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俺はそこまで視力が悪いわけじゃないけど、遠くから物を見るよりも近くで見た方が良く見える。まぁそんなのは当たり前の話で、当たり前に彼女の姿も近づけば近づくほどよく見えた。
やはり年齢は俺と同じくらいで十六、十七くらいだろう。
遠くに居た時はその服装と長髪から女だと判断したが、近くで見ればはっきりとわかるくらいに美少女だった。神職を思わせる紅白の服と腰近くに携えた木刀は、厳格さや清楚なイメージを持たせる。
ひょっとしたら俺は昔の日本にタイムスリップしてしまったんじゃないだろうか。そう思ってしまうくらいに、目の前の人物には『おしとやか』という言葉がよく似合う――
「やぁ!」
気のせいだった。
「やぁ! やぁ! やぁ! やぁ!」
そんな事を言いながら、目の前の少女は俺の事をじろじろと観察してくる。
ひょっとしたら『やぁ』というのは挨拶ではなく、何か部族的な合言葉なのかもしれないし、邪神を呼び出す呪文なのかもしれない。彼女の言動を見ていると、彼女が山奥に住まう世俗から離れた存在だと言われても、なんだか納得できてしまいそうだ。
「ヤァ」
あっけにとられたとはいえ、挨拶だった場合、無視するのも悪いので俺はぎこちなくそう返す。挨拶とは人間のコミュニケーションを円滑に行う上で非常に大きなウェイトを占める重要な物だ。
「……」
彼女は無言で首をかしげた。いやなんでだよ、お前の方がやぁやぁ言ってただろ。
「アハハ。で、キミは誰なのかな? 社の中でも裏林にまで入ってくるなんてもしかして命知らず? タイヨウに用事があるなら案内するけど」
よくわからない固有名詞が複数出てきてしまったので、俺は答えられる部分だけを的確に答えることにした。質問する手番を早く手に入れなければならない。こちらからも聞きたいことがいくらでもあるのだ。
「俺の名前は奇跡だ。上神奇跡」
「へぇ~。……奇跡的な名前だね!」
流石に実際に言われるのは初めてだった。面食らってしまい、貴重な手番を取り逃す。
「わたしの名前は山立花山! カザンって呼んでね。で、キセキはなんでこんな所に来たの?」
「それが分からないんだな、これが」
「分からない? 分からないってどうゆーことさ、もしかして――」
「いや、ちょっと待ってくれ」
俺は手のひらをカザンとの間に壁を作るようにかざした。この少女から質問権をはく奪するのは相当な労力を必要とするだろう。仕方がないので、多少無理やりにでも質問する側に回る事にした。
「こっちからも聞きたいことがあるんだ。ここって何県?」
「県?」
「あー……。じゃぁ、この国の名前を教えてくれないかな」
「そんな事?」
カザンはきょとんとして聞き返す。
無理もない話だ。俺だってこの国の名前を教えてくれと言われたら、目の前の人間の正気を疑ってしまうだろう。まさか誤って他の国に入ってしまったなんてことが――普通はあるはずもないのだし。
「この国の名前はね、『アーラシア国』だよ」
「……」
これで確定した。
そんな国の名前など、聞いたことが無い。カザンか俺のどちらかの気が触れている可能性を除いて、俺が異世界とやらに移動してしまったというのは間違いがないだろう。なぜ言葉が通じるのかに関しては、正直考える気すら起きない。そういう物なのだと理解してしまった方が、精神的に優しいのではないだろうか。
「どうかしたの、キセキ?」
「いや、それがさ――」
俺はとりあえず現状を全て説明してみる事にした。軽率かもしれないが、相手がどういった反応をするのか知るのにはこれが一番手っ取り早い。それに、仮に頭がおかしいと思われても、まぁなんとかなるんじゃないだろうか。
そうして俺がこの世界に来たあらましを説明し終わると、カザンは――笑みを浮かべていた。なんだか嬉しそうに、あるいは幸せそうに、その薄紅色の唇の間に白い歯を見せながら満面の笑みを浮かべているのだ。
これには俺もかなり動揺した。カザンは『おとしやか』ではなかったにしても、人の不幸を笑うような人間ではないと、半ば確信していたからだ。
俺の確信が誤りで、カザンの本質は残虐な物なんだろうか。俺がそんな薄ら寒い不安を感じたその時、カザンの体勢が大きく変化する。そして俺がそれに気が付いたその瞬間、カザンは俺に飛びかかってきた。
否――
俺に、抱き着いてきた。
イミガワカラナイ