騎士は嘆き魔女は沈黙す(追憶)
サブタイトル通りに進みます。
森から外れた場所にある最早使われてはいない小屋の中。絶望した顔で地面に両膝をつき、うなだれている男を魔女は静かに見つめていた。
「──何故? どうしてこんな事に………。私は、一体どうすれば…………」
かつては聖女であった魔女の話を聞いた男は全身を震わせる。
魔女は何も言わない。
魔女の下に控える白と黒の神鳥は冷めた眼差しを男に送る。
襲撃者を退けはしたがその直後にランクAのバトルベアに襲われ、魔女の手により救われた男は二十年前に魔女と共に苦楽を分かち合った仲間であり、魔女の首を落とす筈だった処刑人でもあった。
男の名はケイト。
彼は幼い子どもを連れて逃げていた。その子どもは彼にとっては命を捨ててでも護らなくてはならない存在であり────己が犯した罪の証でもあった。
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私はどこで間違ってしまったのか………?
いや。本当はわかっている。すべては二十年前のあの時、そう、あの時からすべて間違ってしまったのだ。
私は代々騎士を生業とする由緒正しい家系である貴族の嫡男として生を受けた。
私は次期国王となられるダリウス王子の直属の騎士兼学友としてお側に侍ることが生まれた時より決まっていた。私はその事に対して何ら不満はなかった。両親や嫡男としての責任、周りからの重圧に苦しまなかったと言えば嘘になってしまうが当時の私にはその事を分かってくれる主も、共に研鑽を積む友も、悩みや弱音を聞いてくれる次期巫女姫であった彼女──アリス──も居てくれた……。
正直に白状するとアリスは私の初恋の相手だった。先代の巫女姫よりその資質を見込まれたアリスは幼くして光の女神アデライトを祀る神殿で暮らし、古の誓約によりダリウス王子の霊的守護者であったアリスはダリウス王子本人は勿論のこと王子の側近であった私達とも仲が良かった。
巫女姫は代々当代の巫女姫が素質の在る者を何人か神殿に引き取り、光の女神アデライトにお伺いを立てて神託が下れば次代の巫女姫は決まる。
詳しい話は分からないが………次代を決める巫女姫の神託は少々特殊で、たとえ光の女神の声を聞くことが出来ない者でも必ず分かることが出来るものだそうだ。
すべては、順調だった筈だった。邪神ダーモットが女神アデライトに恋をするまでは……。
そのことを知った神殿関係者は怒り狂い邪神ダーモットを封じようとした。魔のモノといっても神は神。人間ごときがかなうはずもなく、むしろ人間に牙を剥かれたことに激怒した邪神が人類に災いを降り注いだ。
誰もが絶望している最中、一人の少女が異界からやってきた。
黒目黒髪の変わった肌の色を持った少女。
彼女の持つ黒が邪神ダーモットを連想させ、邪神の手先かと彼女を捕らえようとした神殿の人間は彼女の纏っている女神アデライトの加護に気付き、すぐさま考えを改めた。
異界の少女は光の女神アデライトの慈悲によって降臨した聖女だったのだ。
これには国中が喜びに沸いた。
聖女の身の安全と立場を明確にする為にダリウス王子との婚約が決まり、誰もが聖女を受け入れたのだ。
聖女は邪神の力で汚れた土地や獣達を次々に浄化して行った。作物が実らなくなって久しい畑が豊かな黄金色を煌めかせ、狂った獣は大人しくなり山中や草原で在るべき姿でその生命を営みを紡いでいった……。
聖女の存在で元通りになっていく世界に誰もが聖女を讃えた。
だが聖女はいきなり光の女神アデライトの加護が消え去り闇の気配が漂う加護を身に纏った。
なにが起こったのかと思った。闇の加護など、邪神ダーモットのものだと誰も疑いはしなかった。
また、あの時に逆戻りするのか? 大地が腐り、獣が人々を襲い、死の病に大切な人が苦しみ死んでいく様を見ているしかないあの時に?
聖女は皆に糾弾された。
裏切り者、邪神に堕ちた売女、災いと不幸をもたらす魔女、聖女と呼ばれた少女を庇う者はいなかった。婚約者であられたダリウス王子は怒りに燃えていた。しかし聖女と呼ばれた魔女は皆の糾弾を真っ向から否定する。
『私は邪神に屈しもしなければ組してもいない! 嘘だと思うならアリスに頼んでアデライトに聞いてみるといい!!』
その言葉に皆は巫女姫の下に赴き女神アデライトの真意を問うた。私は、この時は聖女のことは何かの間違いなのだろうと思っていた。ダリウス王子と他の側近達は苦し紛れの戯れ言だと信じていなかったがもしも、ということもある。
私は固唾を飲んでアリスが女神に祈る様を見ていた。聖女はどこか安心した風情でアリスを見詰めているようだった。私はその様子を見て益々聖女が無実なのではと考えた。
でもアリスは、巫女姫は聖女を魔女だと、女神アデライトが告げたと───そう言った。
私は羞恥に顔が赤くなった!
聖女──いや、魔女は何かの間違いだと言っているが女神の神託に間違いなど有るわけがない!! 一瞬でも魔女の言葉を信じた自分が恥ずかしくって仕方がなかった………。
私は女神に懺悔する気持ちで祭壇に立つアリスの方へと顔を向けた。────もう、魔女の姿なぞ見たくはなかったのだ。
だが私がそこで眼にしたのは醜悪な顔をして魔女を嗤うアリスの姿だった。
(アリ…ス……?)
