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An Eavesdropping Amber Lens

作者:
掲載日:2026/04/24

 大学の四限目の授業が突然休講になってしまったせいで、突然訪れた一日の授業終わり。

 いつもなら喜んで家に帰るところだけど、あいにく今日は夜に人と会う約束があって、そういうわけにもいかない。

 突然出来てしまった大幅な空き時間。

 どうやって時間を消費しようかしら。

 少し考えて、私は決める。

 …そうね、図書館に行くことにしましょう。





 一人は好き。静かだから。

 本は好き。心を読んでもうるさくないから。

 図書館は好き。静かに心を読んでいる限り、その場にいることを許されている気がするから。

 とある行き慣れた市内の図書館。

 窓際の席に座って、私はそっと小説を開く。

 図書館なら大学にもあるけれど、市の図書館の方が待ち合わせ場所に近いし、市の図書館の方が好き。ほとんど勉強するための場所になっていて参考書や学習書が多くを占めている大学図書館と違って、ちゃんと小説が沢山あるから。それに、こっちは大学よりも人が少なくて静か。どちらの方がゆったり読書を楽しめるかは、明白よね。

 …あぁでも、今日は少し失敗したかしら。

 トタトタとこちらに近づいてくる軽やかな足音と、幼い声。

 ――まだいたいな。どうしよう。

「…」

 私は席を立とうか少しだけ考えて、結局そのまま留まることを選択する。

「おねぇちゃん、なによんでるの?」

 案の定、私は声をかけられた。

 読んでいた図書から顔を上げれば、茶色いくるくるのくせっ毛を一つにまとめた、一人の幼い女の子。

 今時どう見てもおかしい長袖長ズボンと、新しいランドセルを身に纏ったその子は、まっすぐに私を見つめている。

「血の糧よ」

 私は本を閉じて、表紙を向けるようにして見せた。

「ちのかて?」

「そう」

 女の子は首をかしげながら、覗き込むように本を見る。

「…どんなはなし?」

「本を読まないで、自分で体験しなさいっていうお話」

「ほんをよまないでって、ほんにかいてあるの?」

「そう、本に書いてあるの」

「…おもしろい?」

「そうね、あまり好きではないわ」

「すきじゃないのによんでるの?」

「好きじゃないから読むのよ」

「…わかんない」

 女の子はわかりやすくムッとする。

 子どもは結構好き。大人と比べるなら遙かに。嘘をつくのに慣れてないから。

「そうね、無理もないわ。これは私のルールみたいなものだから」

「ルール?」

「そう。私は何かを否定するとき、必ず一度は自分で体験してみてから嫌というようにしているの」

「いやなのにやるの?なんで?」

「その方がずっと、相手を否定出来るからよ」

「わかんない」

 間髪入れずに女の子は首を振る。うん、やっぱり素直ね。言ってることと思っていることが同じだから、うるさくないわ。

「そうね…」

 少し言葉に迷っていると、女の子の腕に一つの絵本が抱えられているのが見えた。



『おいしいごはんを、みんなといっしょに』



 動物たちが楽しそうにテーブルを囲んでいる表紙。

 これは絵本ね。

 料理を前に今にも手が出そうなその動物たちの姿。

「…」

 私は、口にする言葉を決める。

「料理人はね、食わず嫌いをされるよりも、食べた上で美味しくないと言われた方が、腕に自信をなくすのよ」





 目の前の席に座る女の子が言う。

「おねえちゃん、なまえはなんていうの?」

「良いことを一つ教えてあげるわ。人に名前を聞くときは、まず先に自分の名前を言うといいわよ」

「わたしはみおだよ。たたらみお」

「そう。私は白雪こはくよ」

「こはくちゃんってよんでいい?」

「ええ、好きにして」

「わたしのことはみおってよんでね」

「わかったわ。そうしましょう」

 頷けば、女の子…みおは満足そうに頷いた。

「ここでしゅくだいしていい?」

「構わないわ」

 素直に許可を取るみおが、ランドセルから筆記用具と一枚のプリントを取り出す。

「…ねぇ、この筆箱、少し見せて貰ってもいいかしら?」

「?いーよ」

「ありがとう」

 私も素直に伺って、許可を貰ってから筆箱に手を伸ばす。

「…」

 …あった。

 筆箱の裏側。シールが貼られている。

「…多々良未央」

 私はぽつりと呟いた。

「?なぁに?」

