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くさったしたいの日常  作者: 雨桜 茶翁
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くさったしたいと峠のドラゴン

どうぞ。

 

 くさったしたいは、くさっていた。


 その腐肉を苗床として爆発的に草木が増殖した。


 だからやっぱり、くさっていた。



 生前、この女は家政婦であった。

 西の辺境伯、その影響下にある小さな領土──そこを治める男爵家に仕える女中のうち、掃除を専門とするものであった。


 男爵家と言っても、これといって特産品もなく、領土は交通の便が悪い──なにせ険しい峠を越す以外に外へ出る方法がない──ような田舎貴族であるから暮らしぶりは質素であったが、領民たちは明るく、みな前を向いて暮らしていた。


 女もその一人である。いくら質素とはいえ貴族の末席を預かる家であるから、いつどのような客が訪れても良いように毎日領主館の手入れをする──それが女に任された仕事であった。


 床を磨き、机を磨き、燭台を磨き、窓を拭き、暖炉の煤を落とし、絨毯の埃を払い、庭師と相談して季節の鉢植えを入れ替え、主人一家とお客様に快適な環境を提供する──そして今日も一日平穏であったことを神と神獣に感謝する生活。


 同僚たち──主人付きのもの、奥方付きのもの、子供付きのもの、料理番とその補助、厩番に御者、炭焼きに風呂炊き──みな毎日忙しく、しかし輝くような健康美がそこにあった。



 彼等が他の領地のものと比べても純朴で信仰深い理由があるとするならば、それは唯一外に繋がる峠の頂上に住む神獣──ドラゴンの声を聞き姿を見て育ったことであろう。


 ドラゴンは神が産み出した最初の命であるとされる。亜種の竜──蜥蜴や蛇が魔物と化したもの──とは違い、肉の器で生きる命ではない。身体があるから生きている命達と違い、ドラゴンは命があるから身体がある。生き物全ての上位種にしてはじまりの命、それが神獣、ドラゴンである。


 信仰を極めようとする僧侶達は、神の御業を模倣することはない。それは信仰とは程遠い。彼等はただ祈り、ただ讃える──その結果として祈りや賛美に力が宿ることはあれど、力を目当てに祈るようなものに力が与えられることはない。僧侶の術とはそういうものだ。


 神秘を極めようとする魔法使い達は、神の御業を解析する。如何にして炎というものがこの世に現れたか、如何にして存在は存在を始めたのか。ただ薪が燃える、水が凍る、光が差し闇が訪れる、その程度の理屈を解明したとしてもそれは神秘ではない。


 原初の炎、存在の本質、はじまりのことば──そしてはじまりの命、ドラゴン。神の御業を模倣する彼ら魔法使いにとって、力の象徴であり最も困難な神秘。


 遥かいにしえの大魔法には、自らの命をドラゴンと化すものすらあったとされる──現代の魔法使いが姿形だけ真似たとしても、人の命では数分持てばいい方であろう。



 そのように明らかな上位存在を感じた時、人間が持つものは『(おそ)れ』である。


 例えるなら。

 樹齢数千年の苔むした大樹。

 滔々と流れ続ける白く細い滝。

 静まり返った神域に、己一人立つ──

 その気配。


 歌声が朝に美しく響き、空高く舞う影が日輪と戯れ、鱗が夕陽を反射して黄金色に輝く。

 人々は畏敬の念を抱き、かといって捧げるべきものもなく、祀ることすら畏れ多い。


 ドラゴンと人間では存在のスケールが違いすぎる故に、願うことも求めることもない。

 天を衝く積乱雲に向かって何処其処(どこそこ)にいかづちを落としてくれ、とのたまうようなものだ。


 ただ大きな存在に見守られることに感謝する。そばにあることに感謝する。それだけで人と言うものは意外と強く生きられることがあったりする──


 女の生まれた家は貧しかった。正確には、女が生まれてから貧しくなった。ただでさえ領地全体が豊かとは言えない、良く言って清貧という土地柄であるから、物心付く前に働き手である父親を失った痛手は大きかった。


