婚約破棄ですか? どうぞどうぞお好きになさって。愛人と子どもを連れて出て行けば? ですが持っていける財産は何ひとつございませんのであしからず
公爵家の令嬢であるアメーリアは、そのアメジスト色の瞳で正面に座る婚約者レネを冷たく見つめた。
金髪碧眼の見た目だけは王族のように整った婚約者は、椅子から立ち上がり肩を怒らせてこちらを指さした。
「お前との婚約を破棄するっ」
そして不調法な大声で、アメーリアに婚約破棄を告げた。
(こんな日が来るなんて)
アメーリアは目を見開き、驚きをもってレネの青い瞳を眺めた。
窓から流れ込む風がジャスミンの香りを室内に運び入れながら、ついでにレネの金髪をゆらしている。
春の日の午後。
柔らかな日差しを眺めながらお茶を楽しむ予定が、婚約破棄の修羅場に化けた。
アメーリアは紅茶のカップをテーブルに置き、溜息を吐きながらベルを鳴らして執事を呼んだ。
レネがアメーリアの婚約者となってから5年。
その間には色々なことがあった。
(お父さまが魔獣に襲われたのは、わたしが14歳のとき。お父さまを助けてくれた騎士のレネと婚約したのは15歳のとき。レネは婚約と同時に我が家に移り住んで……16歳のときには、魔獣から受けた傷のせいでお父さまが亡くなった。あれから4年。わたしは20歳になった)
父亡きあと、レネはまるで我が家の主人にでもなったような振る舞いをみせた。
おかしいと感じたアメーリアではあったが、ひとりっ子で幼少時に母も亡くしているアメーリアには、腹を割って相談できる相手はいなかった。
レネは5歳も年上で、年下のアメーリアの言うことなどまともに聞いてもくれなかったうえに、アメーリア自身は学業と公爵家の仕事で忙しかった。
(レネは仕事などしなかったけれど……自分のやりたいことに関しては積極的で、やり放題だったわね)
レネには愛人がいて、子どももいる。
その愛人は、この屋敷に勤めるメイドだ。
いまティーワゴンの側でニヤニヤしている女である。
(わたしの婚約者の愛人が、使用人とは情けない)
アメーリアは常々そう思っていたが、自分から別れを申し出る選択肢はなかった。
なぜならレネとの婚約は、今は亡き父が決めたものだからだ。
(お父さまが自分を魔獣から助けたレネに感謝して婚約を申し出たのは理解できることだわ。だからわたしは公爵家の跡取りとして、亡きお父さまの意思に逆らってまで婚約を解消しようとは考えなかった)
それが今、レネのほうから婚約破棄を宣言された。
アメーリアにとって、この申し出は渡りに船だ。
(この好機を逃す手はない)
アメーリアは部屋に入ってきた執事に事実を告げて指示を出した。
「レネから婚約破棄されました。あとはよろしくね」
「かしこまりました、お嬢さま」
執事は丁寧なお辞儀をして出て行った。
いつの間にかレネはティーワゴンの隣に移動していて愛人であるマイナと2人、仲良く並んでアメーリアをニヤニヤしながら眺めていた。
どうやら自分たちがどのような立場に置かれているのか気付いていないようだ。
アメーリアは溜息をひとつ吐くと、気を取り直したように笑みを浮かべた。
レネが揶揄するように言う。
「なんだよ、アメーリア。ニヤニヤしやがって。オレに婚約を破棄されたショックでおかしくなったか?」
レネは伯爵家の生まれだが、継ぐ爵位を持たない三男のせいか礼儀が少々なっていない。
「きっとそうよ。レネさまがあたしを選んだから、お嬢さまはショックを受けてらっしゃるのよ」
マイナがクスクスと笑いながら言った。
メイドのほうは子爵家の娘だ。
教養がなくても仕方ない。
(でも礼儀すら身についてないのであれば、この先は苦労するわね)
レネは得意げに言う。
「オレとマイナの間には、子どももいる。お前が入る隙間はない」
マイナも勝ち誇った様子で口を開いた。
「そうよ。あたしとレネさまの結びつきは強いんだから」