「ううん、なんでもないわ。素敵な筆箱ね。赤が好きなのかしら?」

「うんっ、リンゴとおなじいろだから!」

「そう」

 相槌を打ちながら、筆箱を返す。

 文字を確認出来てよかった。音では名前を聞いたけれど、字面で見ないとあまり覚えた感じがしないもの。

「こはくちゃんもあかすき?」

「そうね、私も好きよ」

「そっかっ」

 嬉しさを隠すことなく笑うと、未央は筆箱から鉛筆を取り出して、プリントに向き合い始めた。

 私も、手元の本に視線を落とす。

「…」

「…」

 一見すると、落ち着いた静寂な空間。けれど、私は一人少しだけ緊張が走るような心地を覚える。

 ――うーん、わかんないよ…

 先ほどから聞こえるこの未央の声。

 果たしてこれは、実際に今目の前に座っている彼女の口から放たれているものなのかしら。

 答えは否。

 顔を上げればすぐ分かること。

「…」

 彼女は、何も言っていない。

 ただ、心の中でそう思っているだけ。

 私がただ、彼女の心を読んでいるだけ。

「…」

 私は努めて冷静に、本へ視線を戻す。途端に、また声が聞こえた。

「ぜんぜんわかんない…ねぇこはくちゃん」

 もう一度顔を上げる。唇をとがらせた彼女と目が合った。

 今度は、ちゃんと声に出していたみたい。

「わからないなら、まずは指を使ってゆっくり数えてみるといいんじゃないかしら」

 手元の本のページをめくりながら、私はそっと告げる。

 これまた素直に、未央は自分の指を数えはじめた。

「…に、かな」

「そうね」

「へへん」

 未央は嬉しそうに鉛筆を持ち直して、ぶかぶかな袖もまくらないままプリントに書き込んでいく。

 わたしはその様子をじっと見つめた。

「…」

 まっすぐ伸ばされた背筋。

 きちんと教育された鉛筆の持ち方。

 着々とプリントに書き込まれていく綺麗な文字たち。

 そして、やっぱりおかしい未央の服装。 

「…?なーに?」 

 視線に気がついた未央が、顔を上げて言う。

「…ううん、なんでも。綺麗な字を書くのね。素敵だわ」

 私はプリントに目を向けながら言う。

 

 1ねん1くみ たたらみお


「へへへっ、おかあさんがね、じはたいをあらわすから、きれいにかけるようにしようねっていうの。だからわたし、いっつもれんしゅーしてるんだ。このまえはがっこうのせんせいにもほめられたよ」

「そう。良い心がけね」

 屈託無く笑うという言葉の最適解を見せる未央を前に、私は一人頭を悩ませる。

 さて、一体どうしたものかしら。





「ありがとうこはくちゃん。はじめてごじよりまえにおわったっ」

 少しして、宿題を解き終わった未央が、ランドセルにプリントと筆記用具をしまいながら言う。嬉しそうな笑顔ね。

「あら、よかったわね」

 私は一言、それだけ返す。

 基本的に、私はあまり人と話すのが好きじゃない。

 理由は至ってシンプル。私の持つこのマインドリーディングの能力のせい。

 人の心の声が聞こえる。

 人の感情が読める。

 人の心理を盗み取れる。

 いろんな言い方をされるこの能力、一見すると便利に見えるけれど、いざ持ってみればその実全くの逆。むしろ疎ましいことこの上ない。聞きたくなくても聞こえる声はいつも脳を叩き続けていて嫌になるし、人間は嘘を重ねる生き物である以上、大抵の人は心の中と実際に口にする言葉が乖離しているせいで、会話をするとき一人の人から二つの言葉が重なって放たれるから聞き取るのがとても大変。

 極めつけには、心の声はその人の感情の強さに合わせて大きくなるという厄介な性質。時々心の中の声が大きすぎて日常会話ですらままならないこともある。

 どうにかコントロール出来れば良いのだろうけど、残念なことに、今までこの能力を制御できた試しはない。

 それなら、声を聞かないようにするためにはどうすればいいのか。

 答えは簡単。極力、人との関わりを絶つ。それだけ。持て余した能力をどうにかするのには、今のところ、物理的に距離を置くしかないのだから。

 だから私は、普段からあまり人と会話をしようとはしない。

 では、それならなぜ、今こうして目の前に座る一人の女の子の相手をしているのか。

 理由は二つ。

 一つ。単純に席を移動するのが面倒だったから。子どもなら表と裏の乖離が少ないし、大して中身のある話もしない。だから普通に話していても声が二重に聞こえる煩わしさはあまりない。わざわざ席を移動してまで避ける必要もないだろうと、そう考えたから。

