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守るもの

 

 夕暮れの色が闇に染まろうとする頃、ティオはただ一人で黙々と竜の白い身体を少し濡らした布で、優しく拭っていた。

 あれから、竜は微動せずに目を瞑ったまま、静かに息をしているだけである。眠っているわけではなさそうだが、目の前に置いている木の実や温めたミルクなどに手を付けずにいた。


 村人達は自分達が竜の世話をしなくていいと分かるとほっとした表情を見せて、それぞれの仕事に戻っていった。

 最初は好奇心で貯蔵庫の窓から身を乗り出すように村人達も見ていたが、やがてその足は途絶え、夜が近づくこの時間となっては、竜の様子を見に来るのは村長やシオンしかいなかった。


「ちゃんと食べないと、元気になれないよ……」

 ティオは竜の隣で身体を撫でながら、静かに呟く。人間の言葉を理解するのかは知らないが、こうやって口に出さなければ、届く声も聞こえない。

 目の前にいる竜は、ただじっとして、動かないままだ。

 それをティオは子どもを見守るような表情で見ていた。

「……ねぇ、君は……」

 幸せだっただろうか。

 ただ、この大地に恵みをもたらすためだけに生まれた存在。人知れず、支えることはとても辛く、寂しいことだと思う。それでも、幸せだっただろうか。

 

 その先を言葉に出来ず、ティオは黙り込む。すると、そこへシオンが貯蔵庫の扉を開けて入ってきた。

「ティオ、どうだい? 竜の様子は……」

「全然、食事に手を付けてくれないんだ……。傷があるところは処置したよ。……薬草がちゃんと効いているといいんだけれど」

「そうか……」

 そう言って、シオンはティオの横に椅子を持ってきてから座った。

 彼女が手に持っているのは、小さなパンと温かそうなスープだ。そういえば、夕飯を食べるのを忘れていたため、シオンがわざわざ持ってきてくれたのだろう。

 目の前に、黙って出される食事をティオはありがとう、と言って受け取る。今日の夕飯は昼に作っておいた豆をミルクで煮たスープだ。

 でも、味付けが少し違うのはシオンが何かしら別の調味料を混ぜたのだろう。いつもより、優しい味にティオもほっとした笑みを思わず浮かべる。


「……おばさん」

「なんだ」

「おばさんは……竜がこの土地に住んでいる事を知っていたの?」

 座っても彼女は背が高いため、ティオはシオンを見上げるように見る。シオンは、腕を組み、小さく頷いた。

「知っていたさ。大地の竜の存在が物語ではなく、現実の話だと。まぁ、本当の事を知っている奴なんて、村長と私くらいだ」

「どうして? どうして、皆は知らないの?」

「知ってはいけない、という事はない。他の土地では大地の竜を村一体で守っているところもあると聞いている」

 何かを思い出すように、シオンは呟く。

 その瞳は竜から逸らさなかった。

「……それでも、竜は殆ど絶滅寸前に等しい生き物だ。だからこそ、知っている人間は限ったほうが良いと今の村長の先代は思ったんだ」

「でも、皆が竜の事を知っているのと、それに関係は……」

「あるんだ。昔、この国にはたくさんの竜が住んでいた……。空を見上げれば、竜が飛ばない日はないくらいに。だが、遥か昔、人々は戦争で竜を使った」

「……っ」

 悲しそうな目をしていた。

 静かに淡々と語るシオンはいつもの豪快で、大らかで、酒が大好きな明るいシオンではないかのように、何かを重く受け止めている表情をしていたのだ。

「その度に、竜は傷つき、死んでいった。そして、竜が減ると同時に彼らの貴重さが増して、金持ちなんかが竜を愛玩動物として欲しがるようになったんだ」

「そんなっ……」

 ティオは目を開き、何も言えないといった表情でシオンを見つめる。彼女はただ、困ったように小さく溜息を吐いた。

「だが、激減した理由がもう一つあるんだ」

 今、目の前に竜はシオンの言葉に耳を傾けているのだろうか。

 もし、そうであれば、人間の言葉が分からなければいいのにと思った。

「竜は大地の守り神だ。だからこそ、竜の存在が居なくなれば、居なくなるほどこの国の大地は滅びへと向かう。それを……この国の住人達は承知していた。そしてまた、敵国である隣国の奴らも」

