父よ 母よ 本当にありがとう。(私の人生考察瞑想ノートより)
父よ、母よと、
いくら呼べど返る声なし、
父よ、
大庄屋の末裔と言われながらも没落して、
貧しくて向学の志を捨てて中卒で東京に出て
現場労働者として一生を終わった父だった。
そして、、
母よ。
讃岐の没落士族の家筋に生まれて
生家を売り払い
東京に出て父と巡り合い結婚した母だった。
父が亡くなって25年になる。
晩年は父の田舎の実家に舞い戻り
農業と俳句に生きがいを見出していた父。
その父も無くなり
母はその家を一人で守り続けた。
私は実家を遠く離れて就職せざるを得ず、
結局実家に戻れずに
今もこうしてこの他県に住み続けている。
その母も13年前に亡くなった。
私は結局、ここで定年退職となったが
その時にはもう母は存命してはいなかった。
『母さん俺もう仕事人生を引退するんだよ」
そう母に報告したかったのに、
それもかなわなかったのだ。
もし生きていれば母はこういってくれたろう。
『そうかい。これもお前を支えてくれた皆さんのおかげだよ、
感謝するんだよ」って。
亡くなって知る親の恩という。
今、巷間では、子殺し、親殺しの殺伐とした事件が頻発しているという。
そんなこともなく私を貧しいながらも
育て上げてくれた、父と母。
ああ、父の恩は山よりも高く
母の恩は海よりも深し。
そんな言葉が生きていた時代の父と母だった。
父よ
母よ、
私もすっかり中高年になりました。
体もあちこち軋みが出ています。
体力気力もめっきり衰えました。
そうなってみると
父の事
母のことが
しきりに思い出されて仕方ありません。
父よ
母よ、
今何処の
輪廻六道の階梯におわします?
いずれ私もこの不肖の息子もそこへ
参ります。
そう、先のことでもないでしょう。
それまで父よ母よ
大宇宙の階梯でお安らぎください。
10年後?
20年後には
私もそちらに参ります。
その時にはこの不肖の息子を
どうか
暖かくお迎えくださいませ。
そして条理ある世界での転生を
お互いに語らいあいましょうか?
『ほろほろと、鳴く山鳥の声聞けば、父かとぞ思う、母かとぞ思う』
「行基菩薩」のこの歌のように思いも
かくやと私にも思い知らされる今日この頃です。
最後に
こんな不肖のわたくしを
いまどきの無慈悲な親のように
虐待もせず
スポイルもせず
暖かい、まさに観音慈悲のまなざしで
遠くから見守って
育ててくれた
父よ
母よ
本当に
本当に
ありがとう。