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託すもの


 その時だった。

 その空間に唸る声が響く。驚いた二人は一斉に竜の方へと振り返った。そこには、先ほどまで項垂れるように体を地面に着けていた竜が体を起こし、こちらへと顔を向けていたのだ。

 重そうな体を少しずつ動かし、吐く息はどこか熱気が伝わってくる。


「だ、駄目だよ、動いちゃ……!血が……っ」

 ティオはすぐさま竜の方へと駆け寄る。先ほど治療して薬草を包帯で巻いた部分はすでに止まっていたはずの血で赤く染まっていた。

「ティオっ! 迂闊に近づくな……!」

 シオンの声を聞かずにティオは構わず竜に近づく。竜は閉じていた瞳を虚ろ気味に開けて、軽く咳き込む。

 吐く息に混じって、小さな炎がいくつか空中へ出ては消えていく。

 それでも、竜は立ち上がりティオの方へと体を向けようとしていた。


 もしかすると、自分が竜に襲われるかもしれない、なんて考えはなかった。だって、この竜は心が優しい竜だと知っていたから。

 そして、何か目的を持って人間の居るこの村までやって来たのだ。

 最後の力を振り絞って。

「動いちゃ駄目だ! 傷が広がっ……」

 ティオが宥めようと両手を竜へと向ける。

 だが、竜はティオを飲み込める程の大きな口先をそっと優しく触れるようにティオの額へと口付けしたのだ。

「ティオ!!」

 シオンの呼ぶ声がした。

 

 だが、竜に口付けされた瞬間、ティオの体は何かに拘束されたように動けなくなったのだ。目の前に竜がいるのは分かる。

 それなのに、頭の中に流れる景色は自分のよく知っている山だった。

 飲み込まれるように、その景色が一気に自分の中で動き始める。


 青々しい山の中。

 獣道。

 小川。

 

 そして、次第にティオの中で風景は加速していく。やがて見たことのない風景へと変わり、さらにその奥に苔が生えて緑色になっている大きな岩が見えてきた。

 その岩は村からでは見えないが、かなり大きなもので家屋三軒程の大きさだった。


 しかし、大きな岩に近づくにつれて、岩の真ん中に黒い空間が見え始める。それは岩ではなく洞窟だったのだ。

 視界は洞窟の中へと入り、薄暗くも広い空間が見え始める。その真ん中に光が射す場所が浮かび上がった。洞窟の天井部分に穴が開いているのか、そこだけ真っ直ぐと光が射し込んで来るのだ。その光の下で何が光ったように見えた。

 沢山の葉っぱが絨毯のようにそこには敷き詰められており、そこの上にぽつりと白いものが確認できた。人の頭よりも少し大きいくらいのそれは、光で輝いているように見える。  

 だが、それが一つだけそこにあるのが、ティオには不思議にも悲しく感じられたのだ。


 何だろうこの気持ちは。

 胸の中が空っぽになるこの感覚は。


 そう思っている時に、ぐおっとティオの意識がその白いものから離れ、洞窟、小川、獣道、山と先ほどまで見た風景が一気に巻き戻るように通り過ぎていく。

 そして、風景から引き剥がされるように、ティオははっと自我を取り戻す。


「―――ティオ!!」

 がくっと体が大きく傾く。衝撃は柔らかいものだった。

「おい、大丈夫か!?」

 シオンが傾いたティオの体を支えながら、覗き込んでくる。

「……お、ばさん」

 自分を抱えているシオンは眉を深く寄せて、息を震わせていた。

「どうした。何があったんだ」

 ふと、自分の右頬が濡れた。

 何だろうと思い触ってみると、それが涙であり、自分が泣いていたのだと自覚する。

「……あの山の奥に……洞窟があったんだ」

「洞窟……。もしかして、竜の棲家か」

「そう、なのかもしれない」

 そう言って、ティオはシオンの手を振りほどくように竜の元へと、一歩一歩確かめるように向かう。

「あれは……君の家で、あそこにいたのは……卵、なのかい?」

 静かに、優しく問いかける。

 先ほどまで辛そうな表情をしていた竜が一瞬だけ、顔を緩ませた気がした。

「そうか……君はあの子の親、なんだ」

 洞窟で見た白いものはこの竜の卵だったのだ。

 しかし、なぜ自分にそんなものを見せたのだろうか。

「それなら、君は早くあの子の所に帰らないとね。きっと、寂しがるよ」

 ティオは笑った。


 竜は低く鳴いた。

 その声が凄く、悲しく聞こえた。



 ―――頼む。



 そう、聞こえたのだ。

 竜は人間の言葉を話したりはしない。

 だが、今、ティオの目の前に居る竜がそう告げたように聞こえた。

「……え?」

 思わず、ティオは聞き返すが、竜は穏やかな表情をして静かに目を伏せていく。それが、何を意味するのか、身体全体で感じた。シオンの方へとティオは表情を歪ませて振り返る。

