表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
17/20

17.父親の声

 

 

 地下のエレベーターホールで、澄雨は立ち姿も様になる赤猫を睨み付けた。


「待ちくたびれたって、どういうことよっ!」


 幹也は最初から気付いていたのだ。このビルに入ってきた時から、エレベーターに反応していたではないか。完全に自分の読み間違えだと、澄雨は下唇を噛む。

 だがそんな不穏な空気の二人にかまうことなく、買物を終えた客達は我先にと争うようにエレベーターへ乗り込んでいく。隣に小さなサイズのエレベーターがあるが、そちらは途中の階で止まっていた。いつもの通りのおかしさだ。


「力のある、良い目だね」


 しばらく澄雨を眺めてから、赤猫は仕留めた獲物に満足している狩人みたいな口調で言った。


「だけど、どうして僕を犯罪者みたいな目で睨むんだい? 確かに人ではないが」

「赤猫さんは、みんなが死んじゃうのを、傍で黙って見てるだけじゃないっ!」

「だって、それが僕の仕事だからね」


 しれっと答える赤猫を見て、澄雨は頭を振った。分かっている、この男とは住む世界が違うのだ。抱き締めて優しい言葉を掛けてくれても、すこぶる顔が良くても人ではない。硫黄の息を吐く地獄の住人、化け猫火車なのだ。


「大人しくついてくる気はなさそうだね。なら、なんのためにここに来たの?」

「わっ、私は人間だし! 人間だったら、人間同士助け合うしっ! 事故が起こるって分かっていたら、助けないわけないじゃないっ!」


 声を震わせて叫ぶ澄雨を、赤猫は腕を組んだまませせら笑った。


「君らをクリスマスの夜に徘徊する哀れな子供だと思いつつも、平気でエレベーターから追い立てる彼らを助ける? 君が懸命に訴えても誰一人耳を貸そうとしない。無視されるか、警備員でも呼ばれるのが関の山なのに?」

「なんでそうネガティブに取るかなっ!」


 澄雨は怒鳴りながら、赤猫の背後で扉が開いたままのエレベーターに気付く。『閉まる』ボタンを押せばいいのに、みな表情がうつろで突っ立ったままだ。

 ――なんで? しかもこの臭いって!

 そしてエレベーター内部から、強い硫黄の臭気が漂ってくる。なぜかそれが、硫黄の臭いが自分にまとわりつくような気さえするのだ。


「そう、これがシノニオイだよ」


 赤猫が澄雨の背後へ視線を飛ばす。


「君の弟はとても利口だ。僕の間合い――香りの届く範囲には決して入らない」


 澄雨が振り返ると、幹也が必死に手を振っていた。謎のお手ふりパワーで、シノニオイを追い払えると信じているのだ。


「だけど、君の中には僕がシノニオイをたっぷり吹き込んでおいたから――おいで、澄雨」

「い、いったい、わたしに、なっ」


 赤猫の目が縦の金の虹彩に輝く。怒鳴り飛ばそうにも舌が回らず、頭の芯が痺れて考えも纏まらない。抵抗する意識とは裏腹に、澄雨は赤猫の手を取っていた。

 そしてこの過積載状態のエレベーターに、二人してすっぽり納まってしまう。

 ――この先、どうなるんだろう。

 澄雨はぼんやりする頭で懸命に考える。

 買物を終えた客達でぎっしりのエレベーター。途中で変な揺れ方をしたり、ボタンを押してもなかなか降りてこなかったり――。


「お父さんに会わせてあげるよ」


 誰かが押していた『開く』ボタンが離されて、扉が閉まろうとした瞬間だった。

 いつかの夏の日に、幹也と食べたかき氷の冷たさが頭にキーンと突き刺さるような痛みと共に、ひとつのメッセージが捻り込まれる。





『澄雨、しっかりしなさい!』





 父親の声だった。ただ一度きりの。


 あの日、父親が一年の療養を経て、初めて職業安定所に向かって家を出た日。

 ようやくこれで普通の家族に戻れると、満面の笑みで死出の旅路へ送り出してしまった自分が、父親の声を聞き間違えるはずはなかった。

 澄雨は頭の痛みを堪えながら、締まり掛けた扉にガッと肩を割り込ませる。

 どうしたら、買物客達を正気に戻せるだろうか。全員にビンタして回るわけにもいかず、正直に死神が狙っていると言っても誰も信じない。自分の身に直接降り掛かる、生理的に受け付けたくないような内容は――。


「そっ、そうだっ!」

「いったいどうしたんだい、澄雨?」


 にわかにシノニオイの呪縛から脱した澄雨に驚いたのか、赤猫が慌てて顔を覗き込む。その端正な甘いマスクを指差し、澄雨は大声で叫んだ。


「この人、変質者ですっ! 包丁を隠し持ってます! 脅されてエッチなことされそうに……ってか、()()()()()()()()()、ファーストキスだったのに、酷いっ!」

「……変質者って、僕のことかい?」


 けれど、これだけの人数がいても場が凍り付くような静けさである。

 効果がないのかと諦め掛けた時、いつの間にか姿の見えなかった幹也が、アルバイトらしい若い店員を引っ張ってきた。

 その店員にはシノニオイの効果が薄いようで、訝しげにこちらを見ている。


「ボク、どうしたの? 迷子?」


 次の瞬間、凍り付いていた空気が床に落ちて粉々に砕けた。

 買物客達が、我先にエレベーターの外へと逃げ出し始めたのだ。”刃物を持つ変質者”というパワーワードが、ようやく心に染みてきたらしい。


「ちょっと、さっさとどいてっ!」

「押さないでよっ! 誰か、助けてっ!」


 誰も『開く』ボタンを押さないので何度も締まり掛ける扉に、買物客達がパニックムービーさながらに体当たりし続けている。


「なんてことだ……シノニオイが霧散してしまった。親子共々やってくれるね」


 人波から逃れるためとっさに澄雨の腕を引きエレベーターの隅に逃げていた赤猫は、いつものスタイルを崩して頭を掻いている。なおも出ようとする買物客達にぐいぐい身体を押されながら、澄雨はほくそ笑んだ。


 ――カードを『引っ繰り返して』やった。

 いつかの保健室で、拾ったタロットカードを誤って逆向きで置いてしまった時、


『逆さまだったら意味が引っ繰り返るカードがあるのよ、どのカードもってわけじゃないんだけどね。ちなみに死神の逆位置は、再生とか挫折から立ち直るとか』


 最低最悪の死神のカードも、引っ繰り返せば良い意味になるという。ならば縁起の悪い事故の幻視も、他人を助けるチャンスが出来たと思えばいいのだ。そして予言の邪魔をした結果シノニオイは散り、誰も死なずに済んだ。


 買物客達がみな逃げ去り、エレベーターには澄雨と赤猫以外は乗っていなかった。自分達は勝ったのだと、澄雨は確信する。


「手ぶらで地獄に帰ってね、赤猫さん……」


 だが寂しげな赤猫を残して降りることに一瞬だけ、躊躇してしまった。

 本当にコンマ一秒以下。けれど、それが命取りだった。


 降りようとした澄雨の目と鼻の先で、扉が無情にも音を立てて閉まった。当たり前といえば当たり前だが、誰も『開ける』ボタンを押していないからである。


   

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