見たものが信じられず硬直した私は背後から響いてきた怒声に向き直った。今にしてみればあの時にもっと考えていれば、良かったと心底後悔することになる。
『無実だと言うのであれば何故貴様から女神の加護が消えたのだ! 闇の女神アーデルハイト? そのような神は聞いたことがない!! そもそも闇などといったものが光の女神の姉神であるはずがないであろうが!! 私達を馬鹿にするのもいい加減にしろ!!』
一瞬、ほんの一瞬目を離した時だった。アリスが眩い光を身に纏ったのは。その光は間違いなく女神アデライトの加護だった。
『アデライト様から神託が下りました。この瞬間より、巫女姫であるわたくしは背信者であるその者の代わりに聖女となり、ダリウス様と共に国と世界に安寧を齎すようにと………』
それはつまり、アリスがダリウス王子の伴侶となれと女神が告げたも同じことだった。
『嗚呼…。アリス、私の巫女姫……。私は女神アデライトの神託に従おう』
そう言ってダリウス王子はアリスの前に跪いてその手に口付けを落とす。
私はダリウス王子に違和感を感じた。まるで熱に浮かれたようなその顔と行動は、私の知るダリウス王子とはかけ離れていたからだ。
そして魔女は捕らえられた。呆然と魔女はアリスを見ていた。『まさか……アリス……』口から漏れた言葉は信じられないと言っているようだった。
捕らわれた魔女は最後まで身の潔白を訴え続けた。そして驚くことに神殿の上層部の何人かが魔女の処刑の中止を求めたのだ。
女神と世界を欺いた裏切り者には死の制裁を。
そう結論を出した王家に神殿は反抗したのだ。
曰わく、魔女は確かに女神アデライトの加護を失っているが、魔女が今纏っている加護は穢れを感じない。闇の気配なのは間違いないがその空気は清浄そのもの。本人も無実を訴えている。処刑の判断を下すのは時期尚早である────と。
これには王侯貴族は真っ向から批判した。
神に仕える存在が魔女に毒されでもしたのか! 女神アデライトが彼の者が邪神の手先と巫女姫であり新たな聖女であるアリスに告げたのだ、正義は我々にあると言った。
もしかしたらあの場にいた神殿関係者で私と同じくアリスのあの顔を見た者がいたのかも知れない。あの、邪悪に満ち満ちた薄ら寒い嘲笑を。
国は、魔女を拷問をしてでも自白させることを決めた。拷問は、何故かダリウス王子と私達側近に任された。私は不敬であることを承知で拷問することを辞退した。まだ混乱していて気持ちの整理が付くことが出来ないと。
ダリウス王子は不快な顔をして私を見詰めた。他の皆もだ。そしてアリスがこう言った。
『裏切られたことが信じられないのですね……。判りますわ、その気持ち。わたくしも同じ思いですもの。ケイトは尋問には参加しない方がよいかもしれませんわね………』
アリスの優しさに、やはりあの時祭壇で見たアリスは私の気のせいだったのだと思った。しかし、続いてアリスが言った言葉に背筋が凍った。
『しかし断罪にダリウス様の直属の騎士であるケイトが加わっていないのは良からぬ憶測を招いてしまうやもしれませんね。………そうだわ! ケイトには死刑執行役を代わりに担ってもらえばよいのよ! そうすれば魔女によって傷付いた王家の権威も、きっと回復しますわ!!』
アリスの提案はあっさりは可決された。
ダリウス王子からは『この腑抜けが、アリスの機転にせいぜい感謝するんだな』と侮蔑された。
どうなされたのですか、ダリウス王子。貴方は、その様なことをおっしゃる方ではけしてなかったのに………。
そして魔女に対する自白の強要である拷問は始まった。どんなに痛めつけても罪を認めない魔女に対してダリウス王子も他の側近も苛々しているのが見ていて分かった。………魔女に施す拷問は段々と過激さを増していき、命令を下した陛下ですら我が子である王子を見たこともない恐ろしい者を見るような目つきになっていた。
そして処刑当日。
最後まで無実を訴えた魔女の姿は悲惨極まりないものだった。あらゆる部分の肉は削がれ、四肢は欠け、あの強く真っ直ぐだった瞳は一つだけになっていた。
観衆の中で明らかに喜色とは違う悲鳴が聞こえたのは気のせいではないだろう。
そして魔女は処刑台の上に引きずられてきた。
足が無いので立つことが出来ない魔女は処刑台に投げ捨てられるように転がされた。
『なんで私は……貴方達のような人の為に頑張っていたんだろう。───バッカみたい』
『……………』
魔女の最後の言葉に、私は無言で剣を振り上げた。
違和感を感じていた。疑問も幾つかあった。だが私はそれらの全てから目をそらすことを、選んだ。
魔女の首を跳ねる為に剣を振り下ろした。
剣が魔女の首に触れる刹那、天井から光の柱がまるで魔女を護るかのように降り注いだ。
光が降り注いだ瞬間、私の剣は弾かれ、
──────魔女は、消えた。
しばらくはケイトの回想続きます。