「お前との婚約はやめる。だから、アメーリア。この屋敷から出て行け」
(ああ、やっぱり分かってない)
アメーリアが事情を説明しようとした瞬間、部屋のドアが開いて、黒髪の男が入ってきた。
「こんにちは、アメーリア嬢。おや。レネもいたんだね」
「カールトン副騎士団長っ。いらっしゃいませ」
レネは姿勢を正すと騎士としての上司である黒髪の男に礼の姿勢をとった。
「はは。レネ・マッコール伯爵令息。そろそろベルクール公爵配になるんだろ? 騎士団の副団長とはいえ伯爵家の次男である私に、そんなかしこまった態度をとらなくてもいいよ」
「いらっしゃいませ、カールトンさま」
アメーリアはドキドキと忙しい胸の鼓動を感じつつ、努めて冷静な態度でカールトンに対応した。
(ああ。今日もカールトンさまは素敵。騎士団の副団長を務めるだけあって、体は鍛え上げられている。その体を引き立てる騎士服がよくお似合い。凛々しく男らしい顔立ち、それを更に引き立てる黒髪。男の色気がムンムンですわ)
アメーリアは金髪派ではなく、黒髪派だった。
銀髪の髪を結いあげて淑女らしく身なりを整えているアメーリアだったが、そのアメジスト色の瞳にカールトンを映すとき、心のうちにはいつも華やかで艶やかな恋慕が湧き上がって満ち満ちるのだ。
(はしたないし、恥ずかしい。だけれども、自分では止められないの)
アメーリアはカールトンに恋をしていた。
それが叶わないことは分かっている。
だからといって恋は自分の意思で手放せるようなものではないことを、アメーリアは身をもって思い知らされていたのだった。
アメーリアはカールトンへの想いに浮きたつ心を隠しつつ、椅子から立ち上がると礼儀正しく挨拶をした。
そして落ち着いた口調で聞いた。
「カールトンさま。今日はどのようなご用件で?」
「おや、いけない。アメーリア嬢の美しさを前にして、仕事を忘れるところでした」
カールトンは慌てて懐から書状を出した。
(もうカールトンさまったら。お世辞もお上手。完璧な殿方ですわ)
アメーリアは、ウキウキした気分でカールトンの差し出した書状を受け取った。
「これは?」
「それは第一王子で王太子のアーサー殿下の婚約式の招待状です」
カールトンの言葉に、アメーリアは開いた書状に視線を走らせつつ眉をひそめた。
「あら? アーサーさまには婚約者さまがすでに……」
「はい。前婚約者さまとは婚約を解消し、新しく婚約を結ばれるそうです」
アメーリアは驚いて、跳ねるように顔を上げた。
「え? でもアーサーさまと釣り合うご令嬢なんて……」
「ああ。新しい婚約者さまは、男爵家の令嬢です」
「まぁ⁉」
アメーリアは驚きの声を上げ、懸念を口にした。
「身分が釣り合わない結婚は悲劇のもとですのよ。ましてやアーサーさまは次の国王になれる方ですわ。大丈夫ですの?」
「それは大丈夫です。男爵令嬢ですが、聖女さまでもあるので」
「ああ。そういうことなら大丈夫ね」
アメーリアは、ほっと胸をなでおろした。
この王国においての聖女は、王族に並ぶ立場を持つのだ。
出身が男爵家であっても、何ら問題はない。
カールトンは王太子の意思を代弁する。
「つきましては、公爵家の当主であらせられるアメーリア嬢にも、婚約式へご出席をぜひにとのことです」
「はい。分かりました。参列させていただきますわ」
アメーリアが頷いて了承すると、レネが慌てた様子で2人の間に割って入った。
「おい、ちょっと待てよ! アメーリアが公爵家の当主?」
アメーリアは鼻で笑った。
「あら、気付きませんでした?」
(わたしは今年で20歳。晴れて公爵家を継ぐことができるわ)
レネはアタフタとしながら文句を並べ立てた。
「だってアメーリアは女じゃないか。王国は男社会だ。女が爵位を継ぐことなんて……」
レネの言葉を遮るようにカールトンは呆れた口調で言う。
