第8章 妹(特殊部隊)vs ヒロイン連合軍 in 押し入れ前
1.ステルス・シスター
深夜2時のコテージ。和室の押し入れの中。
俺、鷹井順は、自分の心臓の音がドラムセットのように鳴り響くのを感じながら、隙間から外を覗いていた。
そこにいるのは、間違いなく妹の美咲だ。
白いネグリジェの上に、なぜかタクティカルベストのような装備を装着し、頭にはナイトビジョンゴーグル(おもちゃ屋で売ってるやつか?)を乗せている。
異様すぎる。夢遊病が悪化して、コマンドー化している。
「……ターゲット確認。寝息、一定」
美咲は俺のダミー布団(中身はクッション)の横にしゃがみ込み、小声で状況報告をしている。誰にだ。自分の脳内司令部にか。
「これより捕獲作戦(添い寝)を開始する。抵抗された場合は、鎮静剤(抱き枕化)を使用する」
美咲がそっと布団をめくった。
そこにあるのは、俺ではなく、ニトリで買った低反発クッションだ。
「……?」
美咲がクッションを突く。
反応がない。
彼女が首を傾げたその時、押し入れの中の俺のスマホが、最悪のタイミングで振動した。
ブブブッ!
静寂の中で、その音は銃声のように響いた。
美咲がバッ! とこちらを振り返る。
ナイトビジョンが緑色に光る。
「……反応あり。10時の方向、押し入れ」
バレた!
いや、まだだ。まだ猫だと思われているかもしれない。
俺が息を止めていると、美咲が足音を殺して近づいてくる。
手に持っている手錠がチャリリと鳴る。怖い。実の兄にかけるつもりか。
あと3歩。
2歩。
1歩。
美咲の手が、ふすまに掛かった――
その瞬間。
ドタドタドタッ!
2階から、慌ただしい足音が聞こえてきた。
階段を駆け下りてくる音だ。一人じゃない。複数だ。
「ちょっと抜け駆けはずるいわよ!」
「そっちこそ! トイレに行くとか言って順のところに行く気でしょ!」
乃愛と里奈だ!
あの二人も、深夜2時という魔の時間帯に合わせて動き出したのだ。
美咲が舌打ちをした。
「チッ……敵軍の増援か。一時撤退する」
美咲は瞬時に判断を下し、なんと俺が隠れている押し入れの上の段(天袋じゃなく中段の上の棚)にするりと潜り込んだ。
俺は下段。美咲は上段。
同じ押し入れの中に、兄と妹が潜伏する形になった。
俺の頭上から、美咲の体温と、微かなシャンプーの香りが漂ってくる。
心拍数が上がる。これは別の意味で危険だ。
2.コテージの中心で愛を囁かないで
ガラッ!
和室の引き戸が勢いよく開けられた。
入ってきたのは、パジャマ姿の白樺乃愛と相沢里奈。
二人とも手に枕を持っている。枕投げをするわけではないだろう。
「はぁ……はぁ……。誰もいないわね」
「田中くんは爆睡してるし……よし、順の布団は……あれ?」
二人が俺の布団(もぬけの殻)を見る。
クッションが露出している。
「いない!? 順がいないわ!」
「トイレかしら? それとも……逃げた?」
乃愛が鋭い目つきで部屋を見渡す。
そして、彼女の視線が、俺たちの隠れている押し入れに止まった。
「……怪しいわね」
「え、まさか押し入れの中に?」
「順くんの行動パターンからして、あり得るわ。『ドラえもんになりたい』って昔言ってたし」
言うな! そんな黒歴史をここで暴露するな!
乃愛がゆっくりと押し入れに近づいてくる。
さっきの美咲のデジャヴだ。だが今回は、上に美咲がいる。
もし開けられたら、「兄妹で押し入れに隠れていました」という、どう言い訳してもアウトな現場が露呈する。
俺は必死に祈った。
アプリよ、何か手はないか!?
スマホを見る。
『緊急ミッション進行中』
『現在の状況:【四面楚歌】』
『使用可能スキル:【幽霊ボイス(ゴースト・サウンド)】』
『効果:指定した場所から不気味な声や音を発生させ、注意を逸らす』
『消費ポイント:10P』
これだ!
俺は震える指で『実行』を押し、発生源を『窓の外』に設定した。
――ヒュ〜ドロドロ……
――「うらめしや〜……」
窓の外から、ベタすぎる幽霊の効果音と、野太い男の声が聞こえた。
安っぽい! 昭和のお化け屋敷か!
