自称おじさんの人達っていくつなんですかね?
エッセイの作品を読んでいると、内容から年齢層が高く感じることがあるのですが、
世代までは書いていない自称おじさん達の実年齢って一体……?
という疑問の話です。
現実での平均寿命は国で違いがあるように、
ファンタジーの世界の場合、その世界での平均寿命は様々です。
動物達、種族で寿命が変わるのは当然ながら、
80歳以上を長老という世界もあれば、
3歳まで生きられるかもわからない世界、
青年と言われる年齢が圧倒的に足りていない世界、
子供が産まれない世界さえあるかもしれませんし、
死のない世界、不老や不死、器を交換していくなどもあるでしょうか。
年齢という概念は、存在する世界や国、時代で体感が変わるものです。
創作をしていると、自身よりも遥かに年上のキャラを書くことは少なくないでしょう。
年齢が低ければ低いだけ、知らないことが多いように、
年を重ねれば重ねただけ、知っていることが増えていくのは普通かと思います。
エッセイや、日常的な会話の中で触れる話題にも、その違いはあり、
自身より少し上の世代、同世代、それより下の世代、を察せることがないでしょうか。
ある程度の年齢を作品のどこかに書いてある場合は、
事実かどうかは確認がしようはありませんが、そうなんだな、と読むかとは思います。
もしかすると未成年がおじさんを演じ、また逆もあるかも知れず、性別さえわかりません。
SNSや創作物はそういうものです。
問題は、自称おじさんが、実年齢に触れていない場合です。
偽っているか事実かは問題ではないのです。
作品や日常会話から、この自称おじさんは、
同世代、もしくは少し上、もしかすると年下なのではないか?
そういった、気付きたくないことに気付いてしまった時です。
まだそれが、少し上や同世代だったら仕方がありません。
世間的なおじさんがいくつからなのかは決まりがなく、
また、自称することも自由です。
けれどもし、年下だったらどうでしょう。
年下がおじさんだったなら、自分は一体どうなのか。
それを知ってしまった時のなんとも言えないこの気持ち。
年齢が上がれば上がるだけ、わかっていただけないでしょうか?
未成年の頃、何気ないおじさんおばさんという言葉で、年長者の心を抉ってきたことを後悔する瞬間です。
私は、十代の頃に幼稚園児から投げつけられた言葉を未だに根に持っている、心の狭い人間です。
とはいえこれは、エッセイジャンルで書かれている作家さんだけの話ではないのではないでしょうか?
小説家になろう内や商業で活躍されている作家さん、そして読者の方々も、
未成年よりは、成人したそれなりの年齢の方が多くなるのでは?
自称が悪いわけではないのです。
ご本人がそう思うのですから、そうなんでしょう。
それとも自虐やネタなのかもしれません。
老いにも個体差がありますし、時代でも変わってくるのです。
今の時代に、波平さんが五十代前半と言われてもしっくりきません。
定年年齢等も引き上げられています。
定年の年齢ともなれば隠居して余生を楽しむ、なんてことは今の時代には難しい。
そう、個体差があるのにです。
本心でも自虐でも、自称おじさんたちはおじさんならそれで構いません。
けれどそれは、あなたが未成年の頃のイメージだったりはしませんか?
そしてそれを見た人達の気持ちも少しだけ考えてほしい。
自分はまだ若い!! と思っている人達だっているのだと。
作家さん、読者さんの年齢層が上がっているとすると、
それを見た時に傷付いたり反感を抱く人もいるかもしれません。
青年、壮年、中年、など言い方は他にもあります。
敢えて自称する理由がなければ、避けるという選択はないのでしょうか?
好きな作家さんが自称おじさんだけど同世代か少し上、もしかしたら年下の可能性があることへの疑問でした。
自虐なのか本心なのかどうなんでしょうかね?