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 僕が小学生になったとき、母さんは僕を放課後の学童保育所に入れようとした。

 しかしその学年は入所希望者がひどく多く、健康な親族(ばあちゃん)が町内にいる僕には許可が下りなかった。

 母さんは役所に文句を言ったがもちろん受け入れてもらえず、結局はあきらめざるを得なかった。


 が、それは僕にとってこの上なく幸運なことだった。

 つまりは、毎日放課後の時間をばあちゃんの家で過ごすよりほかなくなったのだから。


 やった!


 もちろん、声に出して喜びをあらわにするようなへまをしないだけの知恵は、その頃の僕にはもう備わっていた。だからできるだけ感情を表さないように用心しながら、ひっそりと入学の日を待ちわびた。

 そして入学式の翌日の朝、母さんは僕に「暗くなる前に必ず自分で家に帰ってくること」を何度も何度も約束させてから、学校へと送り出したのだ。



 ばあちゃんの家は、敷地に入ってしまえば車の危険もまったくないし、たくさんの木にぐるりと囲まれているから人目を気にすることもない。やんちゃ盛りの男の子にとっては、まさにうってつけの遊び場所だった。

 僕は毎日思う存分走り回り、木に登り、穴を掘り、納屋を探検した。


 父さんが以前拾った子猫たちは、ここですっかり大きく成長していた。

 縁側で横になっているとゴロゴロと喉を鳴らして擦り寄ってきたし、ふわふわの毛からはお日様の匂いがした。

 猫たちはいつも、僕をたまらなく幸せな気分にしてくれた。


 夏休みには友達を何人も誘って泊り込んだ。朝まだ暗いうちに眠い目をこすりながら起き出し、裏庭のクヌギの木に蜜を吸いに来るカブトムシやクワガタを捕まえるのだ。

 ばあちゃんはかまどでご飯を炊いて、畑で取れたばかりの野菜で料理を作ってくれた。


 とれたてのトウモロコシのみずみずしい甘さ!

 ゆでた枝豆の目に染みる青さ!


 僕はその宝石箱のような時間を味わうことに、ただただ夢中だった。



 ばあちゃんは、とても不思議な人だった。

 ものすごくのんびり屋さんに見えるくせに、実はとても働き者で、驚くほどいろんなことをやっていた。

 家の周りの畑の畝はきれいな縞模様を描き、いつもたくさんの種類の野菜や花が植わっていたし、おやつの時間になると魔法のようにふかし芋や小麦饅頭が出てきたし、古い家はどこもかしこも清潔に磨き上げられていて気持ちがよかった。


 一人でそれだけいろんなことをこなしながらもそれが全然大変そうに見えないのは、いつもばあちゃんが笑ってたせいなのかもしれない。


 ばあちゃんは僕が行くと、


「ああ、来たか」


 って、ニコニコして迎えてくれる。帰るときには


「ああ、帰るのか」


 って、やっぱり笑っていてくれる。


 僕が何をしても怒らなかったし、咎めることもなかった。靴を脱ぎ捨てても、食べ物をこぼしても、木に登って枝を折ってしまっても、「あれ、まあ」と言いながら、ただゆったりと笑っているだけだった。


「ばあちゃんは、どうして、僕が何しても怒らないの?」


 最初の頃は、しつこいほど何度も聞かずにいられなかった。怒られるのはもちろんいやだったけれど、何をしても怒られないと、なんだかひどく落ち着かない気分になった。

 するとそのたびにばあちゃんは、ニッコリしながら答えてくれる。


「何を怒ることがあるんだい? 青慈は、本当にやっちゃいけないことなんて、何ひとつしてないのに」


 そう言って柔らかいシワの底のまるっこい瞳で見つめられると、胸の奥に灯りがともったように体中が温かくなった。そんなとき僕は、自分がとてもいい子になったような気がした。


 でも大抵、家に帰るとそんな気分はあっという間に消し飛んだ。僕がテレビを見ているだけで、母さんは突然怒鳴り始める。


「何? 宿題は終わったの? だらだらしてる暇があるなら、少しは母さんを手伝ってよ。そんなことも思いつかないの? あんたまだは赤ちゃんなの?」


「……違う」


 家中の空気が凍りつく。

 母さんの血走った目でにらみつけられ、僕はぴくりとも動けない。


「違う、じゃないでしょ。違います、でしょ。」


「ち、違います」


「違わなくない、こんなこともわからないんじゃ赤ちゃんと一緒だわ! そうか、そう思えば腹も立たないか。赤ちゃんなら一人でお着替えもできないわよね、それじゃあ、ママが全部やってあげるわ」


 そう言って母さんは、僕のTシャツを力ずくで引っ張った。怒りを押し殺したような不気味な声に、僕は思わず身震いし、弱々しく情けない声を上げる。


「自分でできるよぉ」


「無理よ、だってあんたは赤ちゃんだもの」


 母さんは怒っているのか笑っているのかよくわからない表情で、なおもシャツを無理やり脱がせようとした。額の傷が、うっすらと赤みを帯びている。


 と、ビリッという音がした。僕のお気に入りの青いTシャツは、べろんべろんにのびて、縫い目が大きく裂けていた。


「ああもう、どうするのよ、もう着れないじゃない!」


 母さんはやっと手を離すと、いっぱいに涙をためた僕をにらみつけながら、吐き捨てるように言った。


「なに泣いてんのよ、あんたが悪いんじゃない。わかってる? 私をこんなに怒らせたのは、あんたなんだからね!」


 僕は何ひとつ口答えできないまま、ただベソベソと泣き続けた。

 そして思うのだった、僕はやっぱりいい子なんかじゃない、あれはただの勘違いだったんだって。

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