24
あたりがすっかり暗くなると、ぱせりは黙って納屋の中に入り、猫の絵がついた大きな袋を抱えて出てきた。
家中の猫たちが甘えるように体を摺り寄せながら、みゃあみゃあと集まってくる。
「お腹空いた? ちょっと待ってて」
ぱせりは納屋の前に置いてあった皿にキャットフードを入れ、もうひとつの容器に水を汲んできた。
「いつも君がごはんあげてるの?」
彼女はこくりと小さくうなずくとその場に座り込み、膝を抱えて制服のスカートを地面に引きずったまま、フードに群がる猫たちをそっと見守り続けた。
やがて皿がほとんど空になるとおもむろに立ち上がり、ぶっきらぼうにつぶやいた。
「もう、帰る」
長い黒髪を揺らしてぺこりとお辞儀をし、そのまま立ち去ろうとするぱせりを少しでも引き留めたくて、僕は必死で話題を探した。
「え……と、待って、あの、君のさ、あのときの、中学のときの写生会の絵、あったろ? なんていうか……すごく、震えた」
それを聞いたぱせりの表情はほんの一瞬ぱっと輝き、そしてあっという間にしょんぼりと沈んでいった。
「……あれ、もうない」
真っ黒な瞳にさっと薄い水の膜がかかる。
わけがわからずうろたえながら、僕は聞き返した。
「え? ないって……どういうこと?」
「パパが、破って捨てた。ボク、変な絵ばかり描くから……気持ち悪いって」
そう言ってぱせりは唇をぎゅっとへの字に結んだ。
僕はまるで自分が踏みにじられたかのような胸の痛みを感じた。
「それでここに隠してたんだ……」
思わずこぼれた言葉に、ぱせりがぴくっと反応する。
「あ……あの、さっきたまたま見つけて……ごめん、勝手に見ちゃった。
でもあの絵、どれもすごくいいじゃん。
僕は、すごく好きだ」
次の瞬間、青ざめた頬がさっと紅潮した。
「……本当?」
「だって、ここで嘘なんかついても、意味ないし」
その答えに安心したように、ぎくしゃくと口を開くぱせり。
「パパは、ボクが絵を描くのすごく嫌がる。だから、全部ここに隠した。それでもパパは怒る。パパが怒ると、ママは、怖がる」
そして、大きく息を吸って、震える声で言った。
「ボク、ダメな子だから。
……いつもパパを怒らせて、ママを悲しませてる」
そこまで言うとぱせりは、再び口をきつく結んで黙り込んだ。
ダメな子――それは何かの符号のように、いつも僕を苦しくさせる。
その言葉を聞くたびに、決まってこの世界から消えてしまいそうな気持になるのだった。
そうか、君も同じなんだね。
だからきっと僕たちは、どこにいても長いこと会わずにいたとしても、あっさりと共鳴してしまうのだ。
ひょっとしたらばあちゃんは何もかも分かったうえで、いつも僕たちをその呪縛から守ってくれていたのかもしれない。
だから僕たちは、この家でだけは安心して子どものままでいられたんだ――。
結局それから僕は、ほとんど毎日学校帰りにばあちゃんの家に寄るようになった。
ぱせりも必ずやってきては猫にごはんをやり、天気さえよければ庭でひとしきりスケッチをした。
僕は家中の窓を開け、廊下からその様子を眺める。
ぱせりの集中が途切れた瞬間ふと目が合い、時折言葉を交わす。
それだけだ。
でも、それだけで充分だった。
ぱせりの話は相変わらずぶつ切りでぶっきらぼうだったけれど、流暢に言葉を操るよりもずっと誠実でぱせりらしい気がした。
「いつも怒られる。
おまえはおかしい。もっと女の子らしくしなさい。普通にしてなさい。
よくわからない。何が普通?
わかるのは、このままのボクは、普通じゃないってことだけ。
ボクが考えること、やること、何もかもパパを怒らせる。ママを悲しませる。
こんなボク……きっと、いないほうがいいんだ」
ぱせりは縁側でうずくまるように膝を抱え、目を伏せた。
そのまつ毛は重く濡れている。
僕は何もかける言葉が見つからず、思わずぱせりの頭にそっと手を伸ばす。
「なんで? 青慈には思ったまま言えるのに、他の人の前では言葉が出なくなる」
目を伏せたまま、ぱせりがつぶやいた。
「僕もだ」
ああ、どうして僕たちは、自分の家の中に居場所を見つけることができないのだろう。どうしてそこでは、ただ自分らしくいることが許されないのだろう。
ばあちゃんの家は、主の不在にも関わらずいつもと同じようにしんと静まり返って、そして温かかった。