 そしてもう一つ、こっちの方が重要。

 私の推測が正しければ、この子は今、かなり危険な状態かもしれないということ。

 下手すれば、命も危ういくらいに。

 ――まだいたいな。どうしよう。

 私に声をかける直前に聞こえていた、か細く掠れた小さな声。

 最初は「まだ居たい」なのかと思ってた。

 でも、違った。

 私が未央に話しかけられてから、私にはずっと、「まだいたい」という声が聞こえてる。

 読んでいる本が面白いか聞かれたときも。

 私が筆箱を貸してと言ったときも。

 算数の問題に苦戦しているときも。

 ずっと、彼女は小さく「いたい」と言っている。

 わかってる。

 これは「まだ居たい」ではない。

「まだ痛い」なのよね。

 未央の長い袖に目を向ける。 

 その服の下に、何かあるのかしら。

「…」

 いくら私が人と話すのが嫌いだとはいえ、今回ばかりは、さすがに私だけの都合で関わりを拒絶してはいられないわ。

 だって、もしも私の想像が当たっていて、この子が危険と隣り合わせなのを野放しにしたせいで最終的に死なれでもしたら、私、とっても夢見が悪いもの。

 にしても、そうね…最近は件数も増えていると聞いたことがあったけど、確かにこれは厄介だわ。杞憂であれば良いのだけど。

「…ねぇこはくちゃん、まだここにいる?」

 一人頭の中で考える私を前に、ランドセルを抱えて座る未央が遠慮がちに問いかけてくる。

「ええ、そのつもりよ」

 私は意識をふっと戻して、返事をする。

「わたしもいていい?」

「構わないわ」

「…ふふっ」

 読み終わった本を閉じながら頷けば、未央はすこしびっくりした後、にこにことランドセルを持って隣に移動してきた。

「こはくちゃんはもうほんよみおわったの?」

「ええ。たった今ね」

「おもしろかった?」

「…そうね、やっぱり好きじゃなかったわ」

「ふーん」

 どうでもいいと、未央は絵本を開く。

 聞いておいて興味は無いのよね。変に興味があるふりをされるよりもずっといいわ。

 ともかく、ちょっと確かめなくちゃ。

 何から確かめようかしら。

 本当ならぱっと服を脱いでもらえたら良いのだけど、そうもいかないわよね。

 なら、まずは色々とお話してみようかしら。聞いた方が良いことも沢山あることだし、人間関係、やっぱり最初はお喋りからよね。中身なんて無い、なんでもないお喋り。

「…未央、その絵本は面白い?」

 私は尋ねる。

「うん、だいすきっ。いつもしゅくだいがおわってからよんでるんだー。きょうはすぐしゅくだいがおわったから、いつもよりはやくよめてうれしい」

 未央は絵本から目を離さずに答える。

「そうなのね」

 最初に声をかけたときから持っていた絵本、『おいしいごはんを、みんなといっしょに』。

 未央はいつも、この絵本を読んでいる。

「どんなお話なのかしら?」

「!こはくちゃんもよみたいの?」

「…そうね、ちょっと気になるわ」

「っ!じゃあいっしょによもっ!」

 ずいっと、本がこちらにスライドしてくる。どうやら、未央のスイッチを入れてしまったみたいね。目の色が変わったわ。

「このおはなしはね、うさぎとにわとりとひつじが、みんなでいっしょにおうちでごはんをたべるの。でもそこにね、おおかみさんがくるんだ」

 未央が頁をめくる。

「さいしょはおおかみさん、いぬのふりをしてるから、みんないっしょにたべようっておうちにいれてあげるんだけどね、とちゅうでおおかみさんだってばれちゃうの」

 つらつらと、言葉に詰まることなく未央は内容を説明する。本当に、いつも読んでいるのね。

 頁がめくられる。

「…あら、みんなにげてしまったわ。オオカミに食べられちゃうのが怖いのね」

 未央は頷く。

「うん。でもおおかみさんはね、みんなのことたべようとおもってないの。なかよくしたかっただけ。だからね、ちゃんとみんなにおはなしするの」

 また、頁がめくられる。

 すごい、もはやまともに絵を見る暇も無いわ。

「そうしたら、みんなもわかってくれるんだ。おおかみさんもいいよっていって、おうちにいれてあげるの。そして、いっしょにごはんをたべるんだ。おしまいっ!」

 力尽きた未央が、どさっと満足げに背もたれに寄りかかる。かと思えば、一呼吸置いてまた絵本の最後の頁をまじまじと見つめ始めた。

 ――いいなぁ。

 未央の声が聞こえる。

 ――わたしもがんばれば、みんなでなかよくごはんたべられるかな。

 羨望と、ささやかな期待の目。

「…」

 …そうなのね。

 確実に確実さを増していく推測に嫌気が差していくのを自覚しながら、私も絵を眺める。

 兎と鶏、羊、そしてオオカミが、仲良くスープを食べて笑っていた。

 仲良くなってめでたしめでたし。

 ほんと、おめでたいわ。

「オオカミは、所詮オオカミなのよ」

 仲良くなんて、出来やしないの。

「?なんていったの?」

 未央が絵本から、こちらに視線を上げる。

「いいえ。みんな仲良くなれるなんて、素敵なことよね」

「!うんっ」

 健気で憐れな羊が、無邪気に笑う。





 


