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「怒髪天」の曲を聴きながら~32年、歩みつづけた歌~

作者: YKW

 「怒髪天」というミュージシャンをご存じだろうか。

 1984年、札幌市において増子直純氏が中心となり結成され(上原子友康氏、坂詰克彦氏、清水泰次氏が順次加入し、1988年に現メンバーとなる)、2010年ごろから注目され始めた遅咲きのロックバンドだ。32年をかけ、少しずつファンを増やしていった彼らの姿はまるで「継続は力なり」という言葉を体現したかのようである。

 もしかしたら「継続は力なり」という言葉は、今は嫌われている言葉なのかもしれない。常に過酷なノルマに追われる大人たちや、そして子どもたちにとっては「何を悠長な」と笑いの種かもしれない。目の前の結果を出さなければ次がない現実の中で「継続」なんて意識していられる時間が無い、それも事実だろう。

 しかし、継続に力が無いかと言えばそのようなことはない。たとえその先に挫折があったとしても、自分が憧れて信じた道をただひたすらに進み続けることには意味がある。その経験は間違いなく自分の財産になっている。継続の力とはそういうものだ。

 「怒髪天」はまさにその積み重ねを実現したロックバンドである。


 「怒髪天」の音楽は独特である。「ロックのリズムで浪花節を歌う」と説明したらいいだろうか。自分たちの音楽をJAPANESE R&E(リズム&演歌)と標榜しており、昔から愛されてきた歌謡曲の魅力を基礎にして彼らの音楽は成り立っている。

 ロックは若者のものと言われる昨今において、彼らの曲を初めて聴かれる方にはどうも「曲調がださくて、歌詞はくさい」と評されることもあるようだ。確かに彼らの曲はおしゃれではないし、歌詞も洗練されていると言いがたく、泥っぽさを強くイメージさせる。

 「ジャガイモ機関車」という曲においては、自分たちはジャガイモのまま機関車のように走り続けることを高らかに歌い上げてさえいる。

 しかし、ロックはおしゃれで洗練されていなければいけないのだろうか。

 「怒髪天」の歌を聴き続けていると「そんなことはない。ロックはロックであればいいのだ」というメッセージを高らかに歌い上げているのがとても好ましく響いてくるのだ。 


 人生は不思議なもので、何かしようとするにはとても短いが、振り返ってみるととても長い道のりを歩んでいる。

 気がつくと、若さを謳歌していた十代が遠くかすんでいる。あの頃はそのうち自分も大人になるのだという、当たり前のことを失念していた。

 人は誰しもが年を取る。そして歳を重ねるほど責任が増えていき、足取りは重くなる。

 「怒髪天」の歌はその人生の歩みに重点を置いている。

 「ロックがロックである基準はリアルであること」

 「怒髪天」のボーカルである増子直純氏がそう語るように、彼らは生活の中で経験した出来事を、感じた想いを歌詞に込めて歌い上げる。かっこわるくて泥臭い自分の姿を素直に真っ直ぐ描き出し、それを楽しく想い明るく笑うのである。

 その姿に胸をうたれ、自分も頑張ろう、自分の人生に対してもっと前向きに向き合わなければ、という勇気がいつの間にか湧き上がってくるのだ。


 残念ながら「怒髪天」は大きなヒットに恵まれていない。

 彼らの音楽は一音聴いてかっこいいと思うような刺激はないが、ジャガイモのように素朴な味わいがあり、じわじわと聴けば聴くほどその味の深さに魅了させられる力強さがある。

 そのため、何度も聞かなければ先ほどの「曲調がださくて、歌詞はくさい」という評価になってしまうのである。

 メジャーデビューを果たした頃の彼らは、その評価に大いに苦悩したことだろう。1996年、鳴かず飛ばずの日々に焦燥した彼らは「怒髪天」の活動休止を決断した。

 当時のことをギターの上原子友康氏は「その頃には音楽的にも何がやりたいのか分からなくなって、煮詰まって」いたと語っている。

 活動休止中、「怒髪天」のメンバーはそれぞれ別の道を歩んだ。他のバンドに加入する者、音楽とは関係ない仕事に就く者もいた。

 しかし、その別々の道の中ではじめて気がついたこともあるという。

 それは日常の日々を過ごすことの大変さである。

 「自分は特別な人間ではなく、特別な人間もいない。みんな同じく懸命に生きていて、それが人間のあるべき姿なんだって。(中略)あの3年間で社会に出るまで、平々凡々と暮らすことに並々ならぬ努力が必要だと知らなかったんだ。」

 インタビューにおいて増子直純氏はそのように語っている。活動を休止した3年間のうちに上手くいかないことに対する周囲への恨みは彼らの中から消えていた。いや、活動休止にまで追い込んだあの不安への焦燥感は逆恨みでしかなかったと気がつくことができたのだった。

 そして1999年、彼らは生きるために楽しんで歌い続けることを志して「怒髪天」の再スタートをきった。


 再始動した怒髪天の歌う「リアルなロック」は少しずつファンを増やし続け、2014年1月12日東京・日本武道館にておこなわれた、怒髪天のワンマンライブ「怒髪天結成30周年記念日本武道館公演 “ほんと、どうもね。”」では全国各地からファンが集まり、チケットがソールドアウトするほどの大盛況となった。

 彼らの歌は泥臭くておしゃれではないのかもしれない。しかし彼らの歌には仲間たちと夢に燃えた青春が、ふるさとを慈しむ哀愁が感じられ、無性に心を揺さぶられる。彼らの歌は彼らが刻んだ人生の歩みそのものである。

 結成から今年で32年。彼らは売れない日々が続いても「楽しいから」と歌い続けた。つまずき転んで遠回りをしても決して挫けなかった、その一歩一歩が彼らの歌に生きている。

 怒髪天は長い年月をかけて彼らだけの歌を生み出したのだ。


 2016年1月13日、怒髪天は新曲をリリースした。曲名は「セイノワ」。ラブソングをほとんど歌わない怒髪天が奏でる「今の時代を生きるすべての人への究極のラブソング」である。


「強く大きな声は正しく聞こえ 美しく勇ましげに響くが

君のために死ねるとか 誰も喜びやしない 愛のために生きてやれ 共に生きて

君のために死ねるとか 誰も喜びやしない 愛のために生きてやれ 共に生きて明日へ」


 「怒髪天」らしい歌だ、と新曲を聴いて私は思った。格好が悪くても自分らしく生きろと、励まされ、支えられ、背中を押してもらえる。

 彼らの曲は全ての生きる人々への人生謳歌なのだ。 


参考文献:怒髪級!! 怒髪天が語った1082+10の真実


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