 母親は笑いながら働いた──お前達が居るから辛いことなんかないよ、これしきのことどうってことはないさ、天竜様もいらっしゃる──それが母親の口癖であった。


 幸いにして隣人を見捨てるような土地柄ではなかった。閉鎖的であるからこそ助け合わねば生きては行けぬ、困ったときはお互い様。そう言って有形無形の心配りを受ける度に、この土地へ生まれたことを感謝した。


 しかし少女は幼心に自分が負担を掛けていることが心苦しかった。年の離れた兄たちは母親を助けるべく様々な仕事をこなして居たが、まだ力もなく学もなく、四則演算も覚束なければ背丈も大人の半分しかないような子供に任せられる仕事は生憎と無かった。


 そんな少女を癒したのがドラゴンの存在である。と言っても人間を憐れんだドラゴンが金銀財宝、あるいはそれ以上の価値を持つ身体の一部を与える、などと言う話があるはずもない。ドラゴンと人間は徹底的に不干渉である。


 自分が居ようが居るまいがドラゴンはそこにあり続ける。

 千年前も、今も、千年先もドラゴンはそこにあり続ける。

 きっと人の世が終わってもドラゴンはそこにあり続ける──


 幼子にとってそれはありとあらゆる負の感情を消し去る、つたない信仰であった。母の愛が足りない訳ではない。兄たちに不足がある訳でもない。ただ自分だけが感じるじくじくとした後ろめたさ、気にしなくともよいはずの肩身の狭さ──偉大なるドラゴンを想うとき、それらは全く心の陰から消えて失せるのだった。


 だから泣きべそをかいていた男の子にドラゴンへの想いを語った時、その子がまさか男爵家の次期当主であるとは全く思いも寄らなかったし、身の上話の内容から領主館で教育を受けながら仕事を覚えてはどうかと言う話になった時は唖然とするばかりであった。


 このような都合のよい話があって良いのだろうか、同情を引くために語った訳ではない、自分に男爵家のような場所に関わる能力などない──様々な言葉が口から溢れ返ったが、次期当主の一声で全てが意味を無くした。


 ドラゴンはそんなこと気にしないよね。


 全く持ってその通り──そして泣きべそをかいていた男の子にその強さを教えたのは自分である。


 母親は突然の事にとても驚いたし、まだまだ幼い末娘が余りにも早く手元から離れ住み込みで働くことに未練を感じないでも無かったが、末娘が何かにつけて遠慮がちである理由を正しく理解していたが故に笑って背中を押すことにした。


 天竜様の結んだご縁、無駄にしたら母さん承知しないよ。しっかりやんな、どこにいたって天竜様のお膝元には変わんないんだからね──


 かくして少女は男爵様のおうち、という一生涯空想で終わるはずだった場所へ住み込む事になった。

 当然使用人が住む為の二人部屋であったが、不満など何一つあるはずもなかった。


 月日は平等に流れる。


 次期当主は当主となり妻を迎え、少女は女になり庭師と良い仲になりつつあった。


 当主と妻の間に子が出来た時など上を下への大騒ぎを──男達はかなりみっともなく──繰り広げたが、経験豊かな助産婦の言は、まず落ち着け、そして手伝え、それ以外は邪魔だから出ていけ、である。


 当主は自分の尻尾が気になって仕方がない犬のように、妻の寝室前をうろうろと歩き回り続けた──その姿は使用人達の苦笑を誘い、女は当主をもっとドラゴンのように堂々となさって下さいと叱りつけるはめになった。


 無事に第一子が誕生し、その健やかな姿を見て。

 女は概ね満足した。


 だから庭師が何処かから持ち込んだ見たこともない植物に一瞬で頭蓋を貫かれても、庭を汚してはいけないな、としか思わずにその生涯を終えることになった。


 もちろんその植物は魔物であったのだが、誰一人それに気付くことはなく──長年使えた使用人の一人が消息不明になった、以上の事はわからないまま、哀しみだけが残った。

ドラゴンの本体は物質界より上位に位置します。

存在そのものにダメージを与えられる、大魔導師の一個師団か伝説級の武器があってようやく戦いになるかどうか。

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