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与えるもの



「……これって」

 ティオは立ち尽くし、息を飲み込んだ。土煙の中に、少しずつその姿が現れてくる。

「やはりな……」

 黒い姿ではなかった。

 黒く見えたのは逆光になっていたから、その影が黒く見えただけだったのだ。

 今、自分の前にあるその大きな姿は白かった。そして、美しいと思った。太陽の光がその体に反射して、きらきらと光る。

 しっかりとした体つきにも関わらず、どこか幻想的に見えるのは、きっと夢だからではない。


 そう、これは本物だ。ずっと物語の中でしか語られなかった存在。それが、今自分の目の前に居るのだから。

「竜……」

 土煙が治まり、その姿の全貌が見えてきた。

 一軒家程のその体に、背中に生えているのは同じく白の大きな翼、そして手足には鋭く尖った爪。額には、何かの文様のようなものが描かれており、頭には角も生えている。

「なっ……竜だと!?」

「嘘だ……だって、竜はもう絶滅したって……」

 地響きに集まった人達はそれぞれ声を上げる。地面の上に倒れこんでいる竜はそんな人間達を気だるそうに少しだけ開いた瞳で見上げている。

「おい、怪我人は居ないのか!? 下敷きになった者は!?」

 はっと我に返ったシオンが周りに声をかける。

 だが、どうやら怪我人は居ないようだ。幸い、この場所は、休耕地なため、使っていない畑だった。そのため人も居なかったらしい。

 その事にティオはそっと胸を撫で下ろす。

「しかし、何で竜がこんな所に……」

「まだ生きている奴もいたんだな」

 