「レネ、なにを言っているんだ? 女性が爵位を継げない時代は、50年以上も前に終わっているぞ」
「えっ⁉」
(やっぱり知らなかったのね)
レネが本気で驚いているのを見て、改めてアメーリアは呆れた。
その呆れには理由がある。
カールトンは呆然としてるレネに説明した。
「貴族学校の授業で習ったじゃないか。当主が亡くなって子どもが女性のみだった場合、その子どもは成人をもって爵位を継承できると」
「なんだって⁉ じゃ、オレはどうなるんだよっ」
焦るレネに、アメーリアは冷静に突っ込む。
「わたしとの婚約を破棄した以上、貴男は伯爵の三男という立場に戻るのよ」
「えっ⁉ なんでっ⁉」
「なんでも何も、当たり前の話よ。公爵家の養子になったわけでもなし、わたしの婚約者でなくなったら、我が家とは縁が切れるの」
レネの顔がどんどん青くなっていく。
(ようやく事態が分かってきたみたいね)
意地悪で不気味なニヤニヤ笑いを浮かべていたマイナも、分かりやすく血相を変えた。
「えっ……どういうこと? ねぇ、レネさま? レネさまが公爵さまになるのではなかったの? アタシと息子は、公爵家の一員になるんでしょ?」
(そんなわけないじゃない)
アメーリアは心の中で突っ込んだ。
「婚約がなくなったのなら、お前は実家に実家へ戻るべきだぞ、レネ。というか、婚約破棄? それなら慰謝料を払う立場だが……何がどうなっているんだ?」
カールトンは不思議そうな顔をして、レネの顔をマジマジと眺めている。
レネは焦りながらも自分が有利になる理由を探して、唯一のものをアメーリアに向かって口にした。
「オレは亡くなった公爵を魔獣から救った男だぞ⁉ そのオレを身ひとつで実家へ送り返す気か⁉」
(あー、それがあったか)
痛いところを突かれてアメーリアは顔を歪めた。
「そうだろ⁉ 公爵家はオレに恩義があるよなっ⁉」
カールトンは複雑な表情を浮かべると、騒ぎ立てるレネに向かって言った。
「そのことなんだがな、レネ。前公爵さまを助けたのは……あの魔獣を倒したのは、私ではなかったかな?」
「うっ⁉」
今度はレネが痛いところを突かれてうめき声を上げた。
「なんですって⁉ それは初耳よ⁉」
アメーリアは思わず声を上げた。
「ああ。そうなんだ。魔獣を倒したのは私で、レネは公爵さまを医師のところまで運んだだけだ。公爵さまをレネが救ったことには違いないから、いちいち訂正しなかったのだが……アメーリア嬢の様子をみると、私の判断は間違っていたようだね」
カールトンの説明は耳に届いていたが、今そこに反応している余裕はアメーリアにはない。
(ちょっと待てよ! 魔獣を倒してお父さまを助けてくれたのがカールトンさまなら、レネなんかに構う必要なかったのではなくて⁉ えっ⁉ ちょっと、ちょっと。わたし……我が公爵家は、6年間もの長きにわたって無駄にこの馬鹿のせいで振り回されていたってこと⁉)
そこに執事がやってきて、レネの肩を掴んだ。
「婚約破棄された貴男は、この家を出て行くのですよ。さぁ衛兵たちがお手伝いします」
「ちょっ……執事ごときがオレの肩を掴むなっ!」
「おい口を慎め、レネ。執事殿の実家は伯爵家だぞ」
暴れるレネを、カールトンがたしなめた。
それでもなお暴れるレネの体を衛兵が拘束する。
「やめろっ! 衛兵っ! オレを掴むなっ! ちょっ、担ぐなっ! やめろぉぉぉぉぉぉぉぉぉ」
マイナは衛兵により運ばれていくレネに向かって手を伸ばして叫んだ。
「ああっ、レネさまっ! ちょっと何よアンタ。アタシに触らないでっ!」
マイナは執事に肩を掴まれて暴れた。
執事は冷酷に告げる。
「お前もクビだよ、マイナ。公爵家の乳母を使って子守をさせているお前の息子を連れて、大人しく屋敷を去りなさい」
「ちょっ……なんでアタシが⁉ レネさまっ! レネさまっ! なんとかしてぇ~!!!」