 やがて満足したのか、未央はぱたんと絵本を閉じて、席を立った。

「べつなのよもー」

 絵本を持って本棚へと歩き始める未央に、私は声をかける。

「一緒に行っていいかしら?私も、何か他の本を読みたいわ」

「!…いーよっ。いっしょにいこ!」

 律儀に立ち止まって振り返る未央が、にっこりと笑う。

「未央はいつも他にどんな本を読んでるの?何かおすすめはあるかしら」

 絵本が置かれていた場所へ向かう未央の隣を歩きながら、私は尋ねる。

「えっとね、シンデレラと、びじょとやじゅーと、オーロラひめ。しらゆきひめもよんだことあるよ」

「見事なラインナップね」

「きょうもよむ」

 児童書コーナーの一角。

 さっきの絵本をきちんと戻した未央は、色んな童話が並ぶ本棚の前で立ち止まる。

「あった」

 宣言通り、未央は並んだ本の中から一冊、『シンデレラ』を手に取った。

「こはくちゃんはどれにする?」

 …あぁ、そうね。ここで私も選ぶのよね。

「…そうね、なら、私は美女と野獣にでもしようかしら」

 先の話に出てきた一冊を手に取ると、未央は嬉しいと笑った。

「あとでよみおわったらこうかんしようね」

「わかったわ」






 さっきの席へ戻って、一緒に絵本を開く。

 絵本なんて何年ぶりかしら。久しく開いてなかったけれど、ちょっと読みにくいわね。ひらがなばっかり。漢字がないと読みにくいなんて、知識を身につけた故の弊害ね。

「…ねぇこはくちゃん。こはくちゃんはシンデレラのおはなししってるよね?」

 読み始めて少し経った頃、未央が口を開いた。

「ええ。知ってるわ」

 ひらがなから視線を流して、私は答える。

「じゃあさじゃあさ、シンデレラってわざとくつをおとしたの?」

「…あら、」

 子どもにしては予想外の視点だわ。

「面白い疑問ね」

「このまえおうちでいわれたの。シンデレラはわざとガラスのくつをおとしたわるいこなんだって。それってほんとうなの?」

 ――わるいこだったら、いやだなぁ…

 未央はすこし悲しげに言う。

「…」

 おとぎ話をメタ的に考えるのは、現実に生きる人間の性なのかしら。嫌いではないけれど、子どもの未央はあまり好きではないようね。

「そうね…わざと落としたかどうかは、私にも正直分からない」

「…そっか」

「でも、拾わなかったのはわざとだと思うわ」

「えっ、」

「それが全てじゃないかしら」

「わざとひろわなかったのっ?」

「そうよ」

 私は思い出すように、頭の中でストーリーを辿りながら、そして言葉を探しながら答える。

「未央、少し考えてみて。あなたはかくれんぼをするとき、誰かから見えるところに隠れたり、隠れている場所が分かるように印をつけたりするかしら?」

「えっ、しないよ!ばれちゃうでしょっ」

「そうね。バレるわ。だから普通、逃げ隠れするとき、証拠は隠すの。何かを相手に残すのなんて御法度だわ。でも、シンデレラはどうかしら。ガラスの靴が自分の近くに落ちた。彼女は落ちた靴をちゃんと自分の目で見て確認した。けれどそれを拾わないまま、馬車に乗ったのよ」

「…いそいでたからじゃないの?」

 未央はこてんと首をかしげる。

「ふふ、きっとそうね。それもあると思うわ。…それで、シンデレラが悪い子なのかどうかについてだけれど、シンデレラは悪い子なんかじゃないわ」

「わるいこじゃない?」

 未央の顔が明るくなる。

「そうよ。わざと拾わなかったことで、王子様に見つけてもらえたんですもの。自分で助けてもらうための道筋を作った、頭の良いお姫様よ」

「あたまのいいお姫様…そっかぁ」

 未央は嬉しそうに背もたれに寄りかかる。

「…まぁでも、わざわざいじめられる家に戻るよりも、いっそあの場で捕まっていた方が…いいえ、そもそももっと早くから母や姉たちのいじめに対して、何かしら声を上げていれば良かったのに」

「?」

 私はまっすぐ、未央を見る。

「シンデレラは自分の意思で、またいじめられる生活に戻ったのよ。王子様に捕まっていれば、きっとすぐにでも守ってもらえたのに。一体どうして、彼女は逃げたのかしらね」

「…うーん」

 未央は俯いて真剣に考え始める。

「…やっぱり、おうちがすきなんじゃない?」

「…」

 まっすぐな、嘘偽りのない言葉。

 私は少し迷って、やっぱり聞く。

「…未央は、もしも自分がシンデレラだったら、同じくお家に帰るの?」

「うーん…」

 また考える。

――いたいのはいやだけど、おうちからはなれるのはいやだなぁ。

――おうちにはおとうさんとおかあさんもいるし。

「…」

 あぁ、駄目だわ。

 聞けば聞くほど、嫌でも確証を得ていく。

「…かえる。おうちはすきだから」

 また、心からの言葉が発せられる。

「…そうなのね」

 厄介だわ。本当に。

 話に聞いたことはあったけど、本当なのね。

 嫌な思いをしてでも、子どもは親から離れられないなんて。





「こうかんしよっ」

「わかったわ」

 手渡された『シンデレラ』を受けとって、代わりに持っていた『美女と野獣』を渡す。

「…」

 …これもひらがなばっかりね。

 私は早々に読むのを辞めて、隣に視線を向ける。

 …大体はもうわかってる。

 でも、もう少し、踏み込んで聞いてみようかしら。

 先ほどまでの会話を思い出しながら、私は少し思考を巡らせる。

 ――おかあさんがね、じはたいをあらわすから、きれいにかけるようにしようねっていうの。

 ふと、未央の言葉を思い出す。

 ここから、聞いてみましょうか。

「ねぇ未央。あなたのお母さんはどんな人なの?」

「おかあさんっ?」

 未央がピクリと反応する。

 怖い時の反応かと思ったけれど、違うのね。心の声が弾んでるわ。

「そう。優しい?それとも、ちょっと厳しい人なのかしら」

 未央は勢いよく首を振る。

「すっごくやさしいよっ。いつもよるねてるとね、あたまをなでて、だいすきっていってくれるの。わたし、それがすごくすき」

 ――あたまにちゅーもしてくれる!

