市の公立高校家庭科室でのこと。

 三角巾にエプロン姿の生徒らが、腕捲りしたブレザーやスカートの裾を翻して食器棚の前でわちゃわちゃと揉み合っていた。背もたれのない丸椅子に座った澄雨は、味噌汁の出汁用の煮干の頭を取りながら、ただぼんやり眺めている。


「三班、平皿六枚を確保っ……じゃなくて、えーっ、七枚必要だったんかっ?」

「ちょっ! コレっ、洗い残しじゃない? いやーん、カビ生えちゃってる!」


 まるでスーパーのタイムセールのような騒ぎだが、家庭科室の食器類には状態の悪いものも多く、比較的まともな食器で料理を食べたいと思うのが人情だろう。

 ちなみに献立は鯖の味噌煮とご飯、ワカメと豆腐の味噌汁の三品である。


 食器棚で前哨戦が行われているその裏で、各班では調理担当者が鯖の切り身をこわごわ箸で摘まんで移動させ、あるいは大半をシンクに溢しながら米を研いでいた。それでも、食器奪取組よりはまだマシな調理が出来る面子なのである。

 同じ班の笠原美緒(かさはらみお)が三角巾の下に隠した自慢のウェーブヘアを震わせつつ、


「澄雨ちーん、お魚が気持ち悪いよぅ」


 そう情けない声で呼ぶけれど、自分の出番はまだ先だ。

 澄雨はさり気なく、一段高くなっている教壇へ視線を飛ばした。


「はい、そこっ! お喋りしないで、手早くやりなさい! ほらっ、そっちも!」


 鶏ガラみたいに痩せ細った勤続三十五年の家庭科教師谷川が、眼光鋭く叫んでいる。あっちの班、こっちの班と首を突っ込んでは何を指導するわけでもなく、手際が悪いそれでも女かと時代錯誤も甚だしく女生徒のみを怒鳴り付けていた。

 だが、三、四時限ぶち抜きの授業の後半が始まって半分以上経過し、谷川はそわそわ廊下を気にし始める。

 待つこと数分、谷川は何故か澄雨を鋭く一瞥してから家庭科室を出て行く。


「……行った?」

「行ったわ。本当、トイレが近いねぇ」


 引き戸の隙間から様子を伺っていた美緒は肩を竦めてみせた。

 谷川も年のせいか年々我慢が利かなくなったようで、授業中に一度は必ずお手洗いのために退室するのである。谷川の姿が見えなくなるやいなや、


「よっしゃ!」


 気合一発、薄らぼんやりしていた澄雨の両目が、かーっと見開かれ、


「まだ調理終わってないところはどこっ? 谷川先生が戻って来ないうちに、ちゃっちゃとやっちゃうよっ!」

「ぎゃー、お米が流れて無くなるー」

「こっち来てー、煮魚の皮が剥がれたっ」


 立ち上がった拍子に、はらりと外れた三角巾の下はショートボブだ。すっきりと背も伸びて、中学の頃とは打って変わったボーイッシュな印象を与える。

 ぼんやり見せていたのは谷川の目を欺くための仮の姿――とはいえ、半ばバレバレではあったが。


「澄雨ちんってばー、タスケテー」

「美緒ってば、まだあく抜きやってなかったの? 魚なんか手で掴みなさいよっ」


 三角巾を結び直した澄雨は、むんずと切り身を掴み達者な手捌きで塩を打つ。しばらくして熱湯をかければあく抜き終了、煮込み開始だ。

 澄雨は救難信号の出た各班を回り、ダダ漏れ素人には米を研ぐのにザルを使うよう指導し、鯖の皮が落し蓋にくっ付いた班では残った煮汁を煮詰めて粘度を上げ、剥げた部分を覆い隠してしまった。


「どうせ皮なんて剥いで食べるんだから、ちょっと破けたぐらい問題ないわよ」

「澄雨ちんってば、いつもながら素敵ぃ」


 ちゃっかりついて来ていた美緒に、形の良い眉をへにょりと下げながら澄雨は肩を竦めて見せる。


「お母さんの代わりに料理作ってれば、誰だってこうなるって」


 高校に入って以来この調子で、谷川が席を外すたびに調理の苦手な班を手伝い指導してしまっていた。当然ながら調理結果に優劣が付かなくなるので、澄雨はすっかり谷川に目を付けられている。ちなみに裁縫の授業も同様だった。


「――来た来た、帰ってきたーっ!」


 廊下まで見張りに出ていた男子生徒が、乱暴に引き戸を開けて駆け込んで来る――。すっきり爽やかな顔の谷川が戻ってきた時、すべては決着がついていた。


「なっ」


 粒の立ったご飯は茶碗で艶々と輝き、鯖は煮崩れなど一切なく平皿に鎮座していた。味噌汁の豆腐もきっちりサイコロ状に切られ、水洗いせずに突っ込まれた塩漬けワカメなどあるはずない。

 どの班のどの料理も完璧に――あるいは巧妙に粗が隠されていた。


 燦然と盛り付けられた料理の数々を検閲してから、首に筋を浮かせた谷川は丸椅子にぼんやり座っている澄雨の前にやってくる。

 澄雨を見下ろす谷川は震える声で、


「……木ノ下さん、貴女って人は」

「はい? 何か御用ですか?」  


 刺すような視線を真っ向から受け、澄雨は小首を傾げて愛らしく微笑んだ。

 

 

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