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病院というのは、どうしていつ来てもこう辛気臭いのだろう。
父さんの記憶につながってしまうから、よけいにそう感じるのだろうか。
僕は、すえたような入院病棟独特の匂いに顔をしかめながら、ひとつひとつ病室の入り口に掲げられた名前を確かめて歩いた。
ある部屋の前で急に強い気配を感じて立ち止まると、4人部屋の入り口近くのベッドで横になったばあちゃんがニコニコ笑ってこっちを見ている。
「青慈の足音だと思ったよ。あれ、しばらくみないうちに、また背が伸びたんじゃないかい?」
昔と少しも変わらないその口ぶりは、僕の心をあっという間にあの頃に引き戻した。
「そうでもないよ、ばあちゃんが縮んだんじゃない?」
そう言う僕の顔を、ばあちゃんは嬉しそうに覗き込む。
「どれ、会わないうちにどのくらい男前になったか、ばあちゃんによく見せてごらん」
ばあちゃんはそう言って、僕の顔に手を伸ばそうとした。
「やめてよ、ばあちゃん。もう小さい子供じゃないんだから」
ほかの患者さんの手前恥ずかしがったけど、実はそんなに嫌じゃなかった。ばあちゃんから流れてくる手放しの温かさが、毎日かたくなに過ごしている僕の心をゆるゆると溶かしていく。
引っ越してから友達はできたかい?
高校の勉強は難しいだろう?
僕は、たくさんの友達に囲まれて勉強も部活動も一生懸命取り組んでいる、理想的な高校生であるふりをした。
ばあちゃんは作り話を疑いもせず、そうかそうかと嬉しそうに聞いてくれる。
僕が何を答えたとしても、たとえ今の苦しみや孤独を打ち明けたとしても、ばあちゃんはきっと同じようにただうなずいて聞いてくれただろう。
けれども、いや、だからこそ、何としてでも今のありのままの僕を見せるわけにはいかなかった。
もし、ほんのわずかでもばあちゃんに本心を明かしてしまったら、きっと僕はその瞬間に臆面もなく泣いてしまうに違いない。そうなったが最後、もう二度とこの世と決別する覚悟なんて作り上げることはできないだろう。
けれど今さらやり直すなんて無理なのだ。
僕の心は、すでに死に向かって歩き始めているのだから。
僕は、話が一段落したのを見計らって、さりげなく話題を変えた。
「ところでさ、渡したいものって、何?」
ばあちゃんは、あ、そうそう、これ、と、引き出しから鍵を出して僕に渡した。
「ばあちゃんしばらく帰れないみたいだからな、悪いんだけど、時々あの家に行って、空気を入れ替えといてくれないかね? たまにでいいんだけどな」
「え……僕が? おばさんは?」
「いや、千恵子もあれでいろいろ忙しいみたいだからな。何、休みの日とか、時間があるときだけでいいんだ。頼むわ、青慈」
そう言ってばあちゃんは、優しいけれど何か有無を言わせない力強さで、僕の目をまっすぐ見据えた。
その瞬間ふと思ったんだ、ばあちゃんは実は、僕の嘘なんて全部お見通しなんじゃないかって。
「……うん、じゃあ、わかったよ。時間があるときに適当に行っとく。じゃ、また来るね」
僕は心臓の鼓動が大きく跳ねるのを感じながら、精一杯何気ない風を装って病室を後にした。




