くー子よ さらば
これは、とある人から聞いた物語。
その語り部と内容に関する、記録の一篇。
あなたも共にこの場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。
あの子、大丈夫かしらねえ。もうなん十分もトイレにこもりっぱなしだけど。
最近、お腹の調子が悪い、よくないってトイレを占拠することが多いのよ。わたし、どうも心配になってきちゃって。
――どうせトイレにかこつけて、便座に座りながらスマホでもいじっていますよ?
あらま、そうだったらホントにしょーもない子だけど、さすがにそればかりじゃないんじゃない?
ほら、ときどき扉越しに響いてくるでしょ。用を足す水音。あれさえ口とかで物まねできるなら、そちらの芸だけで食べていけるかもしれないわね。
こーちゃんは、小さいころにお腹の調子は安定していたかしら?
大人になると体も臓器も育ちきって、かつてほどの問題が出てこなくなる。でも、成長途上の子供の体は話が別。何が呼び込まれるかわからないわ。
お医者さんに判断のつくものなら、まだいい。でも、そうでないものだったら、こーちゃんはどう付き合っていくかしら?
私の昔の話なんだけど、聞いてみない?
くー子。それが小学校時代の私のあだ名。
文字通りに、ややもすると「くー」と長く、はっきりとしたお腹の虫が響き渡ることから、この呼び名がついたわけ。
本人としては恥ずかしいこと限りないわ。本当にお腹が減って鳴くんだったら、開き直ってやらなくもない。けれど、そうでもないとき、思い出したようにくーくー鳴かれてからかわれるのは、どうも面白くないわけよ。
お腹が鳴るのは、消化液が小腸に流れていくときに起こる、強い収縮運動。ついでに食事の後に鳴ることがあるのは、食べたものが小腸へ届いて起こる、活発な消化運動。
いずれも健康な体に起こる、生理現象には違いない。けれどもそれは、いたずらに目立ちたくない子供にとって、嫌がらせにも違いない。
私はどうにかして、お腹を鳴らさないように努めた。
息を止めたし、お腹もさすった。スティックシュガーを持ち込んで、トイレでこっそり飲んで空腹をまぎらわせようともした。
けれども、いずれも効果なし。それどころか、日を追うごとに私のお腹の虫は、おかしな音色を奏でていく。
あまりにひどいと、私は机に突っ伏してお腹のご機嫌を取るのに、集中しないといけないくらい。
のどへの突き上げ。ややもすれば口や鼻から飛び出ようとする、くしゃみのなりそこないたち。これらを自由にさせていた暁には、私の尊厳が破壊しつくされてしまう。
耐えるは一時の恥。耐えぬは一生の恥。
人知れずプライドかけたハッスルしても、浴びせられるのは笑い声ばかり。落ち目のアイドルにでもなった心地よ。
アの字も合わない「くー子」だけど。
ぐっごっご……ぐっごっご……。
休みの日でよかった。目が覚めたときから、私のお腹はこの奇妙な音を立て続けている。
布団の中で半身になり、どうにか音をおさめようとするのだけど、曲げても伸ばしても音はやまない。
お腹の減りとは思えなかった。起きたばかりの私はさほどお腹が空きはしない。
下しているとも思えなかった。下へ向かう気配なく、胃で二の足を踏むばかり。
「早くご飯食べちゃいなさ〜い」
母が部屋の戸を叩いてくる。
このころはうっとおしいばかりだったけど、作る側に回ったいまは、気持ちも分かるわね。いつまでたっても洗い物ができないんだもの。
そのノックに、かろうじて「お腹がへん〜」とは返せた私。気を抜くと、お腹の音がどう転がるかわからなかったから。
すると、「ちょっと待ってなさい」と母がカギを開けて部屋の中へ入ってくる。そして事細かにお腹の様子を尋ねてきたの。
その間も、私のお腹の音はおさまらない。母は仰向けになった私のお腹に手をあてて、そこに耳もあてがって、聴診しているようなしぐさをしてみせる。
「あんた、こんな感じになったのいつ頃からなの?」
質問に、以前から「くー子」呼ばわりされていたけれど、これほどおかしな音がするようになったのは、今日がはじめてと答える私。
だったら、と母は私の脇下へ手を入れて抱き起してくる。そのままトイレに連行されて、中へ押し込められたわ。
「みぞおちを一回。三秒おいて、もう二回。そしたら二秒を置いて、最後にのどを押してみなさい。ちゃんと用を足せるようにしてね」
便座に腰を下ろして、言われたとおりに押してみたわ。
するとどうだろう。これまでお腹に溜まっていたものが、堰を切ったようにお尻より下へ殺到する。