 息を深く飲む音だけが響く。

「隣国の奴らがこの国の竜を……狩っていったんだよ。空を飛ぶ竜達を弓矢で射殺し、もしくは自国へと連れて帰り、売りさばいていった。愛玩動物としてだけなら、まだ良かった。だが、彼らは竜の鱗や皮膚を……爪を羽を……全て加工し、商品としたのさ」


 言葉を失った。

 竜の住む国。かつてそう呼ばれていたのは知っていた。

 だが、なぜ、今は竜がいないのか。

 知らなかった。だって、物語の中だけにしかいないと思っていた。

 なぜ。だって、そう聞いていたから。


「東に位置するこの村は、大きな山を三つ超えた先にはもう、敵国の山脈が続いている。北、西、南の大地の竜がいる村々は海や同盟国、極寒の地などで囲まれているから敵国から侵略される恐れが少ない。しかし、この村は……」

「……敵が、侵略しやすいって事?」

「そうだ。一応、戦争は終わった事になっている。だが、土地が欲しい彼らは好きあれば襲ってくる可能性だってあるんだ」

「それならっ……!」

 ティオは立ち上がる。

 その拍子に膝の上に乗せていた空っぽの木製の皿が軽い音を立てて落ちた。

「どうして、この村には騎士団がないの!? 駐屯兵さえ、いないじゃないか……! もし、襲われるなら、この村が……!」

 山脈の続くこの土地に、守る兵は居ない。もっと南の国境を両隣としている村には見張りの兵が居ることは知っていた。 

 でも、ここには三百人という人数で、何とか成り立っている小さな村だ。

「ずっと昔のことだ。以前はここにも兵が置かれていたが、隣国はそれを自国へ攻め入ろうとしている兵だと言いがかりをつけて、戦争を吹っかけてきたことがあった。それは何とか、お互いに国境付近には近づかないと調停を結んで、収まったがはっきり言って、向こうは今でもこの地を狙っているだろうな」

 そこでシオンは一度息を深く吐く。

「だから、竜が居るんだ」

 シオンは立ち上がったティオを見上げる。

「竜が大地を守る。他国から進入させないように、常にこの地を守っているんだ。人には見えないが、彼らは自然による結界を作って、敵国から人が入れないようにしてくれている。人知れず、陰ながら……」

 そして、こうやって目の前に居る竜のように、最後は命尽きて死ななければならないというのか。ティオは身体全体が熱くなっていくのを感じた。

「竜という存在を知っている事がごく少数に限られているのは、竜を守るためでもある。彼らの情報を漏らさないようにする事で、彼らを守るんだ。……竜をここへ運んだあのあと、村の大人たちが村長の家へと集まっていた。恐らく、竜の存在を他へと口外しないようにと念を押していたんだろう」

 

 真っ直ぐと竜を見つめているシオンの横顔は険しかった。

 彼女もまた、自分のように心を痛めているのだ。そして、そっと耐えている。こんな風に強くなれたら、ちっぽけな自分にも出来ることがあるかもしれない。

 だが、力のない自分だとしても、この竜のために何かしたいと思った。

「……僕、守るよ」

 ティオは力を込めてそう告げる。握り締める両手はなぜが小さく震えていた。

「力もないし、弱いかもしれないけど……。でも、僕はこの竜を守りたい」

 猛々しいはずの竜がこんなにも傷つき、弱りきっているのに何も出来ずに見過ごすことなんて、出来なかった。

「……僕みたいな子どもに何が出来るかは……まだ、分かんないけれど……」

 ちょっとだけ困ったように言うと、シオンは小さく笑った。

「いや、あるさ。強さは力だけじゃない」

 立ち上がり、ティオを見下ろしながら、頭に手を置いてくる。ぽんぽんと優しくあやすように手で撫でてくるシオンは先ほどよりも穏やかな表情をしていた。

「この竜を救いたいと、そう思う心があるだけで十分だ」

「そう、かな?」

 よく分からないと言うようにティオは首を傾げる。

「そうだとも。だから、あまり卑屈になるなよ」

「……うん」

 恥ずかしそうにティオは返事する。


   

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