「…」

 ちょっと予想外ね。

 てっきり、何かしらの黒い言葉が聞こえると思ったのだけれど。

「…そう。素敵なお母さんね。じゃあ、お父さんは?」

「おとうさんもだいすきっ。まいにちあさおきるとね、おてがみがあるの!『おしごといってきます』『みおもがっこうがんばって』って。おとうさんもね、おかあさんといっしょでみおのことだいすきなの」

 ――おとうさんもちゅーしてくれる。おとうさんのは、しつこいからちょっとやだけど。

 ちょっと照れ隠しのような、けれど確かに嬉しそうな声。

「…そう」

 難解だわ。

 ここにきて、なんだか妙ね。

 嫌な言葉がただの一つも聞こえてこないなんて。

 …私の思い違いなのかしら。

 でも、今もまだ「痛い」と言う声は聞こえているわ。この声は絶対に喜楽の声じゃない。

 …なら、傷つけられた記憶よりも、親への愛が上回っているということ?

 でも、もしそうだとしても、こんなに全く聞こえないことがあるかしら。

 普段、どんな些細なことまでも、私は聞こえてしまう。そんな私が聞こえないというのなら、それはつまり、本当に傷つけられた記憶なんてないのか、傷つけられた記憶が思い出さないくらい、両親への愛で頭の中が埋まっているということになる。

 そんなことありえるのかしら?

「こはくちゃんはね、おかあさんににてる」

 ふと、未央が呟いた。

「…え?」

 不覚にも、思考が止まる。

「おかあさんにそっくりなの。きょうさいしょにみたとき、おかあさんだとおもった」

 未央はしっかりと、私に向けて笑った。

「…私がお母さんに似てるから、声をかけてきたの?」

 少しの間が空いた後、取り繕うようにして、私は口を開いた。

「うん。すっごくにてる」

 未央は照れくさいようで、絵本で顔を隠しながら、誤魔化すように言う。

「おかあさんは、もっとにこにこしてるけど」

「あら、それはごめんなさい。笑顔は疲れるから、あまり得意じゃないの」

 皮肉めいた言い方をすれば、未央はなぜかくすくすと笑った。

「そういうことも、おかあさんはいわない」






 一度、これまで考えたことを整理しましょう。

 未央の印象。

 長袖長ズボンのおかしな服装。

 所々で見える育ちの良さそうな姿。

 絵本の仲睦まじい食卓に対する憧れ。

 そして、ずっと小さく聞こえている「いたい」という声。「居たい」ではなく、「痛い」。最初はまだ予想段階だったけれど、未央のあの発言。

――いたいのはいやだけど、おうちからはなれるのはいやだなぁ。

 あれは、決定的だったのではないかしら。

「…」

 どう考えたって、これは黒。

 未央は多分、虐待を受けている。

 そう、思っているのだけど。

 でも、どうにもおかしいことが、一つ。

「こはくちゃん、びじょとやじゅうはもうよんだよ」

 未央が、親に対して不快な感情を微塵も抱いていないということ。

「あら、そうなのね」

 一抹の不安や恐怖さえもないのは、やっぱりおかしい。

 子どもは単純だから、感情は極端に出るはずなのに。

 それに、私に声をかけた理由。

 お母さんに似てるから。

 もしも親から虐待を受けているのなら、親に似ている人間に、声なんてかけるかしら。

 私だったら、絶対にかけないわ。

「こはくちゃんはさ、ベルはどうしてやじゅうといっしょにいることにしたのかわかる?」

「?一緒にいる…あぁ、どうしてお城に住むことにしたのかってことかしら?」

「うん。ベルはやじゅうのことがすきだから、いっしょにすんだんだよね?おしろがほしかったからじゃないよね?」

…あら。

「また面白い話ね」

「おうちでいわれたの。ベルはやじゅうがすきになったんじゃなくて、ただおしろがほしかっただけだって」

――ちがうよね?べるとやじゅうはおとうさんとおかあさんみたいに、すきだからいっしょにいるんだよね?

 また、少し悲しげな声。

 シンデレラの時も思ったけれど、未央はおとぎ話に関しては、子どもらしく夢を見ていたいのね。

「そうねぇ…私はベルではないし、彼女の本心はわからないわ。でもそうね、野獣が好きだからお城に住み始めたのではない、という言葉自体には、私は賛成ね」

 けれど、聞いた相手が間違いね。

 残念だけど、私は夢見がちおとぎ話理論なんて、これっぽっちも好きじゃないのよ。

「えっ…」

「だって、ベルが最初にお城にいったのは、野獣に捕まったお父さんを助けて貰うためだもの。森で迷子になって、野獣のお城に迷い込んでしまったお父さんを救けるために、ベルは野獣と直接話をして、自分がお城で暮らすと言ったのよ。だから、好きだったから暮らしたわけじゃない。という言葉は、間違いではないわ」

「…そっか」

「でも、全部正しいとも、言えないわね」

「え?」

「ベルは最後、野獣のことを好きになっていたでしょう?最初は違えども、最後には好きだという感情を持って、一緒にいるのよ。だから、未央の言うとおり、好きだから一緒にいるっていうのも、あたりなんじゃないかしら」

