名づけしもの
暫く経ってからシオンは帰って来た。
「あっ、お帰りなさい!」
いつものように笑顔でティオはシオンを迎え入れる。
「ただいま、ティオ」
「今日の夕飯はね、ちょっとだけ豪華にしたんだよ! すり潰した豆とミルクを混ぜたものに、干し肉と野菜を煮込んだスープでね、あとは……」
その後の言葉が続けられなかった。シオンの優しい表情を見ていたら、言葉が止まってしまった。息が出来なくなってしまったように、胸が苦しくなり、体の奥が熱く感じた。
「無理をするな。分かっているよ」
そう言ってシオンは、ティオの頭を撫でた。涙を溜めたその瞳が、一瞬でぐしゃり、と崩れる。
「……本当は、不安なんだ」
囁く程の小さな声でティオは告げる。
「僕が弱い事は分かってる。僕のせいで、この土地が枯れたらって、竜を守れなかったらって……。でも、どうしても竜のために頑張りたいって、そうしたいって思ったんだ」
揺らぐ瞳の奥は真っ直ぐとシオンを見つめたままで、まるで縋るようだった。
「言っただろう? 強さだけが全てじゃないんだ。……確かにこの旅で、お前は色々な事を体験して、学ぶことになる。だが、その上で全てを考えて決めていくのはお前自身だ。そこに強さは関係ない。必要なのはやり遂げようとするその心だ」
シオンはティオの両肩をガシッと掴む。
「お前なら出来るよ、ティオ。私はお前を信じているからな」
掴まれた肩に強く熱い熱が伝わってくる。この人は本当に自分を信じてくれている。自分が聖都から帰ってくると信じているのだ。
自分もそれを信じたいと思った。ティオは涙を拭い、強く頷く。それを見て、シオンはニヤッと笑った。
「よし、それでこそ私の甥だ。……さて、夕飯にしようか。今日は豪華なんだろう?」
「うんっ」
いつもの調子でシオンは自分に明るい笑みを浮かべてくる。ティオはそれに答えるように元気よく頷いた。
明日の準備をしてから、眠りについて、どれ程の時間が経ったのだろう。思ったより、深く眠りにつけていたが、窓から差し込む光でティオは目を覚ます。
ふと、窓に影が出来ているのが視界に入り、顔を上げてみると、窓枠の所に子竜がいたのだ。自分達が眠るまでずっと寝ていたはずの竜が目を覚まし、どうやらもう目が見えているらしいのか外を見ている。 それは正確に言うと空を見上げていた。
「どうしたの?」
ティオは小さく声を掛ける。ティオの声に反応して竜は一声鳴いた。
可愛らしいその声は、自身がどれほど重要な役目を持っているのか何も知らないのだろう。だが、自分もそう思う。何も知らずに生まれてきた竜に大きな重荷を課すのだから。
「ほら、こっちへおいでよ。一緒の布団で寝よう?」
ティオはおいでおいでと手招きする。まだ飛べないが、身体は身軽なのか、窓枠からひょいっとティオが寝ていたベッドの上へと飛び乗ってくる。
しかし、着地には失敗したのか、身体が横へと傾いた。
「わっ……だ、大丈夫?」
ティオは子竜の身体を心配そうに見てみるが、特に怪我などはしていないらしく、すぐに上体を起こした。
「ピィ」
広げていた翼を畳んで、ちょこちょことティオの方へと歩いてくる。
「空を見ていたの?」
「ピィ」
まるで、ティオの言っている言葉を理解しているかのように竜はすぐに返事する。
「……寂しい?」
「ピィ?」
そう聞くと今度は小さく首を傾げる。
「そっか、まだ寂しいって分からないんだね……」
困ったようにティオが笑うと子竜は、今度はティオの身体に擦り寄るように頭を撫で付けてきた。
少し緊張したが、ティオは右手で子竜の小さな頭を力加減に注意しながら撫でてみる。それに反応したのか、嬉しそうに子竜は鳴いた。
「……君の事をいつまでも、子竜、子竜って呼ぶわけにはいかないよね」
恐る恐る両手を差し伸べながら、ティオは子竜の身体を持ち上げる。
「あ、そうだ。『ルシェ』って名前はどうかな?」
「ピィ?」
持ち上げられたまま、子竜は首を再び傾げる。
「えっとねぇ、どこかの国の言葉で『光』って意味なんだ。……君はまだとても小さいけれど、きっと大きくて立派な竜になる」
綺麗で淡い緑の瞳がきょとんとした表情で見てくる。
「そして、この大地を潤すためにとっても必要で大事な竜になるんだ。……だから、その意味も込めて『ルシェ』にしようと思うのだけれど……駄目、かな?」
ティオが子竜の顔を伺いながら尋ねてみる。
「ピィ!」
しかし、いらない心配だったらしい。子竜は今まで一番大きな鳴き声で返事する。どうやら「ルシェ」という名前を気に入ってくれたようだ。
「よーし、君は今日からルシェだ! 宜しくね!! あっ、僕の名前はティオだよ」
「ピィ? ……ピィ!」
理解してくれたのか分からないが、元気よく返事してくれるので、ティオはついつい嬉しくて笑みを浮かべた。
「それじゃあ、一緒に寝よう? 明日は早いんだ。このまま起きていたら寝坊しちゃうよ」
こくこくっと、ルシェは頷く。ティオはルシェを自分の枕の上へと寝かせて、自分も布団の中へと潜った。
明日から、重い役目が始まるというのに、これほど心が軽くなるのは、きっとルシェが居るからだろう。
「頑張らなきゃ……」
安心したと同時にティオは寝息を立て始める。旅立つ時間は少しずつ近づいていることを実感しながら、再び深い眠りへと入っていった。