第7章 カレーの隠し味は愛情と狂気と少しの睡眠薬
1.ロジックが崩壊した部屋割り会議
バスに揺られること3時間。ついに、我々一行は山奥の合宿施設『緑風自然の家』に到着した。
空気は澄み、鳥のさえずりが聞こえる。本来なら心洗われる風景だが、俺にとってはここがジェイソンも裸足で逃げ出す監獄島に見える。
「それでは、部屋割りの発表を行います」
広場に集められた生徒たちの前で、担任の先生がリストを読み上げる。
通常、男子は男子部屋、女子は女子部屋。これは宇宙の真理であり、学校教育の鉄則だ。
俺も当然、田中のようなモブ男子たちとのむさ苦しい相部屋を想定していた。それが唯一の救いだからだ。
「えー、男子3班。鷹井、田中、佐藤(男)……」
よし!
俺は心の中でガッツポーズをした。男子部屋だ。安全だ。夜中に襲われる心配はない(別の意味でなければ)。
「……ですが、急遽、施設の設備トラブルが発生しました」
先生が眉をひそめて続けた。
「男子棟の305号室、つまり鷹井たちの部屋の天井から、謎の水漏れが発生したそうです。修理には数日かかるとのこと」
ざわめく生徒たち。
俺の背筋に嫌な汗が流れる。水漏れ? このタイミングで?
ふと横を見ると、白樺乃愛がスマホを操作しながら、優雅に微笑んでいた。
まさか……。
「そこで、施設の管理人さんのご厚意により、離れにある『特別コテージ』を使用できることになりました」
「おおー!」「すげえ!」「コテージとか勝ち組じゃん!」
男子たちが歓声を上げる。
だが、先生の言葉はまだ終わっていなかった。
「ただし、コテージは一棟しか空いていません。そこはかなり広いので……女子で部屋あぶれが出てしまった白樺、相沢、そして監督役の鉄輪も、同じコテージに宿泊することとします」
――時が止まった。
静まり返る広場。
そして次の瞬間、男子生徒全員からの殺意の波動が俺に集中した。
「はああああああ!?」「男女同室!?」「鷹井てめええええ!!」「死刑だ!」
俺は先生に詰め寄った。
「待ってください先生! 男女同室なんてありえないでしょ! 風紀的に! 教育的に!」
「落ち着け鷹井。コテージの中は1階と2階で分かれている。1階が男子、2階が女子だ。鍵もかかる。問題ない」
問題大ありだ!
鍵なんて、あいつら(特にピッキング技術とか持ってそうな乃愛)の前では無力だ!
俺は助けを求めて鉄輪先輩を見た。風紀委員長として、この不純な決定に異議を唱えてくれるはずだ。
「……カンナ、お兄ちゃんと一緒のおうち……?」
先輩は指をくわえて、ぽわ~んとした顔で頬を染めていた。
ダメだ。この人はもう戦力外どころか敵軍の大将だ。
「というわけで、移動! 荷物を置いたらすぐにカレー作りだ!」
俺の抗議は却下され、地獄の共同生活が幕を開けた。
2.野菜を切る音がホラー映画
夕方。野外炊事場。
林間学校の定番、カレー作りの時間だ。
俺たちの班(俺、田中、乃愛、里奈)は、同じかまどを囲んでいた。
「田中くん、火おこしお願いね(圧)」
「は、はいっ!」
乃愛の一睨みで、田中は薪割りに逃亡した。賢明な判断だ。
残されたのは、俺と二人のヒロイン。
「順、私、野菜切るね! 家庭的なとこ見せちゃうぞ☆」
「あ、ああ。頼む」
里奈が包丁を握る。
俺はじゃがいもの皮むきを担当することになった。
隣で里奈がトントンとリズミカルに人参を切っていく。ここまでは普通だ。
しかし。
「死ね……死ね……泥棒猫……」
乃愛が玉ねぎを切りながら、物騒な呪詛を呟いている。
その包丁の勢いが凄まじい。
ダンダンダンダンッ!!