 しかし、シオンも悲痛そうな表情を浮かべて首を横に振った。

「っ……!」

 悟ったティオは竜の身体へと抱きつく。

 手当てしている時、竜の身体は本当に冷たかった。それなのに、今はどうして溶けそうな程こんなに熱いのか。

「駄目だよ!! 逝っちゃ駄目だ!! 君を待っている子を……あの子をひとりにしないでっ!!」

 ティオは強く訴えた。

 しかし、竜の白い身体が次第に輝き始める。零れる光の粒は竜の身体から発せられているようだった。

「お願いだっ! どうか……っ!」

 抱きしめていたはずの身体がその瞬間に、弾けとぶように光の粒となって散らばった。そこにあったはずの白く大きな身体が目の前から一瞬で消え去ったのだ。

「あぁっ……!」

 何もなくなったその両手をティオは空中に漂わせる。

 光の粒は掴もうとしても、握ることさえ出来ない。それどころか、少しずつ上へと上がっていく。まるで、空に吸い寄せられるように。空を飛ぶように。

「そんな……」

 ティオが身体を前へと倒し、その場に項垂れる。

 脱力したように、ただ、そこにいるだけのように。

「ティオ……」

 シオンが近づき、手を差し伸べようとしたが、それは振り払われてしまう。

「僕は……やっぱり、何も出来ないじゃないかっ……!」

 小さな拳で、地面を強く叩いた。何度も何度も。

 その手が赤く滲み始めても。あの竜の抱えていた痛みに比べたらこんなもの、小さいと分かっていた。

「やめろ」

 やがて、それはシオンによって、止められる。

「……あの竜が力尽きるのは分かっていたことだ。今更……何も変えることは出来なかったんだ」

「じゃあ、諦めて竜を放っておけば良かったっていうの!?」

 涙をぽろぽろと流しながら、ティオはシオンに振り返る。

 しかし、ティオはその表情にはっとした。

 ティオにとって、シオンは強く明るい女性だった。そんな彼女の涙を見たのは、シオンの姉でもある自分の両親が亡くなったときだけだった。

 その彼女が今、同じように頬に涙を流していた。

「私にだって、何も出来なかったさ。ただ、こうやって看取ることしか出来なかった……」

 シオンはそっと、息を吐くように静かに囁く。

「私もね、竜が好きなんだ」

 ティオを握る手を緩め、シオンはそっと頭を撫でてきた。

 自分の母が亡くなったときから、彼女は自分にとっての親であり、姉のような存在だった。強くて、明るくても、彼女がとても優しい事は知っていた。

「幼い頃から、お前のように竜に憧れを抱き、ずっと会いたいと願っていた。それが今日叶った」

 

 胸の奥が、少しずつ締め付けられる。自分と同じように願いを抱いていたシオン。

 その願いが、本当は辛いものだと分かっていたのだ。その上でも彼女は竜に会いたいと思っていたのだ。

「…………あの竜は、どうなったの」

「空へと還ったんだ。竜の魂はそうやって空に呼ばれるように昇っていくんだ」

 おとぎ話を語るように、シオンは優しく告げる。

 ふと、自分の視線を落とした先に何かが入ってきた。ティオはそれを手繰り寄せるように手にとる。

 赤く染まったその細い布はさっきまで竜の足に巻いていたものだった。

 

 痛かったはずだ。

 辛かったはずだ。

 それでも、自分達のもとへと竜は来てくれた。

 たった一つの願いのために。


「ねぇ、あの竜は……幸せだったと思う……?」

 シオンを振り返らずにティオは問いかける。

「さぁな。それはあの竜しか知らない。でも……」

 一つ呼吸を置いて、シオンは言葉を続けた。

「あの竜はお前に託したんだろう?その願いを叶えて欲しいと思ったんだ。他でもないお前に」

 

 信じてくれたのか。

 この無力で何も出来なかった自分を。

 ただ、看取ることしか出来ない自分に。


 そう思うと、ティオは再び視界を潤ませ始める。手に握る包帯をぎゅっと額に押し付けるようにして、ただ静かに泣いた。

 

 助けてあげられなかった。

 救ってあげられなかった。

 守ってあげられなかった。

 何も出来なかった。でも、自分を信じてくれた。ちっぽけな、この自分を。


 それならば、最後にあの竜の願いを叶えてあげたい。ただ、それだけを強く思った。

 竜を見た時の喜びをずっと覚えているだろう。

 抱きしめた時のあの感触を絶対に忘れはしないだろう。


「僕はっ……、忘れないよ。光となって消えていっても……。あの竜がこの大地に住んでいて、ずっと守っていてくれた事を。優しかった竜だったことも、絶対に忘れない」

 震える声でティオは強く言葉にする。

 託された願いのために、初めて自分の意思を貫こうと静かに誓った夜だった。


     

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