第5話 風紀委員長はバブみを感じてオギャりたい
1.鉄の女、陥落
その日の午前中の授業は、地獄絵図だった。
俺の周りの席は、まるで磁石に吸い寄せられた砂鉄のように、女子生徒の視線で埋め尽くされていた。
原因は明白だ。
今朝の校門前での一件。
あの鉄輪先輩が、全校生徒の目の前で「お兄ちゃん」発言をして崩れ落ちた事件は、瞬く間にSNSで拡散され、尾ひれがついて伝説化していた。
『鷹井順、実は凄腕の催眠術師説』
『いや、フェロモン香水を使っているらしい』
『鉄輪先輩は実は鷹井の隠し子(?)』
どれもこれもデタラメだが、結果として俺の『注目度』はカンストしている。
そして何より恐ろしいのは、新たに追加されたパッシブスキル【変態誘引】の効果だ。
昼休み。
俺はいつものように逃亡を図ろうとしたが、教室のドアを開けた瞬間、そこに壁があった。
いや、人だ。
「……あうぅ……お兄ちゃん……」
鉄輪先輩だ。
朝の威厳はどこへやら。眼鏡は少しズレ、制服の第一ボタンは外れ、手にはなぜかおしゃぶり(どこで調達した?)を持っている。
その背後には、心配そうに見守る風紀委員の部下たちがいるが、先輩の異様なオーラに誰も近づけないでいる。
「て、鉄輪先輩? 大丈夫ですか?」
「先輩じゃないもん……カンナだもん……」
上目遣いで、モジモジと体をくねらせる。
身長170センチのモデル体型の美女が、幼児言葉で甘えてくる。
破壊力が凄まじい。ある種の層にはご褒美かもしれないが、俺にとっては恐怖映像だ。
「カンナ、いい子にしてたよ? 悪いことしてないよ? だから……ヨシヨシして?」
彼女は俺の手を取り、自分の頭に乗せた。
髪はサラサラでいい匂いがする。
だが、その瞳孔は開いている。完全にキマっている。
スマホが震える。
『状態異常:幼児退行(レベル3)』
『解説:普段の激務と責任感の反動で、赤ちゃん返りを起こしています。貴方を「母性を許容する絶対的な父性」として認識しています』
『対処法:満足するまで甘えさせるか、ショック療法で正気に戻すか』
ママ!? 父性なのにママ!?
どうしろってんだ。ここで「よしよし」なんてしたら、社会的に抹殺される。
しかし、拒絶すれば「ギャン泣き」して暴れるリスクがある。
「あー、よしよし。カンナちゃんはいい子だねー」
俺は死んだ魚のような目で、先輩の頭を撫でた。
周囲から悲鳴が上がる。
「うわ、鷹井が鉄輪先輩を手懐けてる……」「猛獣使いかよ」「いや、あれは新しいプレイだ」
「んふぅ……♥」
鉄輪先輩は恍惚の表情で目を細め、俺の胸に顔を埋めてきた。
その時、殺気を感じた。
「……ご主人様?」
「……順?」
左右から、乃愛と里奈が現れた。
二人とも、般若のような形相をしている。
「風紀委員長だからって、ご主人様に甘えていい権利なんてないはずよ」
「そうよ! 順の胸は私の定位置なんだから!」
三つ巴どころか、怪獣大戦争だ。
幼児化した先輩、ドMな氷姫、復縁迫る元カノ。
俺の高校生活は、ラブコメというよりパニックホラー映画の様相を呈してきた。
2.林間学校という名の処刑場
なんとか昼休みを乗り切り(最終的に『認識阻害』で三人まとめて購買部のパン争奪戦に向かわせた)、放課後のHR。
担任の教師が、黒板に大きな文字を書いた。
『林間学校のお知らせ』
ざわめく教室。
来週から二泊三日の林間学校があることは知っていた。本来なら「カレー作りだるいな」「キャンプファイヤーとか寒いな」程度のイベントだ。
だが、今の俺にとっては違う。
閉鎖空間。
宿泊行事。
夜の自由時間。
これらすべての要素が、俺に対する「包囲網」を完成させるためのパーツにしか見えない。
逃げ場のない山奥で、パッシブスキル全開の俺が、バグったヒロインたちと過ごす。
死亡フラグしか立っていない。
「鷹井くん!」
先生が説明を終えた瞬間、乃愛が席を立って俺の元へ来た。
「林間学校の班決め、私と一緒よね?」
「えっ、いや、俺は田中の班に……」
「田中くんには辞退してもらったわ(札束で頬を叩くジェスチャーをしながら)。私の班には空きがあるの。決定ね」
拒否権はないらしい。
しかも、その班のメンバーを見ると、相沢里奈の名前もある。
さらには、「監督役」として特別参加する風紀委員長・鉄輪先輩も同じバスに乗るという噂だ。
地獄のバスツアー確定。
「楽しみね、ご主人様。山の中なら……誰にも邪魔されずに、あんなことやこんなことができるわ」
乃愛が耳元で囁く。
その瞳は暗く濁り、口元は歪んだ笑みを浮かべている。
「キャンプファイヤーの伝説、知ってる? 『炎の前で結ばれた二人は永遠に一緒になれる』って。……私、絶対に離さないから」
呪いの儀式かな?
