表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
7/28

第7章 カレーの隠し味は愛情と狂気と少しの睡眠薬

1.ロジックが崩壊した部屋割り会議


 バスに揺られること3時間。ついに、我々一行は山奥の合宿施設『緑風りょくふう自然の家』に到着した。

 空気は澄み、鳥のさえずりが聞こえる。本来なら心洗われる風景だが、俺にとってはここがジェイソンも裸足で逃げ出す監獄島に見える。


「それでは、部屋割りの発表を行います」


 広場に集められた生徒たちの前で、担任の先生がリストを読み上げる。

 通常、男子は男子部屋、女子は女子部屋。これは宇宙の真理であり、学校教育の鉄則だ。

 俺も当然、田中のようなモブ男子たちとのむさ苦しい相部屋を想定していた。それが唯一の救いだからだ。


「えー、男子3班。鷹井、田中、佐藤(男)……」


 よし!

 俺は心の中でガッツポーズをした。男子部屋だ。安全だ。夜中に襲われる心配はない(別の意味でなければ)。


「……ですが、急遽、施設の設備トラブルが発生しました」


 先生が眉をひそめて続けた。


「男子棟の305号室、つまり鷹井たちの部屋の天井から、謎の水漏れが発生したそうです。修理には数日かかるとのこと」


 ざわめく生徒たち。

 俺の背筋に嫌な汗が流れる。水漏れ? このタイミングで?

 ふと横を見ると、白樺乃愛がスマホを操作しながら、優雅に微笑んでいた。

 まさか……。


「そこで、施設の管理人さんのご厚意により、離れにある『特別コテージ』を使用できることになりました」

「おおー!」「すげえ!」「コテージとか勝ち組じゃん!」


 男子たちが歓声を上げる。

 だが、先生の言葉はまだ終わっていなかった。


「ただし、コテージは一棟しか空いていません。そこはかなり広いので……女子で部屋あぶれが出てしまった白樺、相沢、そして監督役の鉄輪も、同じコテージに宿泊することとします」


 ――時が止まった。

 静まり返る広場。

 そして次の瞬間、男子生徒全員からの殺意の波動が俺に集中した。


「はああああああ!?」「男女同室!?」「鷹井てめええええ!!」「死刑だ!」


 俺は先生に詰め寄った。


「待ってください先生! 男女同室なんてありえないでしょ! 風紀的に! 教育的に!」

「落ち着け鷹井。コテージの中は1階と2階で分かれている。1階が男子、2階が女子だ。鍵もかかる。問題ない」


 問題大ありだ!

 鍵なんて、あいつら(特にピッキング技術とか持ってそうな乃愛)の前では無力だ!

 俺は助けを求めて鉄輪先輩を見た。風紀委員長として、この不純な決定に異議を唱えてくれるはずだ。


「……カンナ、お兄ちゃんと一緒のおうち……?」


 先輩は指をくわえて、ぽわ~んとした顔で頬を染めていた。

 ダメだ。この人はもう戦力外どころか敵軍の大将だ。


「というわけで、移動! 荷物を置いたらすぐにカレー作りだ!」


 俺の抗議は却下され、地獄の共同生活が幕を開けた。


2.野菜を切る音がホラー映画


 夕方。野外炊事場。

 林間学校の定番、カレー作りの時間だ。

 俺たちの班(俺、田中、乃愛、里奈)は、同じかまどを囲んでいた。


「田中くん、火おこしお願いね(圧)」

「は、はいっ!」


 乃愛の一睨みで、田中は薪割りに逃亡した。賢明な判断だ。

 残されたのは、俺と二人のヒロイン。


「順、私、野菜切るね! 家庭的なとこ見せちゃうぞ☆」

「あ、ああ。頼む」


 里奈が包丁を握る。

 俺はじゃがいもの皮むきを担当することになった。

 隣で里奈がトントンとリズミカルに人参を切っていく。ここまでは普通だ。

 しかし。


「死ね……死ね……泥棒猫……」


 乃愛が玉ねぎを切りながら、物騒な呪詛を呟いている。

 その包丁の勢いが凄まじい。

 ダンダンダンダンッ!!

