第4話 妹の夢の中はR-18G(激甘)だった件
1.夢魔は隣の部屋に住んでいる
「……んぅ……お兄ちゃん、そこはダメぇ……」
深夜の静寂を切り裂くような、妹の甘ったるい寝言。
俺、鷹井順は、美咲のベッドの脇で立ち尽くしていた。額からは冷や汗がナイアガラの滝のように流れている。
目の前で悶えているのは、昨日まで俺をゴミのように扱っていた実の妹だ。
普段のジャージ姿とは違い、可愛らしいパジャマが乱れ、肩が露わになっている。頬は林檎のように赤く、呼吸は荒い。
スマホの画面には、警告とも解説ともつかない通知が表示されていた。
『機能発動中:夢共有』
『解説:ユーザーの深層心理にある「理想の恋愛シチュエーション」を、半径5メートル以内の異性の夢に投影しています』
『現在のシナリオ:【禁断の兄妹愛・甘々同棲生活編】』
「ふざけんな! なんで俺の妄想がダダ漏れなんだよ!」
俺が普段、脳内でリリエルちゃんと繰り広げている甘い新婚生活の妄想。
「朝ごはんはパンにする? ご飯にする? それとも……わ・た・し?」というアレだ。
それが、よりによって妹の脳内で再生され、しかも相手役が俺に置換されているらしい。
「と、とにかく止めないと……!」
俺はスマホを操作し、『夢共有』の解除ボタンを探した。
しかし、画面には『同期中につき強制終了不可』の文字。
さらに悪いことに、美咲がガバッと起き上がった。
目は閉じている。夢遊病のような状態だ。
だが、その手は正確に俺のTシャツの裾を掴んでいた。
「……待って。行かないで」
「み、美咲? 起きてるのか?」
「……朝ごはん……まだ……」
寝言だ。完全に夢の中にいる。
美咲は俺を引き寄せると、そのままベッドに押し倒してきた。
中学二年生とはいえ、運動部の彼女の力は侮れない。不意を突かれた俺は、背中からマットレスに沈んだ。
ドンッ。
俺の上に、美咲が馬乗りになる。
月明かりに照らされたその顔は、慈愛と情欲に満ちていた。
「お兄ちゃん……大好き……ずっと一緒だよ……」
彼女の顔が近づいてくる。
唇が触れるまで、あと数センチ。
これはまずい。倫理的に、生物的に、法的にアウトだ。
俺は必死に顔を逸らしながら、スマホに向かって叫んだ(小声で)。
「おいアプリ! なんとかしろ! このままだと俺が社会的に死ぬ!」
すると、スマホがピカッと光った。
『緊急介入:夢の内容を書き換えますか?』
『YES / NO』
YES! YESだ! 連打だ!
『シナリオ変更:【地獄の軍曹による新兵特訓ブートキャンプ】を実行します』
――は?
2.ブートキャンプ・モーニング
「サー! イエッサー!!」
翌朝。
俺は美咲の怒号で目を覚ました。
リビングに行くと、美咲が制服姿で直立不動の姿勢を取り、テレビのニュースに向かって敬礼していた。
「み、美咲……? お前、大丈夫か?」
俺が恐る恐る声をかけると、美咲はバッと振り返った。
その目はギンギンに冴え渡り、まるで戦場から帰還した兵士のような鋭さを宿していた。
「おはようございます! 兄官殿! 朝食の準備は完了しております!」
「……兄官殿?」
テーブルを見ると、完璧な栄養バランスの和定食が並んでいた。
普段なら「パン齧って行け」と食パンの袋を投げつけてくる妹が、焼き魚まで用意している。
「昨夜の夢で……私は悟りました。兄官殿こそが、我が人生の指導者であり、守るべき司令塔であると!」
「どんな夢見たんだよ……」
どうやら昨夜のシナリオ変更『ブートキャンプ』が効きすぎたらしい。
恋愛感情は消えていないようだが、その方向性が「甘えん坊」から「狂信的な部下」へとシフトしてしまった。
まあ、押し倒されるよりはマシか……?
「兄官殿! 本日の護衛任務、この鷹井美咲、命に代えても遂行します!」
「護衛? いらんいらん。学校行くだけだぞ」
「いえ! 兄官殿の周囲には、昨今、ハエのような害虫どもが群がっていると聞きました。駆除が必要です!」
ギクリとする。
美咲は俺のスマホを取り上げんばかりの勢いで迫ってきた。
こいつ、昨日の乃愛や里奈のことも察知しているのか? 女の勘ってやつか?