「きゃああああああ!!」
しかし、効果は抜群だった。
乃愛と里奈が抱き合って悲鳴を上げた。
どうやらこのアプリ、恐怖演出に関してはリアリティよりも「本能的な恐怖」を刺激するらしい。
「お、お化け!? 無理無理無理!」
「ご主人様ぁぁぁ! 助けてぇぇぇ!」
二人はパニックになり、そのまま和室を飛び出していった。
ドタバタと2階へ駆け上がる足音が聞こえる。
「……ふぅ。助かった……」
俺が安堵の息を漏らした、その時。
頭上から、冷ややかな声が降ってきた。
「……兄官殿。今の声、アプリですね?」
ビクッとする。
上を見ると、美咲が逆さまに顔を出して、俺を覗き込んでいた。
ナイトビジョンの緑色の目が光っている。
「み、美咲……お前、気づいて……」
「当然です。兄官殿のスマホから微弱な信号が出ているのを傍受しました」
こいつ、本当に中学生か? CIAのエージェントか?
「それにしても、兄官殿。こんな狭い空間で、妹と密着するなんて……」
「密着してない! 段が違う!」
「心は密着しています。……ねえ、お兄ちゃん」
美咲がするりと上段から降りてきた。
狭い押し入れの中。
俺と美咲の距離がゼロになる。
「……ここで朝まで、二人きりで過ごしましょう? 任務の開始です」
美咲の手が俺の胸に触れる。
逃げ場はない。外には田中のいびきと、いつ戻ってくるかわからないヒロインたち。中にはブラコン特殊部隊。
その時。
俺のポケットの中で、スマホがピロン♪ と軽快な音を立てた。
『ミッション達成:夜の訪問者を(ある意味)回避しました』
『報酬:200P獲得』
『ボーナスイベント発生:【密室のハプニング】』
『効果:押し入れのふすまが、外からつっかえ棒をされたように開きにくくなります』
――余計なことすんなああああああ!!
閉じ込められた!
俺はふすまに手をかけたが、ビクともしない。
暗闇の中、美咲の荒い息遣いだけが聞こえる。
「ふふっ……神様も味方してくれているようですね。……覚悟してください、兄官殿」
俺の貞操(と兄としての威厳)が、風前の灯火となった。
3.翌朝の誤解と肝試しの予兆
チュンチュン。
朝。小鳥のさえずりが聞こえる。
俺は目の下にクマを作り、魂の抜けた顔で押し入れから這い出した。
幸い、一線は越えなかった。
美咲が途中で寝落ちしたのだ。彼女の「軍曹モード」も、睡魔には勝てなかったらしい。
俺は一睡もできず、彼女の寝顔を見守りながら、朝4時にふすまのロックが解除されるのを待って脱出したのだ。
美咲はまだ押し入れの中で爆睡している。今のうちに退散させなければ。
俺が美咲を背負って窓から逃がそうとした、その瞬間。
「……順? 何してるの?」
背後から声がした。
相沢里奈だ。早起きして様子を見に来たらしい。
彼女の目には、俺が「パジャマ姿の美少女(妹)を背負って窓から投げ捨てようとしている(ように見える)」光景が映っている。
「あ、いや、これは……」
「……順、最低。まさか、妹ちゃんまで手にかけて……」
「違う! 誤解だ! これは訓練だ!」
「何のよ!?」
騒ぎを聞きつけ、乃愛と鉄輪先輩も起きてきた。
「あら、順くん。朝から妹さんとスキンシップ? 近親相姦なプレイ、嫌いじゃないわよ」
「カンナも……カンナもおんぶー!」
カオスな朝が始まった。
美咲も目を覚まし、「任務完了……撤収します!」と言って窓から忍者のように消えていった。あいつ、本当に何者なんだ。
残された俺に向けられる、ヒロインたちの冷ややかな、そして熱っぽい視線。
「今日の夜は……肝試しよ」
乃愛が不敵に笑う。
「暗闇の森で、ペアを組んで歩くの。吊り橋効果なんて目じゃないわ。……本当の恐怖と快楽を教えてあげる」
予告された死刑宣告。
林間学校二日目。
今日のメインイベントは「肝試し」。
それは、俺の獲得した200Pを使って【絶対不可侵バリア】を買うか、それとも他のアイテムで迎撃するか、究極の選択を迫られる戦いの始まりだった。




