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 僕の知る限りこの家は、いつでも温かく力強いオーラに守られていた。

 それはばあちゃんが庭にいても畑にいたとしても、いや、たとえその場にいなかったとしても同じだった。


 だから僕はここにいるときだけは手放しで、そう、何の心配をすることもなく、ただ安心して小さな子供でいることができたのだ。


 ぱせりだってそうだったはずだ。


 彼女の家がどんな風かは知らない。

 でも僕には確信があった。

 僕が唯一自分でいられた空間がここであったように、ぱせりにとってもこの家はたったひとつの居場所であったはずだ。

 だからいつも小さな女の子は、こっそりと家を抜け出してやってきたのだ。


 そのばあちゃんがいなくなる?

 そうしたら、慈しむように僕たちの名を呼んでくれるあのあったかい声は、二度と聞くことができなくなってしまう。

 そう思ったら、不意に狂おしいほどの寂しさが襲ってきた。

   

 いやだ、そんなのいやだ。


 僕は込み上げてくる嗚咽をどうしても止めることができずに身をよじって泣いた。

 大丈夫、ここでは涙を隠す必要なんかないんだから。


 毛づくろいをしていた茶トラの猫が不思議そうに僕の顔をじっと見上げ、濡れた頬をぺろぺろなめてくれた。



 そうしてどのくらいの時間が経ったのだろう。かすかに感じた気配にはっと顔を上げると、ビー玉のように澄んだまっすぐな目が戸惑うように僕を見つめていた。


 見慣れないブレザーの制服に包まれ波打つ髪を長く伸ばした高校生のぱせりが、あの時と同じように石榴の木の下にじっと立っている。


「あ、あの、邪魔してごめん、ボク、すぐ行くから」


 小刻みに視線を揺らしながら遠慮がちにそう言って立ち去ろうとするぱせりを、僕は引き止めた。


「いいんだ。行かなくていい。いや、ここにいて」


 ぱせりは驚いたように一瞬目を見開いてからおどおどと辺りを見回し、やがてギクシャクとした動きで縁側の一番端のほうに座った。


「……なんで、泣いてんの?」


 かすれる声でそっと問いかけるぱせりに僕は一体何と答えたらいいのかわからず、涙を手で拭いながらただ黙って首を横に振った。

 ぱせりも、それ以上は何も聞こうとしなかった。


 僕たちはそのまま傾いていく陽の光に照らされながら、互いの心が同じ振動数で震えているのを気が済むまで確かめ続けた。




「あの時は、ごめん」


 長い沈黙の後、僕はやっとのことでその言葉を口に出した。

 どうしても謝らずにはいられなかった。


「ううん」


 ぱせりはうつむいたままぎくしゃくと地面を蹴りながらつぶやいた。


『あの時』と言ってすぐに通じたのは、それが彼女の中でもやはり忘れられない出来事だったからだ。そう気付いた僕は、いたたまれない気持ちになった。


 とその時、


「ボクが悪いんだから」


 ぱせりが、暗い瞳でぼそりとつぶやいた。


「え?」


 聞き間違いかと思ったが、ぱせりは再び消え入りそうな声を重ねる。


「だってボク、青慈を怒らせるようなこと、言った」


「ええ? どうしてさ? どうして、そんな風に思うの?」


 僕が覚えているかぎり、ぱせりはあのあとき何ひとつとしてそれらしいことなど口にしていなかったはずだ。


「……どうして?」


 なんでそんなわかりきったことを聞くのかという顔でポカンと僕を見るぱせりは、まるで予期せぬ問いを投げかけられた小学生みたいだった。そしてまさに子供のような必死さで、そのことを説明しようとした。


「だって……だって、ボク、馬鹿だから。ボクは、いつの間にか、みんなを怒らせてる。いつだって、そうなんだ」


 一息にそういったあと、彼女はゆっくりと視線を目の前の石榴の木に移した。

 その瞳は曇りガラスのように光を失っている。



「でもね……本当は、いつも、いくら考えても、何が悪かったのか、よくわかんない。

 ボクは、それくらい馬鹿で、どうしようもない奴なんだ。

 だからきっと、あの時だって……自分で気がつかないうちに、青慈が怒るような、青慈を傷つけるようなこと、言ったに違いないんだ。


 ああ、ダメだ。


 ボク、こんなだから、本当は、こんな風に思ったまましゃべっちゃ、ダメなんだ。

 ボクはいつも、みんなをいやな気持ちにさせるから……」



 ぱせりは苦しそうに顔を歪めて、首を横に何度も振りながらそう答えた。


 僕は悲しいのか腹が立っているのかよくわからなくなってきて、泣きそうになりながら必死にぱせりに反論した。



「違う、違うよ、そうじゃない、君は馬鹿じゃないし、全然悪くない!

 それに、僕は君に傷つけられてなんかいない。 


 あのときだって、僕のほうが君を傷つけたんだ。

 僕が怒鳴りたかった相手は、ホントは君じゃなくて……自分自身だったんだから」



 ぱせりは軽く唇を開いたまま、困惑したように小首を傾げる。


「僕はただ、みっともなく君に八つ当たりしただけなんだ。

 なのに、そんな風に自分のせいとか言わないでよ」


「……八つ当たり?」


「そう。うまく言えないけど……」


 口ごもる僕を真っ直ぐ見つめる、ビー玉のような澄んだ瞳。


 ああ、彼女になら、僕の言葉はそのままの形で届くのかもしれない。


「うまく言わなくていい、そのまま、言って。

 青慈の心に浮かんでくるそのまま、聞きたい」


 まっすぐ僕を見つめるぱせりの瞳は、再び強い光を取り戻していた。


 その力に促され、僕は大きく深呼吸をした。

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