25
入院から一週間後、ばあちゃんの手術は無事に終わった。
でも僕は忙しいふりをして見舞いに行かなかった。
もう一度ばあちゃんのあの強く温かい視線で見つめられたら、今度こそ胸の中にあるものを隠し通すことなどできなくなってしまうだろう。
それが何より怖かった。
それに、手術は成功したのだ。
今無理に行かなくても、会おうと思えばいつでも会える。
僕は自分にそう言い訳をしながら、病院に行くのを一日また一日と先延ばしにした。
家に帰る時間は、段々遅くなっていった。
ぱせりが帰ったあとも僕はひとりであの家に残り、何をするでもなくだらだらと時間をつぶした。
狭いアパートで不機嫌な顔をした母さんと顔を突き合わせることが、それまで以上に苦痛でしょうがなかったのだ。
その日も9時過ぎに帰って夕飯を温めようとしていると、ちょうど風呂から出た母さんが台所にやってきた。
と、逃げる間もなく小言の連打が始まった。
「こんな時間まで、いったいどこほっつき歩いてたの!
まさか……変な友達と付き合ってるんじゃないでしょうね?
まったく、だらしないったら……。
ああ、昔はもっと素直でいい子だったのに、どうしてこんな風になっちゃったのかしらねぇ。まったく、育て方間違ったわ……」
最後の言葉がただでさえ不安定な心を思い切り逆なでした。
長いこと必死に抑え込んできたありのままの感情。
これ以上我慢する必要なんてあるのか?
どうせ僕はもうじき死ぬんだ、いっそのこと腹の中にあるものを洗いざらいぶちまけてやればいいじゃないか!
そう思った次の瞬間、自分でも思いもよらない言葉が飛び出していた。
「いちいちうるさい!
母さんはいつもそうだ、そうやって何でもわかってますって顔して。
ほんとは僕のことだって、何ひとつわかっちゃいないくせに!」
突然の逆襲に、母さんは目を丸くして固まったままわなわなと口を震わせている。
ざまあみろ!
もうこうなったら言いたいだけ言わせてもらうぞ。
「昔は素直でいい子だったって?
僕が小さいときからどれほど言いたいこと我慢して、どれほど母さんに気を使ってきたか、わかってんの? 素直だったわけじゃない、どうせ言っても無駄だから黙ってただけ。そんなことにも気付かなかったの?
父さんだってそうだよ。無口だったんじゃない、母さんに言っても無駄だから何も言わなくなっただけさ!」
その言葉に部屋中の空気が凍りついた。
「……なによ、それじゃあんたは、父さんが死んだのは母さんのせいだとでも言いたいの」
絞り出すような母さんの言葉にハッとしたが、もう引っ込みがつかない。
「な、なんだよ、そんなこと言ってないだろ?」
ひるんだ僕を憎々しげににらみながら、母さんは再び牙をむく。
「だって、そういうことでしょ?
ああ、そうね、私が殺したようなものよ。はいはい、あんたの言うとおり、私がこんなだから、うちはこうなったの。全部私のせいよ、私が悪いのよ!」
ああ、違う、そんなことが言いたかったわけでも言わせたかったわけでもないのに、どうしていつもこうなってしまうのだろう。
「なによ、何にもわかってないのはあんたのほうだわ、勝手なことばかり言ってるんじゃないわよ。
私だって必死にこの家を守ってきたの。あんたは我慢してきたって言うけど、私だってその何十倍も我慢してきてるのよ。
あんたはいいわよ、ちょっと頭が痛いから学校休む、運動会で疲れたからお手伝いはパスする、はっ、いいご身分だわ。こっちは熱があろうがお腹が痛かろうが、仕事も家のことも、誰もやってくれないのよ? わかる?
都合のいいときだけまだ子供だからって甘えて、やることやりもしないくせにえらそうに文句ばっかり言ってるんじゃないわよ!
何、その顔。くやしかったら、早く独り立ちしてみなさいよ」
「ああ、わかったよ。こんな家、今すぐ出て行ってやるよ!」
売り言葉に買い言葉で、僕はもうそう答えるしかなくなっていた。
そのままの勢いで財布をつかむと、すべての苛立ちをぶつけるように玄関のドアを思い切りバタンと閉めて外に出た。
「うるさーい! 近所迷惑でしょ!」
背後で怒鳴り声が聞こえたが、知ったこっちゃない。
肩を怒らせ、僕は夜の道に飛び出した。
歩いていると母さんの言葉が頭の中で何度も蘇り、そのたびまた新たな怒りが湧き起こる。
何もわかってないって? わかってないのは、そっちのほうじゃないか!
ずっと心の中で反発してはいた。
でも、あんな風に面と向かって母さんに口答えしたのは初めてのことで、そのせいでさらに自分が興奮状態にあるのを感じていた。
が、それも、しんとした夜道をひとりで歩いているうちに少しずつ鎮まってきていた。
言い過ぎたかな。
いや、でも、間違ったことなんて言ってない。
勝手に曲解して拗ねたのは向こうだ。
僕は、母さんのせいで父さんが死んだなんて言ってない。
そんなことは思っちゃいない。
……だって、父さんが死んだのは――僕のせいなのだから。
高ぶった気持ちが落ち着くにつれ、忘れ難い胸の痛みが鈍く蘇ってきた。