 まな板が悲鳴を上げている。玉ねぎのみじん切りというより、親の敵を討つような粉砕作業だ。


「あ、あのー、白樺さん? 玉ねぎ、もうペースト状になってるけど……」

「涙が出るからよ……。玉ねぎのせいじゃないわ。私とご主人様の間に割り込む害虫がいることが悲しくて……」


 怖い怖い。目が笑ってない。

 一方の里奈も、負けてはいなかった。

 彼女は鍋に水を張りながら、ポケットから怪しげな小瓶を取り出した。


「ふふっ、これを入れたら、順は私のことしか考えられなくなるはず……」

「おい! 今何入れようとした!?」


 俺は慌てて里奈の手を掴んだ。

 小瓶のラベルには『マムシエキス配合・超絶精力剤Z』と書かれていた。


「なんでそんなもん持ってんだよ!」

「だ、だってネットで『カレーに入れるとコクが出る(隠語)』って書いてあったから!」

「嘘をつけ! 毒殺する気か!」


 さらに、乃愛も負じと何かを取り出す。

 

「あら、それなら私もスパイスを持ってきたわ」

「お前は何だ!?」

「睡眠導入剤よ」

「犯罪だわ!!」


「ご主人様には今夜、ぐっすり眠っていただいて……その間に私が夜這……いえ、看病をして差し上げるの」


 カオスだ。

 このカレーは、精力剤と睡眠薬のハイブリッドという、食べたら確実に救急車コースの劇物になろうとしている。


 俺はスマホを取り出し、緊急措置をとった。

 アプリの『Item Scan(アイテム鑑定)』機能を起動。

 鍋の中身をスキャンする。


『判定:危険度S(致死性はありませんが、人格が変わる恐れがあります)』

『対策:中和剤(普通のカレールー)を大量投入し、味覚を麻痺させること』


「田中ァ! カレールー全部持ってこい! 激辛のやつだ!」


 俺は戻ってきた田中の手からルーをひったくり、鍋に全投入した。

 グツグツと煮える地獄の窯。

 こうして出来上がったのは、ドス黒いマグマのような物体だった。


3.ご主人様のための毒味


「「「いただきます」」」


 班のメンバーで食卓を囲む。

 目の前には、俺たちが錬成したダークマター・カレー。

 誰もスプーンを動かそうとしない。生存本能が警鐘を鳴らしているのだ。


「……順、食べてみてよ」

「いや、お前が作ったんだろ」

「ご主人様、どうぞ召し上がれ」

「お前が入れた薬のせいで色が変なんだよ!」


 押し付け合いが始まった時、一人の救世主(犠牲者)が現れた。

 見回りに来た鉄輪先輩だ。


「おい、お前ら。まだ食べていないのか? 食事を粗末にするのは校則違反だぞ」


 先輩はまだ少し幼児退行の影響が残っているのか、口調は厳しいが、その手にはお子様用のスプーンが握られている。


「あ、鉄輪先輩! どうぞ、味見してください!」


 俺はすかさず自分の皿を差し出した。

 先輩は「ふん、毒味役をさせる気か」と言いつつ、スプーンで一口すくって口に入れた。


 パクッ。


 ……沈黙。

 先輩の動きが止まる。

 全員が固唾を飲んで見守る中、先輩の顔色が赤から青、そして紫へと変化していく。


「――んぎゃあああああああ!!」


 先輩が絶叫し、その場に崩れ落ちた。

 激辛ルーと精力剤と睡眠薬の化学反応が、彼女の脳内でビッグバンを起こしたようだ。


「からいぃぃ! でもなんか体が熱いぃぃ! 眠いぃぃ! どっちなのー!?」


 錯乱する風紀委員長。

 その目から涙が溢れ、彼女はハイハイしながら俺の足にすがりついてきた。


「パパぁ……お口直し……ちゅーして……?」


 ――全滅だ。