ただ出てきたものは、あまりに白すぎる。バリウム検査の後のお通じに似るけど、当時の私はもちろんそのようなものをお腹に入れていない。昨日食べたものにも、こうも真っ白になりそうなものは、思い当たらなかった。
すっきりしたのはお腹だけ、心はどうにももやもやしたまま。
私はトイレの前で待っていた母親に、ことの次第を伝えたわ。母は「そう」と目を閉じて少し考えたのち、ぽつぽつと話し始める。
女性にはごくまれに起こることで、ときに他の生き物がお腹を借りようとするのだと。
目立った不良が見られるのなら、そいつはまだまだ潜るに未熟。とっとと体から追い出した方がいいみたい。
けれども、恥ずかしい思いをする程度で、活動そのものに衰えが見られない場合は、上等なものが入り込んでいる。そいつらは往々にして、科学の手には捕まらないとも。
彼らにとって住み心地のいい体は、遺伝しやすい。母も昔は同じような経験をしたから、分かると話してくれたわ。
にわかに信じられずにいた私だけど、すっきりしたのもつかの間。
一時間と経たないうちに、またおかしな腹の虫がなり始める。病院に行って検査も受けたけれど、母の話したように異状はまったく認められなかったの。
どうにか「くー子」の汚名を返上したい私は、母に手早い解決法を求めたわ。
母はすこやかに過ごすことが一番としたうえで、それでも急ぐならばと方法を教えてくれたわ。
とはいっても、際立って特別なことをする必要はなかった。
食事は乳製品と食物繊維を、本来とるべき量の1.5〜2倍は摂取するよう心がけること。
運動は有酸素運動を1時間前後。くわえてストレッチやスクワットを欠かさず行うこと。
およそ、健康を維持する過ごし方と合致するものだったけれど、ひとつ気をつけるよう申し渡されたわ。
それは度を過ぎないこと。
「過ぎたるはなお及ばざるがごとし。結果はすぐに出ることを望んじゃいけないわ。
人が何年もかけて体を整えていくように、お腹の中のそれもまた時間をかけて整っていく。促すのはいいけれど、追い立てになっちゃいけない。
追い詰められたら何をするか分からないのは、皆いっしょ」
そう注意はされるものの、近づいてきた身体測定の日が私の判断を誤らせる。
この「くー子」の名をもらう前後から、私の体重は増加傾向にあった。お母さんいわく、そいつがお腹にいるせいで、出ていけば軽さを取り戻すだろう、とのこと。
見栄を張りたかった。このままじゃ去年に比べて、激太り判定間違いなしだったから。
だから測定の前日、私はあがきすぎた。食事も運動も、言いつけられたことの数倍の量をこなしたわ。
お母さんも、やたら牛乳ときんぴらごぼうを食べつくしていく私に目線を送ってきたけど、それ以上は何も言わなかったわ。
その晩、私のお腹の虫はいやにおとなしかったのよ。
音だけは、ね。
気配のなさに、もしかしたらてきめんの効果が出たのかと、ぬか喜びする私は突き落とされる。
布団へ横になってほどなく、ぐっと私ののどが詰まった。
息はなんとかできる。でも、声が出せない。それどころか、体中どこもまともに動かすことができなかったの。
酸素が足りない。行き届かない。動かせない。
私は押さえつけられていた。外側からでなく、内側から。
ほどなく、私のお腹に痛みが走る。皮が臓器が突っ張るような、便秘のときの痛みじゃない。むしろ細く、鋭く、じわじわとキリの先をねじ込まれていくような痛み。
まばたきもできず、悲鳴もあげられない私にできるのは、かろうじて身体を小刻みに震わせながら、そのまなじりに溜めていくことだけ。
これまでに味わったことのなかったたぐいの痛みに、私が自分の行いを後悔しかけた時。
掛布団を細く貫いて、天井にぶつかっていったものがあったわ。
急に身体も言うことを聞くようになる。見上げると、糸ほどに細いそれは、天井に小さな穴をあけていたの。真新しい、赤いしずくを垂らしながらね。
布団の下、私の寝間着もまた一点が赤く染まっている。おへそのところがね。
私のおへその周りは、血だらけだった。おへそそのものも、心なしか奥へすぼまる穴が大きくなっているような気さえしたわ。
じっとしていればなんともないけど、少しでも身をよじったり力を込めたりすると、ぴりりとした痛みが走る。あの動けなかったときに感じたものに比べたら、だいぶましだったけど。
翌日。願い通りに、私の体重は戻っていた。
けれどそれからずっと、いまに至るまで。私はときおり、胃潰瘍に似た症状に襲われるの。
そのたび、病院で診てもらっても状態は健康そのもの。お医者さんが診るときに限って、なんの異状も見られないの。
「くー子」をいきなり返上した反動は、ちょっと大きすぎたみたい。