「…!そっか。そうだよね!」

 一喜一憂がわかりやすいわね。

「こはくちゃんも、ベルみたいにおとうさんがつかまったら、たすける?」

「そうね…多分私なら、野獣と戦うかもしれないわ」

「たたかうのっ!?」

「ええ。だって、自分の大切なものが危ないのよ。一旦遠ざけたところで、敵が生きているのなら、また危ない目に遭うかもしれないでしょう?やっぱり、本当に安全だというのなら、相手にダメージを与えるのが一番なのよ」

「こはくちゃんはガストンみたいだね」

「嫌だわ。私ああいう勇み足だけが取り柄の話を聞かない男は嫌い」

「あははっ」

 未央ははっきりと声に出して笑った。

「…ちなみに、お城が欲しかったから、という言葉についてだけど、あれは間違いだと思うわ」

「?」

「もしも私がベルなら、お城はお掃除が大変だから、別に欲しくはないもの。魔法で勝手に家具たちに、お父さんの身の安全の保証…ベルはきっと、お城が欲しかったんじゃなくて、良い条件が欲しかったのよ」






 時計の針が、真上と真下を指す。

 未央は、まだ帰らないみたい。相変わらずお行儀良く椅子に腰掛けている。

 当の私も、相変わらず席に座って、頭を悩ませている。

 ここまで散々話をしてみたけれど、参ったわ。

 こんなの初めてよ。

 声を聞いてもよくわからないなんて。

 困ったわ。考えなくちゃいけないじゃない。

「こはくちゃん、ほんかえしにいこー」

 未央が二つの本を机で揃えながら言う。

「…」

 私は探偵じゃないのよ。むしろ、推理は苦手なのに。

 能力のせいで今まではどんな人の嘘も見抜けた分、推理なんて工程すら踏んだことがないのだから。

「こはくちゃん?」

 のぞき込むようにして、未央は私の顔を見る。

「…あら、ごめんなさい。ぼうっとしちゃったわ」

「ねむたいの?」

「そうかも」

 適当に相槌を打つ。

「めぇつかったからじゃない?おとうさんもまえにいってた。めがつかれるとねむたくなるって。ねてていいよこはくちゃん」

 ほんはわたしがもどしてきたげると、未央は席を立つ。

「…」

 目を使う。

「…あぁ、そうね。そうだわ」

 私ったら、全然駄目ね。

 聞くことにかまけて、初歩的なことがおざなりだったわ。

「…ねぇ未央」

 呼び止めるように、私は未央の後ろ姿に声をかける。

 我ながら呆れるわ。

 百聞は、一見にしかず。

 先人の戒めを忘れるなんて。

 聞くよりも一度見た方が、ずっと早いじゃない。

「なに?」

 未央が立ち止まる。

 ――本当ならぱっと服を脱いでもらえたら良いのだけど、そうもいかないわよね。

 そう考えた最初の自分が恥ずかしい。

 やりようなら、いくらでもあるじゃない。

「私、ちょっとお手洗いに行きたいの。でも、ここに来るのは初めてで、どこにあるのかわからないわ」

「!わたしがつれてったげるっ」

 私の言葉に、未央はきらりと目を輝かせる。

 いちいち内心を探ろうとするなんて、能力を持ったせいね。職業病だわ。

「こっちだよっ!」

 小走りでこちらに戻ってきた未央が、本を置いて私の手を引く。

 私はそのまま小さな手に自分の指を預けて、とうに歩き慣れている館内を進んだ。

「ついたよ」

「そうね。案内ありがとう」

 お礼を言う。未央は誇らしさを全面に出して笑った。

「ここでまってるね。もどるときも、わたしがあんないしてあげるよ」

 そう言って、未央は入り口の横に立った。

「ありがとう。…そういえば未央、宿題をやったからかしら。手が汚れているわ。ついでに洗っていったらどうかしら?」

 私はさらりと告げる。

 さて、どうくるかしら。

「…あっ、ほんとだ。あらうっ」

 未央は自分の手の側面を見ると、はっとしたように中へ入って、すんなりと水道の前に歩いて行った。

 …やっぱり、私の思い違いかしら。

 でも、まだ声は聞こえるのだけれど。

 そう思ったのも束の間、未央はダボダボの袖を捲ることなく、自動センサーに手を翳す。

 同時に、不服そうな声が聞こえた。

 ――あらいにくい…

 それはそうでしょうね。

 でも、またとないチャンスだわ。

「未央、袖が濡れるわよ。捲ってあげるわ」

 私は手を伸ばした。

 途端に、未央が声を上げる。

「だ、だめっ」

 ――みえちゃうっ!

