第47章 バレンタイン前線異常あり、チョコは血と涙とカカオの結晶
1.手芸店は戦場への補給基地
1月下旬。
街中のショーウィンドウが、お正月の紅白からバレンタインのピンク色へと塗り替えられ始めた頃。
俺、鷹井順は、なぜか手芸用品専門店『ユザワヤ』の毛糸売り場にいた。
目的は、家庭科の授業で使うボタン付け用の糸を買うこと。それだけだ。
だが、この時期の手芸店は、女子たちの熱気でサウナのように暑苦しい。
編み棒、フェルト、リボン……そして製菓材料コーナー。
バレンタインの手作りアイテムを求める戦士(女子)たちでごった返している。
「……場違い感がすごい」
俺は肩身の狭い思いで、目的の黒い糸を探していた。
その時、棚の向こうから聞き覚えのある声がした。
「ねえ、どっちのリボンがいいと思う? 順のイメージだと……」
「……青ね。クールだけど、内面は熱い炎(赤)を秘めているから、紫のリボンで縛り上げたいわ」
「不純です! 清潔感のある白がいいと思います。……ラッピングじゃなくて、私の手首に巻く用ですが」
相沢里奈、白樺乃愛、鉄輪カンナ先輩だ。
三人は製菓コーナーのラッピング棚の前で、真剣な議論を交わしている。
手にしているのは、明らかにバレンタイン用の包装材だ。
俺は見つからないように逃げようとした。
バレンタイン。
それは男にとって、天国か地獄かが決まる審判の日。
特に今年のバレンタインは、これまでの経緯を考えると「核弾頭級のチョコ」が投下される予感しかしない。
俺がそっと後ずさりした瞬間、背中のリュックが棚にぶつかった。
ガシャーン!
ビーズのケースが床に散らばる。
「……!」
三人が一斉に振り返った。
目が合った。
「……順?」
「ご主人様?」
「鷹井くん……?」
三人の目が、獲物を見つけた猛獣のように細められた。
彼女たちの手には、それぞれ「ハート型のギフトボックス」「媚薬調合キット(に見えるスパイスセット)」「『彼を虜にするチョコ』のレシピ本」が握られていた。
現行犯だ。
「……偶然だな」
俺は引きつった笑顔で言った。
しかし、彼女たちは逃がしてくれなかった。
「偶然じゃないわ。運命よ。……ねえ順、どの箱が好き?」
里奈が箱を突きつけてくる。
「中身は何が入るか、楽しみにしていてくださいまし。……重い愛(物理的に重金属とか)かもしれませんわよ?」
乃愛が不敵に笑う。
「鷹井くん……チョコの甘さは、カカオ何%が好みですか? 私の気持ちは120%ですが」
先輩が真顔で聞いてくる。
俺はビーズを拾いながら(店員さんに平謝りしながら)、この場を切り抜ける方法を模索した。
アプリの【緊急脱出】機能はクールタイム中だ。
自力で逃げるしかない。
2.家庭科室の秘密特訓
数日後。放課後。
俺は忘れ物を取りに家庭科室の前を通りかかった。
中から、甘い匂いと焦げ臭い匂いが混ざった、独特の香りが漂ってくる。
そして、悲鳴のような声も。
「きゃー! 焦げたー!」
「火力が強すぎますわ! IHヒーターの使い方がわかりません!」
「落ち着いてください! 消火器を!」
中を覗くと、エプロン姿の三人がパニックになっていた。
チョコを湯煎しているはずが、お湯が入って分離したり、電子レンジの中で爆発したり、地獄絵図が広がっている。
どうやら「秘密のチョコ作り特訓」をしているらしい。秘密になっていないが。
見捨てて帰ろうかと思ったが、ボヤ騒ぎになったら俺の責任(なぜかそうなる予感)になりそうだ。
俺はため息をついてドアを開けた。
「……何やってんだ、お前ら」
「あ、順!?」
「ご主人様! 見ないで!」
三人が慌てて失敗作を隠そうとする。
顔もエプロンもチョコまみれだ。ある意味ご褒美だが、今はそれどころではない。
「火を止めろ! チョコに水が入ったらアウトだぞ!」
俺は手際よくコンロを止め、ボウルを回収した。
かつて美咲に叩き込まれた家事スキルが役に立つ。
「……教えてやるよ。テンパリングのやり方」
「えっ、順、できるの?」
「美咲の手伝いでやらされたんだよ」
俺は先生役となって、三人にチョコの扱い方を教えることになった。
皮肉な話だ。自分が食べるためのチョコ作りを手伝わされるなんて。
「温度計を見て。50度になったら冷水につける」
「はい!」
里奈が真剣な顔で温度計を見つめる。
「混ぜる時は空気を含ませないように」
乃愛が慎重にヘラを動かす。
「型に流す時はゆっくり」
先輩が震える手でハート型に流し込む。
一時間後。
なんとか形になったトリュフチョコが完成した。
見た目は不格好だが、味は……
「……美味しい」
味見をした里奈が目を丸くする。
「これなら……ご主人様に出せますわ」
乃愛が満足げに頷く。
「鷹井くんのおかげです……」
先輩が感動している。
三人は、出来上がったチョコを大事そうに箱に詰めた。
そして、俺に向かって言った。
「……ありがとう、順。でも、本番はもっとすごいからね!」
「これは練習用ですわ。……当日は、私の全てを溶かしたような濃厚なものを差し上げます」
「……覚悟していてください」
宣戦布告だ。
俺は自分で自分の首を絞めたような気がした。
このチョコたちが、バレンタイン当日、俺の胃袋と精神を破壊する兵器となるのだ。
3.アプリ機能『バレンタイン予報』
帰り道。
一人になった俺は、スマホのアプリを確認した。
新しい通知が来ている。
『イベント予報:バレンタインデー』
『警戒レベル:災害級』
『予測されるチョコの総重量:5kg以上』
『含有成分予測:愛、執着、媚薬、謎の粉末、毛髪(DNA)』
……怖すぎる。
5kgって何だ。業務用か。
俺は胃薬を買いだめしておくことを決意した。
その夜。
美咲が俺の部屋に入ってきた。
手にはホットココアを持っている。
「……お疲れ様です、兄官殿」
「ああ。……それ、俺に?」
「はい。練習の余り物(カカオ99%の激苦チョコ)で作りました」
美咲がココアを置いていく。
飲んでみると、苦いが温かかった。
「……美味いよ」
俺が言うと、美咲は背中を向けたまま、小さくガッツポーズをしたのが見えた。
バレンタインまであと2週間。
俺の周りで、甘くて苦い包囲網が着々と狭まっていた。