 このカレー事件により、鉄輪先輩の幼児化はさらに悪化し、周囲の生徒たちには「鷹井の班のカレーを食べるとラリる」という都市伝説が広まった。


 俺たちは結局、売店のカップラーメンをすすることになった。

 ズズッ……という麺をすする音が、夜の森に虚しく響く。


「……おいしいわね、ご主人様と同じものを食べられるなんて」

「順の残り汁、もらっていい?」


 カップ麺ですら愛の重さをアピールしてくる二人に対し、俺は無言でスープを飲み干した。


4.コテージの夜は長い


 食事を終え、入浴も済ませ(もちろん、風呂場への覗きミッションは断固拒否した)、いよいよ就寝時間。

 俺たちに割り当てられたコテージに戻る。


 1階のリビングには、ソファーとテレビ。その奥に男子用の寝室(和室)。

 2階へ続く階段があり、そこが女子の領域だ。


「いい? 絶対に2階に上がってこないでね(フリ)」

「夜這い待ちしてますから(直球)」


 女子たちはそれぞれの思惑を秘めて2階へ上がっていった。

 俺と田中は、1階の和室に布団を敷いた。


「鷹井……お前、大変そうだな」

「……ああ。田中、お前だけが頼りだ」

「でもさ、ぶっちゃけ羨ましいぜ。あんな美少女たちに囲まれて」

「代わってくれ。全財産やるから」


 田中は苦笑いして、すぐに高いびきをかいて寝てしまった。神経が図太い。

 俺も疲れ果てていた。今日はもう寝よう。明日に備えてHPを回復させなければ。


 電気を消し、布団に潜り込む。

 静寂。

 虫の声。

 ……そして、ミシミシという天井からの軋み音。


 眠れない。

 真上に彼女たちが寝ていると思うと、何かが透過して落ちてきそうな恐怖がある。

 

 その時。

 スマホが枕元で震えた。

 通知だ。


『ミッション発生:夜の訪問者』

『内容:深夜2時、貴方の布団に誰かが潜り込んできます。それを【誰にも気づかれずに】回避してください』

『報酬:ポイント200P』

『失敗ペナルティ:既成事実の成立』


「……は?」


 時計を見る。

 現在、深夜1時50分。

 あと10分で誰かが来る!?

 誰だ? 乃愛か? 里奈か? それともカンナか?

 あるいは……三人同時か?


 俺は飛び起きた。

 逃げなければ。だが、どこへ? 外は真っ暗だ。

 俺は部屋の隅にある「押し入れ」に目をつけた。

 ベタだが、ここしかない。ドラえもんスタイルでやり過ごすんだ。


 俺は音を立てないように布団を抜け出し、枕の下に身代わり用のクッションを詰め込み、押し入れの中に身を隠した。

 ふすまを数ミリだけ開けて、様子を伺う。


 1時59分。

 2時00分。


 ――ギィィ。


 和室の引き戸が、ゆっくりと開いた。

 廊下の薄明かりを背に、一つの影が立っていた。

 長い髪。白いネグリジェ。

 手には、なぜか手錠のようなものが握られている。


 影は、俺の(ダミーの)布団に近づいていく。

 そして、ささやくような声が聞こえた。


「……見つけた」


 その声は、乃愛でも、里奈でも、カンナでもなかった。

 聞き覚えのある、しかし、ここにいるはずのない声。


「……お兄ちゃん」


 ――美咲!?

 なぜだ!? お前は家にいるはずだろ!?

 GPSか! あの荷物に紛れ込ませたGPSを追って、山を越えてきたのか!?

 ブラコン軍曹の行動力、特殊部隊並みかよ!


 俺は押し入れの中で、自分の口を手で覆い、絶叫を噛み殺した。

 林間学校の夜は、まだ始まったばかりだ。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