登るもの
ティオとシオンは竜が消えた事を村長に急いで伝えに行くと部屋の奥へと通された。静かに目を伏せる村長は涙も見せず、静かに竜が消えていった事を聞いていた。
「……やはり、寿命だったか……。今までこの大地を支えてきてくれたあの竜には感謝せねばな」
深く頷きながらも、どこかその声は沈んでいた。毅然としているが、彼にとっても竜を失う事は辛かったのだろうか。
「あの時、竜が見せてくれた光景の中に卵が見えたんです」
ティオは目を赤くしていたが、涙を堪えながら静かに告げる。
「卵じゃと……!」
ポリスの普段開かない細い瞳がカッと開いた。
「そうか……あの竜は後継者を残していったのか……」
片手で顔を覆うその下で、彼は何を思ったのだろうか。
「……先代の残した記録書に記されたことと同じだ」
「え?」
「――大地の竜は死ぬ前に必ず後継者を残す。番いはいないにも関わらず、自分と同じ姿の竜を残すらしい」
ティオとシオンは顔を見合わせて、コクッと頷いた。
「村長。僕、明日この洞窟に行ってみようと思います。……頼まれたんです。竜に、卵を頼むって」
小さな掌をぎゅっと握り締め、今度は泣かないように力を込める。
「あの竜に……。そうか、いいだろう。だが、一人で行くつもりか?」
「いいえ。私も行きましょう。……もともとこの役目、自分が背負わねばならないことですから」
隣に座っているシオンが挑むようにポリスへとはっきり告げる。
「まぁ、お主が居れば、心配することはないが……」
何かを言いたげにポリスはシオンを見つめ返す。
シオンはただ微笑を浮かべて、首を横に振った。
「……分かった。あの山を頂点まで登るのには、半日かかる。早朝に出発すれば夕方までにはこっちに帰って来られるだろう」
「はい」
力強くティオは頷き、シオンと一緒に立ち上がる。そして、ポリスの家を出ようとするまえに後ろから声をかけられて、立ち止まる。
「二人とも……明日は十分に気を付けて行くのじゃ」
ポリスは穏やかに、だがどこか真剣な面差しでそう告げる。それは、村長としての言葉なのかそれとも彼個人としての言葉なのかどちらかは分からない。
それでも、自分には洞窟へと行って、再び帰って来なければならない役目を背負ったのだと改めて感じた。
自分だけの役目。
それはどこか特別なものだと感じていた。
そして、明日、また竜に会えるかもしれない。あの竜が残した卵に。
だが、ティオはその時まで、この背負った役目が本当はどれ程、大切な事かも知らずにいた。
春が近づいているとはいえ、まだ朝は肌寒い。朝食を食べ終えたティオとシオンは簡単な食料と飲み物を麻で作った鞄に入れて、洞窟を目指して歩き出した。
しかし、農作業で忙しいこの時期に人手が足りないのを承知で、二人も抜けることに少し不満と反感を持っている者もいたがそこは村長であるポリスが治めてくれたらしい。
だが、やはり、竜の存在が公になったとはいえ、「大地の竜」がこの土地を豊かにしているという事を信じている者はあまりいないようだった。
ただ、その日を生きるために、その先を生きるために日々を送ることが重要だからこそ、竜という存在にそれ程、興味を示さないのかもしれない。
ティオは深く息を吸う。山の中へ進むたびに、村がある方はどんどん見えなくなっていく。
大丈夫だ。ここの道はいつも野草や薬草を採集する時に利用しているし、今はシオンがいる。
ふと、横を見るとシオンの腰には古びた剣が下がっていた。彼女もまた、警戒しているのだろう。
「おばさんは……洞窟に行ったことある?」
「私か? うーん……途中までなら、な」
「そうなの? でも、どうして途中まで?」
ティオは背の高いシオンを見上げながら尋ねる。
シオンは少しだけ小さく笑い、そのまま前を向く。
「まだ、小さい頃に姉さん……、お前の母さんと二人でこの道を辿って登ったことがあるんだ」
懐かしそうに、だが少し寂しそうに答える。
「私達が子どもの頃から、山の入口辺りは入っても構わないが、奥には行かないようにと、いつも言われていたんだ。だから、二人とも余計に行きたくなった。……もしかすると、この奥に竜が居るかも知れないって期待を膨らませて」
「母さんも……竜が好きだったの?」
自分が小さい頃に亡くなってしまったので、あまり覚えてはいないが笑顔が優しくて温かだったのは何となく覚えている。
「そうだよ。だから、村からこっそりと抜け出して、この道を歩いたんだ。……まぁ、結局は途中で怖くなっちゃって、帰ったんだけどね」
「おばさんでも、怖いって思うことあったんだね」
少し驚いたようにティオが言うとシオンは鼻で笑い、目を細めた。
「そりゃそうさ。子どもだったからな。でもまさか……本当に竜に会える日が来るなんて思っていなかったからね。……姉さんも、会えたなら凄く喜んでいただろうな」
シオンの声が一瞬だけ曇ったように感じられた。表情は隠していても、やはり心のどこかで彼女も寂しいと思うのだろう。
「さて、お喋りはほどほどにしないと夕方までに村に帰られなくなるぞ。少しきついかもしれないが、早歩きで洞窟を目指そう」
「うんっ!」
ティオは鞄を肩にかけ直し、シオンの速さに追いつこうと小走りに道を登っていく。
……もうすぐ会えるんだ。
白い竜が心残りとした竜の卵。大地の竜の後継者。それが何を意味するのかをまだはっきりと理解しないまま、ティオは期待だけを胸にただ、その道をひたすら登っていた。