去った騎士と残った子ども
自分はどうすればいいか?そんなことをケイトが考える必要は………すでに無い。
何故なら────
「……………」
静かに崩れ落ちた嘗ての仲間。
その様を沈黙したまま見詰めていた私は静かに吐息をついた………。
(莫迦だね……ケイト)
既に事切れている騎士に魔女はどこか疲れた風情で近くにあった箱に腰掛けた。
「…………で? 貴方は何時まで狸寝入りしたいるのかな? ………さっさと起きたら?」
「…………」
ゆっくり起き上がる小さな影。
「────ケイト、は……」
「死んだよ。見ての通り」
チョウとショウが魔女の側に控える。
「こうして会うのは初めてだね。絶望と憎悪と破滅を司る神─────────ダーモット」
「───流石はアーデルハイトとアデライトの愛し子だね。ああ、そう警戒しなくて大丈夫だよ。光と闇の眷族。私は彼女に危害を加える気は無いからね」
『『………』』
「チョウ、ショウ。下がりなさい」
警戒を解こうとしない二匹を魔女が諫める。二匹は主の命に体から力を抜いた。
邪神ダーモット。
光の女神アデライトに恋した神であり。私がこの世界に来ることになった元凶。
世界に災いを齎す祟り神。
「彼は、逝ってしまったか……。私を此処まで護り抜いてくれた。正体を隠していたとはいえ、礼を言えなかったのが悔やまれる………」
「へえ? とっくに死んでいたケイトを無理矢理此処まで護らせておいた奴の言う台詞じゃないね」
そう、ケイトはとっくの昔に死んでいた。その事実を、ケイト本人は知ることなく逝った。たった一人で子どもを護りながら次々現れる刺客を退ける───出来るわけがない。
「……それは違うよ、光と闇の愛し子。ケイトは自分の子である私を護りたい一心で現世に留まったんだよ。私と共にいたからという理由は確かにあっただろう。だけど……それだけで死んだ体に留まり続けるのは無理だよ」
「────ふうん? 私から言わせれば留まりたい一心で現世に留まれる方がよっぽどおかしいけどね? そんなんで留まれるのなら誰も死を恐れてはしないと思うよ」
「それは………アーデルハイトとアデライトのせいでもある。二人は君を助ける際に発した神力を、彼は間近で浴びてしまった。いわば彼は私とアーデルハイトとアデライトの三人の影響を受けていたんだ。神の力を三人分、肉体に留まるくらい訳はないさ……」
あの処刑の日に、ケイトの身にそんな事が………。私は驚きながらもどこか納得する。
(だから処刑日以降、アリスの影響を受けることがなかったのか……)
ケイトが祖国を離れた一件は図らずも魔女の耳に届いていた。あの時は、何故ケイトはアリスの影響を受けなかったのかと不思議に思ったが、納得した。
「第一王子の、フィリップが貴方の器かと、正直思っていました」
第一王子フィリップの残虐極まりない非道の数々森の奥深くに引っ込んでいても嫌でも聞こえてくる。魔女はてっきりアリスとダーモットが手を組んでいてその代償にマリアがダーモットの器となる肉体を産む契約を結んでいたと思っていたのだが………。
(ダーモットと話している感じだととてもそうとは思えない。コレが、本当に邪神の名を関する神なのか?)
破壊と嘆きを好む神。
むしろ知性と智理を司る神だと言われても納得出来るほどダーモットは穏やかな性格をしている。もっとも、その身が醸し出すおぞましくも荒々しい気配が全て裏切っているが。
「フィリップは……。彼はアリスの光の魔力を胎に居るときから受け過ぎて精神と魂が狂って穢れてしまったんだ。それにね? 一応私は邪を司る神だからどんなに頑張っても正式な夫婦の子を器には出来ないよ。でも、不義の子であるフリックは話は別だ。その存在は間違いとされ、憎まれ疎まれる。本来フリックとして産まれる魂はその影響でフィリップ以上の人災を世界にばらまく運命だった」
だが、フリックの体にはフリックの魂の代わりにダーモットの魂が器として入った。
「フリックの魂は今はケイトの魂と共にアーデルハイトの元で穏やかに眠るだろう。目覚める、その時までは……」
哀惜さえ感じさせる悲しげな表情。
「───何故、アデライトの世界に災いをバラまいたの?」
気付けば私はそうダーモットに尋ねていた。
それは───亡くなったケイトに対して悼みを捧げているダーモットを理解したいと思ったのだろうか?