まな板が悲鳴を上げている。玉ねぎのみじん切りというより、親の敵を討つような粉砕作業だ。
「あ、あのー、白樺さん? 玉ねぎ、もうペースト状になってるけど……」
「涙が出るからよ……。玉ねぎのせいじゃないわ。私とご主人様の間に割り込む害虫がいることが悲しくて……」
怖い怖い。目が笑ってない。
一方の里奈も、負けてはいなかった。
彼女は鍋に水を張りながら、ポケットから怪しげな小瓶を取り出した。
「ふふっ、これを入れたら、順は私のことしか考えられなくなるはず……」
「おい! 今何入れようとした!?」
俺は慌てて里奈の手を掴んだ。
小瓶のラベルには『マムシエキス配合・超絶精力剤Z』と書かれていた。
「なんでそんなもん持ってんだよ!」
「だ、だってネットで『カレーに入れるとコクが出る(隠語)』って書いてあったから!」
「嘘をつけ! 毒殺する気か!」
さらに、乃愛も負じと何かを取り出す。
「あら、それなら私もスパイスを持ってきたわ」
「お前は何だ!?」
「睡眠導入剤よ」
「犯罪だわ!!」
「ご主人様には今夜、ぐっすり眠っていただいて……その間に私が夜這……いえ、看病をして差し上げるの」
カオスだ。
このカレーは、精力剤と睡眠薬のハイブリッドという、食べたら確実に救急車コースの劇物になろうとしている。
俺はスマホを取り出し、緊急措置をとった。
アプリの『Item Scan(アイテム鑑定)』機能を起動。
鍋の中身をスキャンする。
『判定:危険度S(致死性はありませんが、人格が変わる恐れがあります)』
『対策:中和剤(普通のカレールー)を大量投入し、味覚を麻痺させること』
「田中ァ! カレールー全部持ってこい! 激辛のやつだ!」
俺は戻ってきた田中の手からルーをひったくり、鍋に全投入した。
グツグツと煮える地獄の窯。
こうして出来上がったのは、ドス黒いマグマのような物体だった。
3.ご主人様のための毒味
「「「いただきます」」」
班のメンバーで食卓を囲む。
目の前には、俺たちが錬成したダークマター・カレー。
誰もスプーンを動かそうとしない。生存本能が警鐘を鳴らしているのだ。
「……順、食べてみてよ」
「いや、お前が作ったんだろ」
「ご主人様、どうぞ召し上がれ」
「お前が入れた薬のせいで色が変なんだよ!」
押し付け合いが始まった時、一人の救世主(犠牲者)が現れた。
見回りに来た鉄輪先輩だ。
「おい、お前ら。まだ食べていないのか? 食事を粗末にするのは校則違反だぞ」
先輩はまだ少し幼児退行の影響が残っているのか、口調は厳しいが、その手にはお子様用のスプーンが握られている。
「あ、鉄輪先輩! どうぞ、味見してください!」
俺はすかさず自分の皿を差し出した。
先輩は「ふん、毒味役をさせる気か」と言いつつ、スプーンで一口すくって口に入れた。
パクッ。
……沈黙。
先輩の動きが止まる。
全員が固唾を飲んで見守る中、先輩の顔色が赤から青、そして紫へと変化していく。
「――んぎゃあああああああ!!」
先輩が絶叫し、その場に崩れ落ちた。
激辛ルーと精力剤と睡眠薬の化学反応が、彼女の脳内でビッグバンを起こしたようだ。
「からいぃぃ! でもなんか体が熱いぃぃ! 眠いぃぃ! どっちなのー!?」
錯乱する風紀委員長。
その目から涙が溢れ、彼女はハイハイしながら俺の足にすがりついてきた。
「パパぁ……お口直し……ちゅーして……?」
――全滅だ。
このカレー事件により、鉄輪先輩の幼児化はさらに悪化し、周囲の生徒たちには「鷹井の班のカレーを食べるとラリる」という都市伝説が広まった。
俺たちは結局、売店のカップラーメンをすすることになった。
ズズッ……という麺をすする音が、夜の森に虚しく響く。
「……おいしいわね、ご主人様と同じものを食べられるなんて」
「順の残り汁、もらっていい?」
カップ麺ですら愛の重さをアピールしてくる二人に対し、俺は無言でスープを飲み干した。
4.コテージの夜は長い
食事を終え、入浴も済ませ(もちろん、風呂場への覗きミッションは断固拒否した)、いよいよ就寝時間。
俺たちに割り当てられたコテージに戻る。
1階のリビングには、ソファーとテレビ。その奥に男子用の寝室(和室)。
2階へ続く階段があり、そこが女子の領域だ。
「いい? 絶対に2階に上がってこないでね(フリ)」
「夜這い待ちしてますから(直球)」
女子たちはそれぞれの思惑を秘めて2階へ上がっていった。
俺と田中は、1階の和室に布団を敷いた。
「鷹井……お前、大変そうだな」
「……ああ。田中、お前だけが頼りだ」
「でもさ、ぶっちゃけ羨ましいぜ。あんな美少女たちに囲まれて」
「代わってくれ。全財産やるから」
田中は苦笑いして、すぐに高いびきをかいて寝てしまった。神経が図太い。
俺も疲れ果てていた。今日はもう寝よう。明日に備えてHPを回復させなければ。
電気を消し、布団に潜り込む。
静寂。
虫の声。
……そして、ミシミシという天井からの軋み音。
眠れない。
真上に彼女たちが寝ていると思うと、何かが透過して落ちてきそうな恐怖がある。
その時。
スマホが枕元で震えた。
通知だ。
『ミッション発生:夜の訪問者』
『内容:深夜2時、貴方の布団に誰かが潜り込んできます。それを【誰にも気づかれずに】回避してください』
『報酬:ポイント200P』
『失敗ペナルティ:既成事実の成立』
「……は?」
時計を見る。
現在、深夜1時50分。
あと10分で誰かが来る!?
誰だ? 乃愛か? 里奈か? それともカンナか?
あるいは……三人同時か?
俺は飛び起きた。
逃げなければ。だが、どこへ? 外は真っ暗だ。
俺は部屋の隅にある「押し入れ」に目をつけた。
ベタだが、ここしかない。ドラえもんスタイルでやり過ごすんだ。
俺は音を立てないように布団を抜け出し、枕の下に身代わり用のクッションを詰め込み、押し入れの中に身を隠した。
ふすまを数ミリだけ開けて、様子を伺う。
1時59分。
2時00分。
――ギィィ。
和室の引き戸が、ゆっくりと開いた。
廊下の薄明かりを背に、一つの影が立っていた。
長い髪。白いネグリジェ。
手には、なぜか手錠のようなものが握られている。
影は、俺の(ダミーの)布団に近づいていく。
そして、ささやくような声が聞こえた。
「……見つけた」
その声は、乃愛でも、里奈でも、カンナでもなかった。
聞き覚えのある、しかし、ここにいるはずのない声。
「……お兄ちゃん」
――美咲!?
なぜだ!? お前は家にいるはずだろ!?
GPSか! あの荷物に紛れ込ませたGPSを追って、山を越えてきたのか!?
ブラコン軍曹の行動力、特殊部隊並みかよ!
俺は押し入れの中で、自分の口を手で覆い、絶叫を噛み殺した。
林間学校の夜は、まだ始まったばかりだ。