「とにかく、俺は一人で行くから! お前は中学校だろ!」
「チッ……了解しました。影から支援します」
舌打ちしやがった。
俺は逃げるように朝食をかき込み、家を飛び出した。
平和な朝は二度と来ないのかもしれない。
3.校門前の三つ巴
学校に着く頃には、俺のHPはすでに黄色ゲージだった。
しかし、本当のボス戦はここからだった。
校門の前。
そこには、異様な人だかりができていた。
男子生徒たちが遠巻きに眺め、女子生徒たちがヒソヒソと噂話をしている。
その中心にいるのは――
「遅いわね、ご主人様。遅刻厳禁と言ったはずよ?」
腕を組み、仁王立ちしている白樺乃愛。
今日はなぜか、制服の上に「風紀委員」の腕章をつけている。いつから風紀委員になったんだ?
「あ、おはよう、白樺さん……」
「白樺さんじゃないでしょ? 『乃愛』って呼んでって言ったのに。……罰として、今日一日、私の靴下をポケットに入れて過ごしてもらうわ」
「どんなプレイだよ!?」
乃愛が俺に詰め寄ろうとした、その時。
「ちょっと! 順に何してんのよ!」
反対側から、相沢里奈が突っ込んできた。
彼女もまた、気合の入ったメイクで武装している。
「順、おはよう! 今日のお弁当、私が作ってきたから! あんな冷凍食品ばっかりの弁当(乃愛のは手作りだが)なんか捨てて、私の食べてよね!」
「あら、誰かと思えば泥棒猫さん。今日も安い香水の匂いをプンプンさせて、発情期ですの?」
「なんですってぇ!?」
校門前で火花を散らす二人。
ギャラリーが増えていく。
「おい見ろよ、修羅場だぞ」「鷹井のやつ、いつの間にあんなハーレムを?」「爆発しろ」という呪詛が聞こえる。
俺は頭を抱えた。
もう逃げられない。教室に行っても地獄、ここにいても地獄。
その時、校舎の方から、低く威厳のある声が響いた。
「――そこまでだ。朝から校門前で騒ぐとは、何事か!」
人混みが割れ、一人の女子生徒が現れた。
長い黒髪をピシッと一つに縛り、眼鏡を光らせた、長身の美女。
胸元には『風紀委員長』のプレート。
鉄輪先輩だ。
この学校で最も規律を重んじ、不純異性交遊を蛇蝎のごとく嫌う、「鉄の女」。
彼女の出現に、生徒たちは静まり返る。
「白樺乃愛、相沢里奈。そして……鷹井順」
鉄輪先輩の鋭い視線が俺を貫く。
「貴様ら、昨日の昼休み、そして放課後のファミレスでの騒動……全て報告を受けている。校内の風紀を乱す不潔な関係、断じて看過できん!」
「ひっ……!」
やばい。目をつけられた。
この人は話が通じないことで有名だ。一度睨まれたら、卒業までネチネチと指導される。
「特に鷹井順。貴様が元凶のようだな。複数の女子をたぶらかし、学園の秩序を破壊する害悪分子め」
「い、いや、誤解です! 俺は被害者で……」
「問答無用! 放課後、生徒指導室に来い。たっぷりと『指導』してやる」
鉄輪先輩はそう言い放つと、持っていた竹刀(なぜ持っている?)で地面を叩いた。
その瞬間。
俺のポケットの中で、スマホがかつてないほど激しく振動した。
こっそりと画面を見る。
『ターゲット補足:鉄輪 カンナ』
『分析結果:抑圧されたストレス大。隠れ願望【被虐・露出・幼児退行】の複合型』
『推奨アクション:彼女の心の鎧を破壊し、真の姿を解放すること』
『オートスキル発動:【精神崩壊ビーム(小)】』
「は?」
俺が止める間もなかった。
スマホから、目に見えない何かが放たれた気がした。
鉄輪先輩の動きが止まる。
彼女の眼鏡が、キラリと光った。
そして、その厳格な表情が、徐々に、徐々に崩れていく。
頬が赤く染まり、瞳が潤み、口元が緩む。
「し、指導……そう、指導よ……」
彼女は竹刀を落とし、自分の体を抱きしめるように身をよじった。
「私を……もっと指導して……めちゃくちゃにして……赤ちゃんみたいに泣かせて……お兄ちゃん……?」
――全校生徒の前で。
鉄の女が、溶けた。
静寂。
そして、爆発的なざわめき。
「えっ、委員長?」「何言ってるの?」「お兄ちゃんって誰?」
乃愛と里奈も呆気に取られている。
俺は空を仰いだ。
終わった。
風紀委員長まで陥落させたとなれば、俺はもう「ハーレム主人公」の汚名を着るどころか、「学園の破壊者」として歴史に名を残すことになるだろう。
そして、新たな通知が届く。
『実績解除:【堅物攻略】』
『報酬:パッシブスキル【変態誘引】レベル1を獲得』
「いらねええええええええ!!」
俺の絶叫は、朝の青空に吸い込まれていった。




