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 ばあちゃんは、その夜のうちにあっけなく逝ってしまった。


 出血した場所が悪く手の施しようがなかったらしい。

 が、そんなことはどうでもよかった。


 どうあっても、死んだ人は二度と帰ってこないのだ。




 葬儀が終わった翌日には、母さんは何事もなかったように会社に行き始めた。

 千恵子おばさんが少しずつ遺品の整理をしてくれるというので、もう僕があの家に行く必要もなくなった。


 しかしそれは表向きの理由で、あの夜僕とぱせりが一緒にいたのを知った大人たちが、可能な限りふたりを引き離しておこうとしている気がした。


 そうしてばあちゃんとぱせりとあの家を失った僕は、歯車がずれてうまく回らなくなったゼンマイ仕掛けの人形のように動けなくなった。



 ばあちゃんは、いない。

 あの家のどこを探しても、この世界のどこにも、もういないのだ。



 今までも何年も会わずにいたのだから今度だって大丈夫だと、どこかで高をくくっていた。


 でも、いつでも会えるけど「会わない」のと、いくら会いたくてももう「会えない」のとは、まったく別ものだと知った。



 ふと、昔読んだ物語を思い出す。

 収容所から脱走した主人公が、ハンカチに包んだ一切れのパンを心の支えにギリギリのところを生き延びる。


 僕にとってばあちゃんはパンの欠片だった。

 生きていくための、最後の砦だったのだ。





 毎朝母さんが僕を起こしに来る。

 爆弾のような勢いで。

 部屋のドアを叩く音は日に日に怒りを増し、僕はますます心をかたくなにしていく。


 もういい。

 もうどうなってもいいんだ。


 僕は世界を遠くに押しやり、心に鎧を重ねていくことだけに集中した。


 数日間は何も食べずにひたすら眠ってばかりいた。

 昼間も頭がぼんやりとして、ずっとベッドでうつらうつらしていた。

 なのに夜は夜でまた眠れるのが不思議だった。


 この調子なら飢え死にすることもそう難しくはない、そんな気がした。


 が、その期間が過ぎると、今度は無性に食べたくなった。

 

 慌しく母さんが出勤したあとに部屋から出て、冷蔵庫の中身を漁る。

 今日は半分ひからびたハムをかじり、牛乳をパックからそのまま飲んだ。


 母さんが見たら速攻怒りの火を噴くだろう。

 でも、もうそれもどうでもいいことに思えた。


 何も考えたくない、感じたくない。

 食べている瞬間だけは、すべてを忘れていられる。


 炊飯器に残っていたご飯をしゃもじですくい、口に運ぶ。

 ご飯粒が床にぽろぽろと落ちる。

 それでも構わず食べ続けた。


 残っていたご飯をあらかた食べ尽くしても、焼けつくような飢餓感は去ってくれない。もっと「何か」を食べたくて、台所中を探し回る。


 クッキー、海苔、食パン、ジャム。

 震える手で、手当たりしだい口の中に押し込んでいく。


 でも違う、違う、どれも違う。

 どれも僕を、僕の心を満たしてなどくれない。


 いくら食べても飽き足らず、欲望のまま貪り続ける餓鬼。


 惨めだ。

 こんな惨めな生き物に成り果ててまで、どうして生きているのだろう。



 その時ふと、父さんのことを思い出した。

 もしかしたら父さんも、いくら飲んでも満たされなかったんじゃないだろうか。


 だとしたら父さん、あなたは本当は何が欲しかったの?


 僕が食べたい「何か」は一体どこにあるの?





 食べ過ぎた後の体は熱を帯びたようにぼんやりと重い。

 僕は部屋に戻り、ぐしゃぐしゃのベッドに横たわった。


 ほんのり汗臭くなった布団のぬくもりに包まれると不意に、病院で僕の顔を撫でてくれたばあちゃんのシワだらけの手の感触が思い出された。


 ああ、あの手に触れることはもうできないのだ。


 そう思った瞬間、体の奥底から突き上げるように涙が溢れ出し、気がつくと僕は両手で口を押さえたまま激しく嗚咽していた。


 ばあちゃんが死んでから、初めて流す涙だった。



 これから一体どうしたらいいのだろう。


 最後には死んでしまえばいいと思っていたけれど、それがどういうことなのか、崖っぷちに立って初めて恐ろしさに身がすくんだ。


 生きることの、そして死ぬことの意味とは何なのだろう。

 そんなこともわからないのに、一筋の未練もなく死ねるのか?

 今の苦しみが必ず続くと、未来にはまったく希望がないと言い切れるのか? 


 僕は僕の中に否定し難いかすかな希望が存在していることを認めざるを得なかった。

 けれどその希望は、死への道を阻みはするけれども、生き続けるためにはあまりに微力だった。

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