もうひとりの衛兵が暴れるメイドの体を軽々と担ぎ上げると、アメーリアを振り返って一礼して部屋を出て行った。
アメーリアは部屋の出入り口辺りを眺めて呆然と呟く。
「一体……何だったの?」
(わたしは……お父さまの恩人だからと言いつけ通りにレネと婚約したというのに……。本当の恩人はカールトンさまだった。この6年間という歳月は、なんだったの? お父さま、お父さま、教えて。ねぇ、お父さま……)
アメーリアが感情の泥沼にはまりかけた時、カールトンがそっと声をかけてきた。
「あの……アメーリアさま。レネとの婚約がなくなった今、あなたをエスコートする者はいませんよね?」
「え?……ええ、そうです」
(婚約者も、お父さまも、いないから、エスコートしてくれる殿方なんていないわね)
そこでアメーリアはハッとなる。
(王太子殿下の婚約式! わたし、エスコートなしで出席しなければならないの⁉)
女性が爵位を継げるようになったとはいえ、王国が男社会であることに変わりはない。
(エスコートもなしで出席するわけにも……)
カールトンがモジモジしながら言う。
「あの……私も婚約式へ出席することになっているのですが……不調法者ゆえエスコートできる女性のひとりもおりません。よろしければ、アメーリアさま。ご一緒……していただくわけにはまいりませんでしょうか?」
アメーリアは突然の申し出に固まった。
(えっ? えっ? カールトンさまがわたしを……えっ?)
「えーと……アメーリアさま? 私ではご不満でしょうけれど……」
「いえっ! そんなことはございませんっ」
アメーリアは思ったよりも大声が出て、自分の声に自分で驚いた。
カールトンも驚いて一瞬固まった。
「あの……では、ご一緒していただけますでしょうか?」
「はいっ。喜んでっ」
アメーリアの威勢のよい声に、カールトンはもちろん、アメーリア自身も驚いて一瞬の静けさが訪れた。
「では、ご一緒に……」
「はい……あの、よろしくお願いします」
2人は互いに視線をそらしながら気まずそうに会話を交わした。
(あー、こういうの……あー、どう話を進めたら……)
15歳から婚約者のいたアメーリアは色恋沙汰には疎かった。
(社交は不得手ではないけれど……えーと。こういうときには……押せばいいのかしら?)
「あの……カールトンさま?」
「はい。なんでしょうか、アメーリアさま」
「不躾なことをお聞きしますが……カールトンさまは、婚約者さまは……」
「残念ながらおりません。不調法者ゆえ、婚約者どころか女性の友人もおりません」
「まぁ……そうなのですね……」
いつの間にか横に並んで窓の外を眺めていた2人の間に微妙な空気が流れた。
気まずそうに視線を逸らして、上を向いたり、下を向いたり。
相手と反対側を向いたりしていたが、やがて互いの顔を見た。
タイミングはぴったりで、視線はすぐに交わった。
そのタイミングの良さに、同時に噴出す2人。
ひとしきり笑うと、少しだけ肩の力が抜けた。
「お申し出、ありがとうございます。ありがたくお受けしますわ」
「よかった」
アメーリアが笑顔で了承の返事をすると、カールトンはホッとした表情を浮かべた。
そして言う。
「どうか私のことは名前で……シモンと呼んでください」
「まぁ……では、シモンさま……」
(あら名前だなんて。嬉しいけれど恥ずかしい)
アメーリアは、頬を染めて彼の名を呼んだ。
だがカールトンは不満ならしい。
「いえ……あの『シモン』と呼び捨てでお願いします。私も貴女を『アメーリア』と呼びたいので……」
「あぁ……では、シモン」
「はい。アメーリア」
シモンはにっこりと素敵な笑顔を浮かべると、アメーリアの白くしなやかな手をとって、その甲にキスをした。
仲良く婚約式に出席した2人が、王太子の計らいにより婚約したのは、それから間もなくのことであった。
~ HappyEnd ~