 ユリスティア国以前の国ではかつて、たくさんの竜が空を埋めつくすほどに居たと聞いていた。しかし、現在に至るまでに絶滅したと聞かされていた。

 ティオはもう一度、その竜の顔を見る。竜は疲れきっているようだ。

 だが、その瞳の奥に揺らぐ光は宝石のように美しく思えた。


「……あっ! ねぇ、おばさん! この竜、怪我してるよ!」

 血が、白い体を赤く染めていく。

 その姿がティオには激しく、悲しいと感じた。

「なに? ……翼と右足か」

 シオンも少しだけ竜に近づきながら、他に怪我をしている場所がないか探して見る。

「僕、薬草持ってるし、すぐに手当てしてあげないと可哀想だよ……」

「あぁ、そうだな」

 すると、後ろの方からざわつく声がした。

「おぉ……竜が……ついに落ちてしまわれたか……」

 村長であるポリスのしわがれた声が、人々の間から割って入ってくる。

 齢九十歳の老人で、足腰は弱いが村一番の知恵袋である。杖を突きながら、孫娘であるユイラに体を支えてもらい、竜の前へとやって来る。

「村長……」

 皆が見守る中、ポリスは竜の前に跪いて、祈るように手を合わせる。

「大地に、恵みを与える竜よ……。大いなる力に、その心に感謝致します……」

 静かに、彼はそう告げた。

 その言葉が聞こえていたのか、竜は少しだけ首を動かした。

「皆、この竜こそが『大地の竜』だ」

 ポリスの静かな言葉に、村人達は大きく声を上げる。

「はぁ!? 大地の竜って……あのおとぎ話の?」

「おとぎ話などではないっ! 本物の生ける伝説なのじゃ!!」

 若者の一人が疑うような声を上げるとポリスは細い目をかっと開いて、杖を空へと上げる。

「最近の若い奴らは……。常に竜の恵む大地に感謝せよといつも言っているだろうが。この土地こそが竜の恩恵の塊であると言っておるのに……」

「だって、居るなんて、知らないしなぁ……」

「伝説をどうやって信じるんだよ。竜に感謝するって言っても、どこに居るんだって思ってたよな」

「そうそう。俺ら生まれてずっとここに住んでるってのに、姿なんて一度も見た事ないぜ?」

「お前ら若者にこの山の頂上に竜が住んでいると本当の事を伝えたら、腰抜かして仕事どころじゃなくなるわ!!」

 ぶつぶつと文句を居始めるポリスにティオは話しを切るように駆け寄る。


「村長、竜が……怪我、しているんです。早く助けてあげないと……」

「なに……? 人里に下りて来ることは何事かと思っていたが……」

 ポリスは細い目をさらに細める。その表情が、とても悲しそうだった。そして、竜の表情を見て、何かを決断したように告げる。

「恐らく、寿命だ」

「え……」

「この竜は百年ほど前に生まれた竜だと聞いている。その命が尽きる時がきてしまったのだ」

 静かに語る声が、ティオの耳に深く刺さる。

 生まれて初めて見た伝説の竜の命が今、失われようとしているのだ。

「尽きるって……。死んだらどうなるのさ」

「俺達にはあまり関係なさそうだけど……」

「馬鹿もの! ……竜が死ぬということは、この大地に影響が出るということだ」

 周りの人達も何かを察したのか、急に黙り込み始める。

 信じてはいなかった存在の大きさに、何かの思いを傾けているのだろうか。

「この大地に終わりの時が始まるのじゃ」

 ポリスの一言は信じられないものだった。

「大地の竜は、その名の通り大地を守る竜じゃ。風も、水も、光も全て竜による恵みだ。その竜が死んだとなると……大地は枯渇し、荒れ果てる」

 ティオは目をはっと開き、白い竜の方へ向ける。

 先ほどに比べて、息が荒くなっている。傷から流れる血は止まることなくその体を染めていく。その光景を見て胸の奥で、何かが潰されたような窮屈な気持ちになる。


 寿命ならば、どうして空を飛んだりしたのだろう。

 どうして、この村までやって来たのだろう。

 何か理由があるのだ。


 だが、今はそれよりも竜の体が心配だった。それだけが、ティオを竜の目の前へと近づけさせる。

「おい、ティオ! あまり近づいては……」

 シオンの声も聞かずにティオは竜の前に立つ。竜は気だるげに頭を上げる。その瞳が真っ直ぐとティオだけを見つめていた。

 人を一飲み出来そうな程、大きな口がティオの方へと向けられる。周りからは、小さな悲鳴と息を飲む音が風と一緒に消えていく。

「……ありがとう」

 優しく声をかけ、ティオは横に倒れている竜へ手を伸ばす。

「この村を、この大地をずっと守っていてくれて、ありがとう」

 比べ物にならないくらいに小さな手が、竜の頬を優しく撫でていく。ティオはただ、優しく撫で続ける。気持ちを伝えるように、優しく優しく、ただ撫で続けた。

「…………」

 竜は何かを察したのか、静かに目を伏せ始め、息を整えながらゆっくりと呼吸し始める。

「……村長、使ってもいい小屋ってありませんか? 竜をここよりも暖かい場所に移動させないと、もっと体が弱っていくかも……」

 頼りなさげにティオはポリスの方へと振り返る。驚いたまま、細い目を全開にして口をぽっかりと開けていたポリスははっとしたように我に返る。

「ひ、東の貯蔵庫が空いておる。あの場所なら、竜一匹ぐらい納まるじゃろ。おい、若造ども!! この竜を板と丸太を使って、移動させるのじゃ!」

 村人達はその声に戸惑いながらも各々動き始める。

 初めて見る竜を恐れるように近づきながら、男達は何とか竜を運ぼうと、板と丸太を用意し、力を合わせながら竜をゆっくりと板の上へと乗せて、丸太を車輪代わりにしながら貯蔵庫へと慎重に運んでいく。

 

 その様子をティオは後ろの方から、不安そうに見つめていた。男達に動かされているのにも関わらず、竜は目を閉じたままである。

「ティオ」

 右肩にぽんっと手を置かれて、ティオは振り返る。シオンは眉を深く寄せていたが、大丈夫だと頷いていた。

「……おばさん、この竜……大丈夫だよね。きっと、元気になるよね」

 まるで自分に言い聞かせるようにティオは竜を真っ直ぐ見つめたまま呟く。

 

 貯蔵庫は元々、人が住んでいた家だったが、引っ越していったため、その家を改造して貯蔵庫にしている。そのため、未だに暖炉があった。これなら、竜の体を温めるために使えるだろう。

「……心配か」

「うん。だって、こんなにも辛そうだもの」

 貯蔵庫の中へと運ばれた竜はそのまま、横たえられる。しかし、動こうとはせずにただ、息を整えていた。

「ねぇ、僕がこの竜の世話をしちゃ駄目かな……」

 縋るようにティオはシオンの方を見上げる。

「僕、この竜を助けたいんだ。……また、空が飛べるくらいに元気にしてあげたいんだ」

 竜を運んだ男達は逃げるように早々とティオの後ろへと向かっていく。シオンはそれを横目で流すように見ながら、溜息をつく。

 そして、真っ直ぐティオを見て尋ねてきたのだ。

「……責任を持つことが出来るか?」

「え?」

「この竜を、看取れるかと聞いているんだ」

 その言葉にティオは固まる。

「……この竜は長くはない。だからこそ、世話をするならば、看取れる覚悟を持たなければならない」

 

 語るその言葉一つ一つが、胸の奥へと染み込む。

 シオンはこの竜がもうじき「死ぬ」と告げているのだ。ティオの小さな体は震えはじめた。目の前の命が、もうすぐ消えようとしている。

 自分達のために尽くしてきてくれた、優しく気高い竜が。

 

 ティオは一歩、前に出て、振り返った。

「……だって、この竜は今まで僕らのために頑張ってきたんだ」

 人知れず、竜はただ大地を守るべく生きて来た。

 それを今日、この日まで知らなかったのだ。知らないとは言え、今まで自分達の事だけ考えて生きて来た人間はなんて、おこがましいのだろう。

「僕みたいなちっぽけな人間が、大地の竜を世話するなんて、傲慢過ぎるかもしれない」

「…………」

「でも、恩返し……したい。最期に、竜が……幸せだったって、思ってくれるように……」

 ティオの瞳は水面のように揺らぐ。

 それでも、シオンの瞳から逸らさずに、挑むように見る。

「……お前が、はっきりと自分の意見を通そうとするのは初めてだな」

 ぼそっとシオンは呟き、左手に腰を当てて、盛大に溜息をつく。

「分かったよ。そこまで言うなら、私から村長に掛け合おう」

「本当っ?」

「ただし、条件がある。世話をしながらでも必ず、休息はとること。お前が倒れたら、元も子もないからな」

「……うんっ! ありがとう、おばさん!」

「だから、おばさんって、言うなっ! 全く……。じゃあ、早速言ってくるから待ってなさい」

 シオンは村長のもとへと早足で向かう。

 それを視線で見送り、ティオは再び竜の方へと振り返る。


 貯蔵庫には、好奇や恐怖の対象として竜を見に来た村人が交互に押し合っている。その一歩前に出ているティオは、もう一度竜の方へと向かった。

 そして、他の村人達からの視線が見えないようにと遮って、小さく囁いた。

「……大丈夫だよ。僕が助けてあげるから」

 頼りないその小さな手に、竜はただ、撫でられ続けていた。

 

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