「…」

 手を止める。

 …やっぱり、思い違いではないみたいね。

「…何がダメなのかしら。袖を捲ると、何かあるの?」

 私は聞く。

「…」

 だんまりを決め込む未央の、心が話す。

 ――けがしてるのが、ばれちゃう。








「これを使うといいわ」

「…ありがと」

 ハンカチを手渡せば、未央は静かに受け取った。

 私はちらりと、視線を泳がす。

 いま、このお手洗いには誰も居ない。

 さっきの場所に戻るよりも、ここで話した方がよさそうね。

「…未央、その怪我はなに?」

「っ…」

 未央は体を縮こめる。

「な、なんでっ」

 ――なにもいってないのに。

 ごめんなさいね、言っているのよ。心で。

「わかるわよ。その反応を見ればね」

「…」

 ――どうしよう。

 黙り込む未央が焦る。

「…」

 両親への感情については、未だ違和感が拭えないでいるけれど、いいわ。

 この反応を見れば明らかだもの。

 もう、はっきりと切り込んでもいいわよね。

「…あのね未央。いくらあなたがお父さんやお母さんのことが大好きだとしても、暴力を振るうのは悪いことなの。だから――」

「ちがうっ」

 突然、未央が声を張り上げた。

「ちがうっ、おとうさんとおかあさんはみおのことなぐったりしないもん!おとうさんとおかあさんじゃない」

 ――おとうさんもおかあさんも、みおがけがしてるのしらないし。

 震えるような声。

 お父さんやお母さんは知らない。

 嘘をついてはいない。

 つまり、未央は本当に両親から暴力を受けていない。

「…」

 わからない。

 全くわからないわ。

 一体どういうことなの?

 私は顔を顰める。

 もう良いわ。探り探りなんてうんざり。

 はっきり聞きましょう。

「じゃあ、その怪我はなんなのかしら?」

「っ…」

 未央はガチッと固まった。

 それと同時に、突如声が溢れ出る。

 ――いたいっ、いたいっ!

 ――ごめんなさい

「…」

 …フラッシュバックしたのね。

 ようやく、聞こえたわ。

 ――おかあさんとおとうさんがかえってくる。

 ――かくさないと

 ――みんなでなかよく、できなくなっちゃう。

 耳を塞ぎたくなるのを堪えながら、私は未央を見る。

「…ちょっところんだだけ」

 ふいっと、未央は顔を逸らした。

 …本当、子どもは素直だわ。

「嘘ね」

「…」

 唇をかみしめて俯く未央を前に、私はしゃがみ込んで目線を合わせた。

「…ねぇ未央。別に私、怒ってるわけじゃないのよ。あなたに対して怒りたいと思えるほど、あなたとの関係は深いものでもないもの。私はただ、なにがあったのか知りたいだけ」

「…」

 ――いったら、おこられるかもしれない。

 …そうよね。話すのは、怖いわよね。

 虐待を受けているこどもが、自ら助けてと声を上げられることは稀だという。

 親を守るためだとか、話したことで余計に酷くなることへの恐怖だとか、色んな理由があるみたい。

 でも、今ここに、未央を傷つける人間がいるわけではない。 

「未央。あなたは傷つけられるために生きているんじゃないのよ。もしも嫌なことがあるのなら、痛い思いをしてるのなら、それは言って良いの。誰もあなたを責めやしないわ。私も、約束する」

「っ…」

 未央が、顔を上げる。

 今にも泣きそうなのを堪えた顔。

「…あのね」

 ついに、口が開けられる。

「ええ」

「おうちに、おてつだいさんがいるの」

「…!」

 すっと、水面に滴がはじけたような、そんな感覚。

 あぁ、そう、そうなのね。

 私は、ようやく理解した。

 同時に、酷く呆れた。

 …私ってば、本当に頭が悪いわ。

 どうして気がつかなかったのかしら。

 ずっと、未央は言っていたじゃない。

 ――おうちでいわれたの。

 両親の話の時の主語は、「おとうさん」、「おかあさん」。

 内容だって、よく考えればわかるじゃない。

 夜遅くに未央の頭を撫でに来る母。

 朝早くに手紙を残す父。

 両親に対する負の声が聞こえない。

 当然よね。だって、両親は虐待なんてしていないもの。

 家でまともに顔を合わせる時間すら、ないのだから。

 私ったら、すっかり誤解していたわ。

――おうちには、おとうさんとおかあさんもいるから

 お父さんと、お母さん「も」。

 なにも、親だけが家にいるわけじゃないものね。

 


 




 おうちに、いるのね。

 オオカミが。


 






「ぜったいにいわない?」

 お手洗いから出た未央が、私のハンカチをぐしゃぐしゃにして涙を拭いながら言う。

「言わないわ」

「ほんとに?」

「本当に」

 念を押すように聞く未央に頷きながら、歩く。

 未央から聞いた話によれば、家にいる家政婦は未央の父親と母親が自ら指名して雇ったみたい。二人ともとても信頼している人のようで、未央は自分がいじめられていると知られたら二人が悲しむから言わないで欲しいと、そう何度も私に言った。