俺は震える手でスマホを取り出し、アプリの「設定」画面を開いた。
何か対策はないか。このままでは山で狩られる。
すると、新着アイテムの通知があった。
『ショップ更新:期間限定アイテム入荷』
『アイテム名:【絶対不可侵バリア(物理)】』
『効果:半径50センチ以内に近づこうとする異性を、見えない壁で弾き飛ばします』
『価格:300P』
『現在の所持ポイント:25P』
足りねえ!!
全然足りない!
ポイントを稼ぐには、「ミッション」をクリアする必要があるらしい。
俺は『ミッション一覧』を確認した。
『ミッション1:ヒロイン1名を更生させる(50P)』
『ミッション2:ヒロイン全員とデートする(100P)』
『ミッション3:女湯を覗く(1000P)』
……選択肢がクソすぎる。
覗きなんてしたら犯罪者だ。デートなんてもってのほか。
となると、「更生」させるしかない。
誰を? 乃愛か? 里奈か? それともカンナか?
一番チョロそうなのは……幼児退行中のカンナ先輩か?
「よし、決めた」
俺は心の中で決意した。
林間学校の間に、鉄輪先輩を正気に戻す。そしてポイントを稼ぎ、バリアを購入して身を守る。
完璧な作戦だ。
3.水着回への助走
その日の夜。
林間学校のしおりを読んでいると、美咲が部屋に入ってきた。
相変わらず「軍曹モード」のままだ。
「兄官殿! 林間学校の荷造り、確認させていただきました! パンツの予備が1枚足りません!」
「余計なお世話だ!」
「現地は山岳地帯です。熊が出る可能性があります。私がスナイパーライフル(エアガン)を持って同行することは許可されますか?」
「されるわけないだろ!」
美咲は残念そうに敬礼を下ろした。
「……ですが、心配です。兄官殿が、あの女狐どもに骨の髄までしゃぶり尽くされるのではないかと」
「言い方!」
「特にあの銀髪の女……要注意です。彼女からは、私と同じ『ヤバイ匂い』がします」
同族嫌悪かよ。
美咲は真剣な顔で、俺に小さなお守りを渡してきた。
「これは?」
「地元の神社で買ってきた、『厄除け』のお守りです。……あと、私の髪の毛を入れておきました」
「捨てていいか?」
「呪いますよ?」
重い。物理的にも精神的にも重い。
だが、美咲の「心配」自体は本物なのだろう。方向性が狂っているだけで。
「ありがとう、美咲。気をつけるよ」
「……はい。ご無事で。お土産は、兄官殿の無垢な笑顔だけで十分です」
キリッと言い残して去っていく妹。
俺はため息をついて、ベッドに倒れ込んだ。
スマホを見る。
『Hypno-App』のアイコンが、暗闇の中で妖しく光っている。
明後日から始まる林間学校。
そこには、川遊び(水着回)の予定も入っている。
そして、肝試し、キャンプファイヤー、夜のテント……。
俺の脳裏に、開発者Aからのメッセージが蘇る。
『愛を避ければ避けるほど、愛は歪んで追いかけてくる』
俺はまだ知らなかった。
林間学校の地には、このアプリに関わる「ある秘密」が隠されていることを。
そして、水着になったヒロインたちが、アプリのバグによってとんでもない能力に目覚めてしまうことを。
俺の青春逃避行は、いよいよ山場(物理)を迎える。