ダーモットは、それこそ悲しげに、言った。
「───それは、私が神だからだよ。邪神と呼ばれる存在とはいえ人の子に牙を向けられれば……それ相応の報復をしなくてはならない。たとえ………私自身の望みでなかったとしても」
ダーモットを封印しようとしていたアデライトを祀る神官達。だが少なくともその時点ではダーモットは何もしていない。
先走ったのは、あくまでも人間側の方だ。
でも───
「なら何故? 人間側だけに災いを齎すのでは無くアデライトの世界全体を祟ったんですか? 其処までしなかったらアデライトもアーデルハイトもきっと貴方に対抗しようとはしなかった……」
そう。
私が呼ばれることはなかった。
自分で決めたことでもある為、その事をどうこう言うつもりは無いけれど。
「本来ならばそうだね。君の言う通りだ。私とてアデライトの創った世界を呪うつもりなどなかった……。彼女が生み出し、愛でているこの世界を───
───人間達どころか、彼の世界に属する全ての種族が私を封じようとしなければ………」
「──────マジ?」
●○●○●○●○
頭が痛くなる………。
控えているチョウとショウが否定しないということは事実なのだろう。───馬鹿共が!!
もはやこの世界の住人に対して弁解の余地は無い。馬鹿だ馬鹿だ阿呆だとは思ってはいたが、まさか、此処までとは………。泣きたい。
「……あれ? だとすると……。私の、アデライトの加護が消えてアリスに加護が宿ったあれはどういうこと?」
あれは────ダーモットの、仕業では無い?
「ん? 嗚呼───あれはね? 君のアデライトの加護が無くなったわけじゃないよ。ただ単に世界に満ちるアデライトの力が強くなりすぎて君に掛かっていた加護が同調、そしてその結果君についたもう一つの加護、アーデルハイトの加護が浮き彫りになったんだよ」
「………」
マジか。
「アリスにアデライトの加護の気配を感じたのは彼女がアデライトの魔力を自身の身の内に溜め込んだからさ。アデライトと繋がった巫女姫だから出来る芸当だよ……。もっとも、君の正式な加護と違って無理矢理集めた魔力の塊だからその影響は計り知れない。────これが、君だったら此処まで悪影響をもたらさなかったと思うよ?」
「…………」
ため息も出ないよ。
呆れ果ててもはや涙も出ない。………ただ単に疲れた………。
でも……、なるほどね。どうりでアデライトとアーデルハイトがチョウとショウを使って私とダーモットとの接触を阻もうとする訳だ。
………神も何も関係は無い。すべては、最初から、この世界の住人共の自業自得か!!
「森に、ずっと引きこもろう……」
そうしよう。
「………そうだね。その方が、巻き込まれずに済むかも知れない……。この森の磁気と障気は天然の要塞結界だから君に何らかの被害が出ることはないだろうし………」
「? 何の話?」
ダーモットは苦笑する。
「もう近々この世界で大規模な世界戦争が起きる。種族問わずの、血で血を洗うほどの大きなものが」
「………貴方が、引き起こすの?」
ダーモットは首を横に振るう。
「私が……というよりもこの世界自体が滅びに向かっているんだよ。アデライトの魔力にどの種族も捕らわれて、狂って狂って────暴走する。もう止めることは出来ない」
哀愁さえ漂わせるダーモットに魔女は無言で続きを促す。
「この世界は一度滅びを迎える………完全に崩壊はしないだろうけど、いくつかの種族は断絶するかも知れない。アリスがアデライトから過剰に流す魔力を止めて、世界の均衡を元に戻さぬ限りは」
「─────」
声が、出ない。
この湧き出る気持ちは何だろう。
「私が器を得てこの世界に降臨したのは……最悪、世界が滅びではなく完全な崩壊をしないよう防ぐ為だ。そんな事になったら隣接する他の世界に多大な悪影響を及ぼす。これが世界の寿命ならば致し方ないけれど今回は違うからね……。そうなる前に私がこの世界をリセットする。アデライトにも文句は言わせないよ。アーデルハイトも、妹達にはこの事に関して口出し出来ないし、させない」
でもそうなる事態になるまでは静観するつもりだとダーモットは語った。
二人の眷族であるチョウとショウの前だ。嘘の宣誓はしないだろう。神ならば尚更だ。
――――ダーモットは立ち上がりケイトの遺体の元の行くとその死体に触れた。
ケイトの死体は一瞬淡く輝いたと思ったらそのまま跡形もなく崩れ去って消えていった……。
「―――お休みなさい。良い夢と、幸多き新たな生があるように」
呟く祈りの言葉は儚く消え去るケイトの向けての餞。
最後の粒子が消え去るのを見届けてからダーモットは忽然と姿を消した。
おそらくはケイトと本来の第二王子フリックの故郷に帰ったのだろう。
(………ダーモットがわざわざ此処にきたのは、何だったんだろう。もしかして、私と話をする為だったとか?)
