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教室の中から、きらきらとはじけるような笑い声が聞こえてくる。
僕は思わず立ち止まり、全身にまとった見えないバリアをもう一度しっかり確認すると慎重にドアを開けた。
「あ、林君、おはよう!」
白いふくよかな両手をひらひらとさせながら満面の笑みを向けてくるクラスメート。誰にでも馴れ馴れしく話しかけてくるこの感じが、僕はたまらなく苦手だ。
仲良くなる気もないのに自分から挨拶をするのは偽善だ。
かといって、無視するほどの確固たる理由があるわけではない。
だから僕は『挨拶をされた時だけは返す』というマイルールを作った。それなら最低限の借りは返したと思えるから。
そのルールにのっとって表情を崩さずに「おはよう」とつぶやき、窓際の席に向かった。
教室の真ん中ではテンポのいい会話が軽やかに弾み、屈託のない笑顔と甲高いおしゃべりの輪が広がる。その目のくらむような光景に、思わず反吐が出そうになる。
くだらない会話。
うそ臭い笑顔。
だいたい、日常がいつもそんなに楽しいわけがない。
心の中で毒づきながら、鞄から文庫本を取り出し机の上に広げる。
キルケゴールの『死にいたる病』だ。
哲学書なんてほとんど理解できないけれど、これならさすがにお節介な奴らも話しかけてはこないだろう。
それでいい。
邪魔するな。
誰も僕に近付くな。
それだけが伝わればいいのだ。