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 あたりがすっかり暗くなると、ぱせりは黙って納屋の中に入り、猫の絵がついた大きな袋を抱えて出てきた。

 家中の猫たちが甘えるように体を摺り寄せながら、みゃあみゃあと集まってくる。


「お腹空いた? ちょっと待ってて」


 ぱせりは納屋の前に置いてあった皿にキャットフードを入れ、もうひとつの容器に水を汲んできた。


「いつも君がごはんあげてるの?」


 彼女はこくりと小さくうなずくとその場に座り込み、膝を抱えて制服のスカートを地面に引きずったまま、フードに群がる猫たちをそっと見守り続けた。

 やがて皿がほとんど空になるとおもむろに立ち上がり、ぶっきらぼうにつぶやいた。


「もう、帰る」


 長い黒髪を揺らしてぺこりとお辞儀をし、そのまま立ち去ろうとするぱせりを少しでも引き留めたくて、僕は必死で話題を探した。


「え……と、待って、あの、君のさ、あのときの、中学のときの写生会の絵、あったろ? なんていうか……すごく、震えた」


 それを聞いたぱせりの表情はほんの一瞬ぱっと輝き、そしてあっという間にしょんぼりと沈んでいった。


「……あれ、もうない」


 真っ黒な瞳にさっと薄い水の膜がかかる。

 わけがわからずうろたえながら、僕は聞き返した。


「え? ないって……どういうこと?」


「パパが、破って捨てた。ボク、変な絵ばかり描くから……気持ち悪いって」


 そう言ってぱせりは唇をぎゅっとへの字に結んだ。


 僕はまるで自分が踏みにじられたかのような胸の痛みを感じた。


「それでここに隠してたんだ……」


 思わずこぼれた言葉に、ぱせりがぴくっと反応する。


「あ……あの、さっきたまたま見つけて……ごめん、勝手に見ちゃった。

 でもあの絵、どれもすごくいいじゃん。

 僕は、すごく好きだ」


 次の瞬間、青ざめた頬がさっと紅潮した。


「……本当?」


「だって、ここで嘘なんかついても、意味ないし」 


 その答えに安心したように、ぎくしゃくと口を開くぱせり。


「パパは、ボクが絵を描くのすごく嫌がる。だから、全部ここに隠した。それでもパパは怒る。パパが怒ると、ママは、怖がる」

   

 そして、大きく息を吸って、震える声で言った。


「ボク、ダメな子だから。

 ……いつもパパを怒らせて、ママを悲しませてる」


 そこまで言うとぱせりは、再び口をきつく結んで黙り込んだ。



 ダメな子――それは何かの符号のように、いつも僕を苦しくさせる。

 その言葉を聞くたびに、決まってこの世界から消えてしまいそうな気持になるのだった。


 そうか、君も同じなんだね。


 だからきっと僕たちは、どこにいても長いこと会わずにいたとしても、あっさりと共鳴してしまうのだ。


 ひょっとしたらばあちゃんは何もかも分かったうえで、いつも僕たちをその呪縛から守ってくれていたのかもしれない。

 だから僕たちは、この家でだけは安心して子どものままでいられたんだ――。





 結局それから僕は、ほとんど毎日学校帰りにばあちゃんの家に寄るようになった。

 ぱせりも必ずやってきては猫にごはんをやり、天気さえよければ庭でひとしきりスケッチをした。


 僕は家中の窓を開け、廊下からその様子を眺める。

 ぱせりの集中が途切れた瞬間ふと目が合い、時折言葉を交わす。


 それだけだ。

 でも、それだけで充分だった。


 ぱせりの話は相変わらずぶつ切りでぶっきらぼうだったけれど、流暢に言葉を操るよりもずっと誠実でぱせりらしい気がした。



「いつも怒られる。

 おまえはおかしい。もっと女の子らしくしなさい。普通にしてなさい。


 よくわからない。何が普通? 

 わかるのは、このままのボクは、普通じゃないってことだけ。


 ボクが考えること、やること、何もかもパパを怒らせる。ママを悲しませる。

 こんなボク……きっと、いないほうがいいんだ」


 ぱせりは縁側でうずくまるように膝を抱え、目を伏せた。

 そのまつ毛は重く濡れている。


 僕は何もかける言葉が見つからず、思わずぱせりの頭にそっと手を伸ばす。


「なんで? 青慈には思ったまま言えるのに、他の人の前では言葉が出なくなる」


 目を伏せたまま、ぱせりがつぶやいた。


「僕もだ」


 ああ、どうして僕たちは、自分の家の中に居場所を見つけることができないのだろう。どうしてそこでは、ただ自分らしくいることが許されないのだろう。


 ばあちゃんの家は、主の不在にも関わらずいつもと同じようにしんと静まり返って、そして温かかった。

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