有り得なくはないだろう。
神というものは時に慈悲深く、時にどうしようも無いほど惨く残酷だ。
(そう考えるとアーデルハイトとアデライトがこの世界にしか私の居場所が無いと言ったことも、そもそも召喚した理由も怪しいかも知れないな………)
神の言葉には力が宿る。
何気ない言葉にも周りに影響を及ぼすので嘘は吐くことはないが、だからといって隠し事や偽り事がないわけではない。ダーモットとアーデルハイトとアデライトが兄妹というのも初耳だったし。
だが私は軽く首を振って思考を霧散させる。
今更何を言ったところで変わりない。
それに自分で決めたことでもある。だったら恨み辛みで日々を無闇に費やし囚われるよりも、その分をどう穏やかに過ごしていくのか日々費やした方が悪くない。
(長い───永い時間が有るんだ。せめてこれ以上は煩わしい思いをせずに過ごしていきたい)
私の体と魂は十年間に渡ってアデライトとアーデルハイトの住まう神界に居た。
その影響と今居る強い磁気と障気を放つ森に暮らしているせいで私の体は普通の人間とは違う時の刻みを歩んでいる。
見た目が、二十年の年月を過ごしたとは思えないほど若いのもその所為である。
魔女の体は二十六から先の時を刻まくなった。
だが東洋人である為か、肉体年齢よりもずっと若く見られてしまうが………。
そしてそれは寿命にも影響を及ぼしているだろうことは想像に事欠かない。
「───チョウ、ショウ」
呼びかければ二匹はビクリと体を震わせる。
恐る恐るといったように私に顔を向ける二匹は、どこか恐々としている。多分、ダーモットの話を聞いた私が、どうするのか気になっているのだろう。
アデライトとアーデルハイト。
二人に対して、私がどう思うのか───とか。
苦笑して、私は言った。
「帰るよ。今日は無駄に疲れた……。早く家に帰って休みたい」
二匹の顔が、泣きそうに歪んでいるように、見えた。
『御意』
『……ええ』
小屋を出る私の後に二匹は続く。
二匹は魔女に寄り添うようにして飛翔する。その様子に自然と笑みがこぼれる。
それから約二年後、ダーモットの言葉通りに全種族を巻き込んだ全面戦争が始まった。
私を召喚した国はダリウス王と聖女アリス、その側近達と共に呆気なく滅びた。
彼らの最後は、聞いていない。
まあ、ロクでもない最後だったのはチョウとショウの様子から大体わかったが……。
二百年以上続いた全面戦争は数多の種族を衰退化させ、その間にアデライトの魔力に当たった魔獣達が凶暴化して大厄災を世界中にバラまいた。
魔女の暮らす森に住まう魔獣達は森に満ちる磁気と障気の影響を常に受けているせいかアデライトの魔力の影響が少なかったが、それでも完全に免れることは不可能だった。
一匹でも国を滅ぼすとされる巨悪な上級魔獣が、数匹森の外に出る。
こうなってしまったらもうどの種族も戦争どころではない。生き残る為に今度は凶悪な魔獣を討伐する為に奮闘するもどの種族も全面戦争の影響で戦力が無い。ジリ貧状態が続く中、凶暴化した魔獣達が少しずつ正気を取り戻していく毎に世界も少しずつ沈静化していく───。
戦争が終結し、魔獣達も在るべき場所に帰っていくころには全種族の培ってきた文化・伝統・技術・叡智・工芸といった物達が喪われていた。
世界は大きく後退し、その復興までには数千年という途方も無い時間が必要となった。
魔女は静かに世界の出来事を見守った。
未だに混沌とする世界に何一つ為さず、静観を貫き通した。
傍らに控えいる二匹の従者と共に。
終末の旧世界
後の世にそう呼ばれることになる全種族全面戦争以前の世界の名称。
その世界で数多の技術と叡智は失われ世界は衰退化した。戦争の傷跡は酷く、世界中の種族は滅亡の危機に瀕し───もしくは滅亡した───ていた。
古き時代より生きてきたモノ達も戦争で負った傷が元で次々と亡くなり、かつての栄光の世界を知るものはいなくなっていった───。
だが世界中の皆が知る。一人の魔女が居た。
その魔女は終末の旧世界の生き残りであり、失われた筈の技術と叡智を受け継ぎ、比類無き膨大な魔力はあらゆる困難を打ち破ると言われていた。
彼の魔女は実に二千六百年の時を生きた不老長寿。
双黒を身に宿した永久の女。
その無二なる存在を手に入れようとどの時代の権力者、実力者が追い求めるも危険過ぎる森に阻まれてその望みは終ぞ叶わなかった。
皆が言う。
魔素と障気に満ちた森の主
『魔障の森の魔女』
───と。
次回で最終話となります。
魔女のその後。
魔女は幸せになれるのか……?