 私が頑張れば、きっといつか一緒に仲良くご飯をたべられるようになるから、と。

 本当、親思いな子ね。

 そして優しい子。

 自分が頑張れば、オオカミとも仲良くできるだろうからなんて。

 親からしたら、余計な配慮だろうに。

 でも、未央が言わないでというのなら、私は言わない。 

 席に戻ると、終い忘れた絵本たちがテーブルの上に乗っていた。

「…あ、かたづけなくちゃ」 

 思い出したように、未央が呟く。

「ああ、そうね」

 私は絵本を丁寧に揃えてから手に取る。

「…本」

「?」

 そう、本ね。

 私は一つ、思いついた。

「…ねぇ未央」

「?なぁに…?」

「シンデレラはどうしてドレスを着て舞踏会に行けたんだったかしら?」

「?フェアリーゴッドマザーがまほうでたすけてあげたからだよ」

「そうね。じゃあどうしてフェアリーゴッドマザーはシンデレラを助けてあげたの?」

「シンデレラはやさしいこだからだよ。プリンセスはね、みんなつよくてやさしいの」

「そうね。プリンセスはみんなそう。だから魔法使いたちも、プリンセスを助けてくれる」

「?」

「未央、私、貴女のこと好きよ。純粋でキラキラしてて優しくて、プリンセスみたい」

「ほんとっ?」

 少しだけ、表情に明るさが戻る。

「ええ、本当に。…だから、見ていてとても痛々しいわ」

 わざわざいじめられる場所に戻る、小さい憐れなシンデレラ。

 親を傷つけないために犠牲になる、幼い健気なベル。

 オオカミだとわかっているのに、仲良く出来ると信じる馬鹿な羊。

「?いたいたしい?」

「とっても素敵なプリンセスだってことよ」

「…えへへ」

 もじもじと、私のぐしゃぐしゃになったハンカチをいじる。

「ねぇ未央、もしもあなたがこれからもそうやって優しい子であれるというのなら、私が、あなたのフェアリーゴッドマザーになってあげる」

「えっ、こはくちゃんが?」

「そうよ。どうかしら?約束できる?」

「わかった!やくそくする!」

「そう…なら、私が貴女を助けるための、ちょとしたおまじないをかけてあげる」

「おまじない?」

「そう。おまじない。でも、ちょっと準備をする必要があるの。だから、一緒に来てくれないかしら。この絵本たちを返すついでに」

 わざとらしく絵本を掲げてみせる。

「わかったっ」



 




 児童書コーナーに絵本を片付けた後。

 私は未央を連れて、とあるコーナーの棚たちを見つめる。

「これがじゅんび?」

「そうよ」

 不思議そうな未央に言葉を返しながら、私は並べられた本たちを選別する。

「これと…ああ、これにしようかしら」

「…?」 

 私は二つの本を手に取ると、未央に振り返る。

「はい未央。おまじないよ」

「?これが?」

「そう。良い?ここでこの二つの本を借りて、家にもって帰るのよ」

「…?このほんはなあに?なんのほん?」

「嫌。教えないわ」

「えっ」

「絶対に教えない。だからあなたは私に教えてもらえなかったといって、お父さんとお母さんに読んでと頼みなさい」

「…おとうさんとおかあさんに?」

「そう。他の人がいるときはだめ。お父さんとお母さんだけがいるときに、これを読んでと頼んでみて。そうしたらもしかすれば、この先またお母さんとお父さんと一緒にご飯を食べられる日が、来るかもしれないわ」

「…!わかったっ」

 未央は希望に溢れた顔で本を抱きしめると、カウンターへと歩いて行った。








 そろそろ帰ると言う未央に頷いて、一緒に図書館を出る。

 外はもう大分暗かった。

 家はすぐ近くにあるから一人で行けるなんて言いながら一向に手を離す気配のない未央に、私も何も言わずについて行く。

「未央、そのハンカチはあなたにあげるわ」

「!いいの?」

「ええ」

 返されたところで、使う気にならないもの。

「ありがとーっ」

「どういたしまして」

 曲がり角を曲がる。

「もうおうちはすぐそこだからっ」

 言いながら、未央は手を離した。

「そうなのね。じゃあ、気をつけて」

「うんっ…ねぇこはくちゃん」

「?」

「またあえる?」

「どうかしら。もう一度必ず会えるとは、約束できないわね」

「そっか…じゃあ、もしもあえたら、またいっしょにあそんでくれる?」

「いい質問ね。それは約束しましょう」

「…えへへっ」

 今更何が恥ずかしいのか、未央はもじもじとしながら笑う。

「さぁ、もう行きなさい。これ以上暗くなったら危ないわよ」

「うんっ、ばいばいこはくちゃん!」 

 ちぎれんばかりに長い袖を振る未央に、私は軽く手を上げて応える。

 やがて振り返ることなく歩き出した後ろ姿を見つめる私は、カバンからそっと汗拭きシートを取り出して、首元に流れる汗を拭った。

「…日が沈んでもこんなに暑いなんて。これだから夏は嫌だわ」







「あ、白雪来たっ!」

「ごめんなさい。遅くなっちゃって」

「別に気にしてないよ。でも、白雪が待ち合わせに遅れるのなんてちょっと珍しいから、遅れた理由は気になる」

「正直ね。そういうところ、悪くないわ。そうね…家の中に犬のふりしたオオカミが入り込んでることを、教えてあげていたの。やっぱりどう頑張っても、羊とオオカミは一緒に食卓を囲めないもの」






「おとうさんおかあさん、おかえり」

「あら未央、起きてたの?」

「どうした?もう遅いぞ?眠れないのか?」

「ううん、まってたの。…あのね、きょうとしょかんでほんをかりたの。これ」

「?」

「なんだ?」

「わかんない。こはくちゃんにおしえてあげないっていわれちゃった。だからおとうさんとおかあさんにきいてって。これ、なんのほほんなの?」




【放置子~あなたは知ってる?子どもの傷~】

【現場から紐解く虐待の性質~見えないところで虐待は起きる~】

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