贈り物としての巨大蟹
ある日曜日の夕方、僕の部屋に蟹がやってきた。
僕が呼び鈴に答えてドアを開けると、そこには蟹がいた。とても巨大な蟹だった。甲羅は僕が精一杯手を広げたのと同じくらいの長さがあり、彼の拳大の目は僕の胸の位置にあった。両手の爪は異常に発達していて、その辺の街路樹ならみしみしと簡単に潰してしまいそうだった。その蟹はまた、人語をきちんと聞き取り、話す事もできた。とにかくでかくて、しゃべる蟹だ。そんなものが世間一般の蟹という概念に合致しているかはともかく、見た目は100%純粋な蟹だった。
彼は僕がドアを開けるなり、ひょいと横向きになり僕の家にささっと上がりこんだ。僕の家の玄関は結構大きいので、その蟹は何とかそこから家の中に入る事ができた。そうして彼は部屋に入るなり、一番後ろの足で器用にドアを閉め、鍵まで閉めた。
「あの、えーと、セールスならお断りですから。表にもそう書いてありましたよね?」と僕はなんとか脳から言葉をひねり出して言った。
「いや、そういうんじゃないんですよ」と彼は泡を少しずつ出しながら言った。彼の話す言葉はどこか飄々としていて、それを聴く者を安心させた。「僕は贈り物の蟹なんです。お前は箱に入らないから、自分で歩いてここまで行けって言われてきたんです。なんといっても蟹は鮮度が命ですし、それに宅急便代もかからないですから」
まあ、それはそうだ。こんな巨大な、それも生き物を普通の宅急便では扱ってくれない。
「君が贈り物なのはわかったよ。でも、誰からだろう?君、送り主わかる?」と僕は少し心を落ち着かせて言った。
「ちょっと待ってくださいね、伝票を腹の中に入れてたはずだ……」彼はそう言って巨大な爪を器用に使い、その伝票を取り出した。そして僕にそれを渡した。「ほらね、吉田さんという方からです」
確かに僕は吉田という人物と一緒に仕事をした事があった。彼は超有名デパートのフロア主任で、僕にフロアのデザインを任せてくれた人だった。設計がひと段落して二人で飲んだ折、彼は僕に何か礼がしたいと言った。自分の思うとおりの売り場にできたし、それはあなたがいないとできない事だった、だからせめて私はあなたに礼がしたいのだ、と。僕は彼にそう言われて悪い気はしなかった。彼の言葉はとても誠実だったし、人にこれだけ感謝されたのも久しぶりだったからだ。それで、僕は蟹が食べたいと冗談で言ったのだ。大きくて、味のよさそうな蟹がいいな、と。
「ということで、私は贈り物の蟹なんです。わかってもらえましたか?」と巨大蟹は言った。
「うん、筋は掴めたよ。確かに送り主から君が送られてくる理由はあった」と僕は言った。
「良かった、良かった。僕としてもほっとしました。では、後は焼くなり煮るなり好きにしてください。なにせ僕は贈り物ですから」と蟹はなんだか嬉しそうに言った。「おすすめは蟹刺身ですよ、活きもいい、甘みもある。自分で言うのもなんですが、これは絶対に絶品ですよ」
僕はぼんやりと、目の前の蟹をどう調理するか考え始めた。確かに刺身も悪くなかった。氷水の中で海葡萄みたいに揺れる巨大な蟹の足を僕は想像した。悪くない。一ヶ月くらいは蟹を食べ続けることになるかもしれない。悪くない。みそに日本酒を入れて、それを煮て食べよう。殻を砕く大きいペンチも買わなきゃな。
「でも」と蟹は僕の温かな想像を切り裂くように低い声で言った。「僕も仲間たちと同じように、最後の抵抗はちゃんとしますけどね」
そう言って、巨大な蟹は両手の爪をじょきんじょきんと動かしながら、にじりにじりと僕に向かって前進した。この蟹は横にだけではなく、前にもちゃんと歩くことができるのだ。




