2話⭐︎
短いです。
教室から出ると日差しが直接当たらなくなったとは言え、じんわりと蒸し暑い。
これは夜中まで続くなと、今後の予定に嫌気が差したが、隣の雪の笑顔を見てそんな考えも吹き飛んだ。
「ね、お兄ちゃん。今日は帰りどこかよってかない?折角部活もなかったんだし」
「そうだな」
うーんと頭を悩ませる。
今はまだ4時、6時から予定が入って入るがそれまでの間は何もない。
勉強でもしようかと思っていたが、最近は雪に娯楽を与えてやれてなかったしな。
そう考えたところで、俊がそれなら、と口を開いた。
「最近できたカフェに行かない?あそこなら冷房も効いてるだろうし、確かこの期間なら限定のかき氷が食べられたはずだよ」
「わぁー!ね、お兄ちゃんっ!それ行きたい!行ってもいい?」
雪が右腕を両手で掴み、上目遣いで頼んでくる。
可愛い。
こんなお願いをされたら誰でも断れないだろう。
胸の圧力に全神経を集中させながら、俺はいいよと答えた。
やった。と喜ぶ雪にどうしても頬が緩む。
この雪の笑顔が見られただけでもこれからの予定も、明日の俺も、頑張れる。
「よし、それじゃあ俊。案内よろしくな」
喜ぶ雪の頭を撫でながら、俺はこの幸せを噛みしめた。
校舎を出るとグラウンドから様々な声が聞こえてくる。
その中にも当然、サッカー部やら野球部やらがいるわけで、俺は肩身が狭くなり、二人に笑いかけた。
「そうだ、俺トイレ行ってきてもいいか?さっきから我慢してたの忘れてさ」
二人はキョトンとしたが、俊が何かを察し、複雑そうな顔をしながらも了解した。
俊はこういう時に頼りになる。
二人には先に校門に行ってもらった。
俺は靴箱に背中を預け、深いため息をこぼした。
「何やってんだ。俺は」
口からこぼれたそんな言葉は、履かなくも消えていくのに、この胸にある思いは消えてくれない。
耳をすませば、聞こえてくる。
「俊っ!助っ人に来てくれねえか?1年の教育に手が回らなくてよ」
「俊、今日も雪ちゃんとデートか?うらやましい限りだぜ」
「雪ちゃんも大変だよな、なんてったって…」
2人の背中が遠ざかっていく。
と同時、俺は雪は俊が好きなのかなって、そう思った。
「お似合いカップルじゃねえか」
部活の男子に囲まれて笑顔を振りまく二人はさながら新婚の夫婦のように輝いていた。
俺には入り込めないその空間を見つめていると、雪が振り向いた。
「っ!?」
俺はすぐに背中を向け、靴箱の影に隠れる。
そっと雪の方を見るが、気づかれていなかったみたいだ。
コツコツ、ヒールの音が廊下に響く。
振り向けばやはり、あの人がいた。
「春日、君はこんなところで何してんだ」
「先生…」
白波京香、俺の去年からの担任であり、数学担当。そして俺の唯一話せる教師でもある。
背が高く、だけど胸ポケットに覗くタバコの箱や、年季の入ったメガネ、一本だけ飛び出した寝癖など、彼女が彼女たらしめる要素をマイナスにしているせいで、魅力がかけている。
おそらく眼鏡の下は美人だろうが、そんなことを全く感じさせないのは才能なのではないだろうか。
本人も本気を出せば美人と自覚しているようだが、彼女が本気を出しているところを見たことがない。
彼女は俺が向けていた視線の先を見て、ほぉ、と一言だけこぼすとククっと笑った。
「なんですか、その笑いは」
「いやあなんだ、君も青春を謳歌しているじゃないか」
「どこを見たらそんなアホなこと言えるんですか?俺を見てくださいよ、青春というにはあまりにも死んでいるじゃないですか」
「死んでいる、ね。君は高校生にして人生を諦めたのかね。それこそアホなことを言ってないで彼女のもとへ行ったらどうだ?」
「言われなくてもそうしますよ。だからほら、仕事をしてください」
手をパラパラとふり、あっちへ行けと暗にいうが、彼女は全く意に返した様子はなく、ガン無視だ。
それどころか、俺の手を掴むと悲しそな表情をした。
「君はここの教師よりも勤勉だな。だが君は壊れそうだ。まずはその生活習慣を改善してみたらどうだ?」
この教師は何かと俺を気にかけては揶揄ってくるが、その実俺のことを心配している。
彼女には俺の事情を話したことは無いはずなのに知っているからどこか、尋常では無いものを感じる。
ただの推理力ならそれはそれでいいのだが、同じ匂いがするのだ。この人は。
俺はできるだけ表情を変えないようにし、その手を払った。
「なんのことですかね。先生が行かないなら俺が先に行きますよ。それではさようなら」
ちらと雪の方を見たが、すでに見える位置にはいない。
もう校門に着いたのだろう。
それなら俺がこうして待っている必要もなくなる。
俺は先生に背を向けて、歩き出した。
「本当に、壊れそうだ」
そんな呟きが背中から聞こえてきたが、俺は振り返らなかった。
「お待たせ、待ったか?」
グラウンドの横を駆け足で走り抜けると校門に雪と俊が立っていた。
雪は俺を見つけるや否や近づいてきて、早く行ことせがんでくる。
全く、現金な奴め。だが憎めない。
「いんや、待ってないよ。それより早く行かないとかき氷が売り切れるかもしれない」
「そうだね、じゃあお兄ちゃんも揃ったことだし、行こうか」
信号が青になり、渡り始めた。
この時間帯には俺たちの他に生徒はいない。
静かなものだ。
と、半分まで渡りきった時、俺は迫りくる乗用車を認めた。
運転しているのはおばあさん。
俺たちに気づいて慌てているのが分かるが、もうどうしようもない距離だった。
俊も気づいたようで、前方に飛んだ。
危険地帯からは逃れただろう、俺も流れるように飛ぼうとするが、雪は乗用車には気づいていなかったようで、え、と声を漏らしている。
真横には乗用車、俺は避けきれない雪を抱きしめた。
がんっ!
相当なスピードを出していた乗用車は止まることを知らず、突き飛ばした俺たちにもう一度当たり、逃げていった。
でももうどうでもいいほどに満身創痍だ。
手が動かない、それに、
「ゆ、き」
抱きしめていた雪の反応も乏しい。
顔をゆっくりと動かすと、虚な目をした雪と目があった。
「おに、いちゃ」
ガードレールに当たったのか、それとも頭を縁石にぶつけたのか、体が削られたのか、血が止めどなく出てくる。
俊の声が遠くで響いているが、それも遠のいて行った。
ただ俺の世界に、雪の声だけが鮮明に響いている。
守れなかった。
俺はこの傷ついた雪を治すことができない。
「お兄ちゃん」
血と涙で顔を濡らし、俺を見つめてくる。
俺の目にも、自然と涙が浮かんでいた。
もう、会えない。
大好きになった彼女が死んでしまう。
「お兄ちゃん」
ずっとそばにいて、笑顔をくれた彼女は、血で汚れ、命を失っていく。
視界がぼやけてきた。
雪の顔も、声も聞こえなくなっていく。
「お兄ちゃん、だいす----」
こんな傷ついた彼女はもう見たくない。
そこで俺の命は、途絶えた。
読んでくださりありがとうございます。