第31章 図書室は沈黙という名のスパイスが効いた密室
1.聖域への逃避行
放課後の喧騒から逃れるように、俺、鷹井順は図書室の重い扉を開けた。
古紙とインクの混じった独特の匂い。静まり返った空気。
ここだ。こここそが俺の聖域。
「……ふぅ」
俺は息を吐き出し、いつもの定位置――一番奥の窓際、歴史書の棚の陰にある一人掛けの机――に向かった。
今日は新刊のラノベを読む予定だ。
誰にも邪魔されず、二次元の世界に没頭する。これ以上の幸せがあるだろうか。
俺は鞄から本を取り出し、ページをめくった。
しかし、その静寂はわずか数分で破られた。
カツ、カツ、カツ。
ヒールの音が静かな図書室に響く。
俺はビクッとして顔を上げた。
棚の隙間から、銀色の髪が揺れるのが見えた。
「……見つけたわ、ご主人様」
白樺乃愛だ。
彼女は音もなく俺の背後に回り込み、耳元で囁いた。
図書室のマナーを守って小声だが、その距離感がおかしい。
「白樺さん……なんでここが?」
「愛の探知機(GPS)よ。それに、貴方が逃げ込む場所なんて、ここかトイレか屋上くらいでしょ?」
行動パターンが読まれている。
乃愛は俺の向かいの席……ではなく、俺の隣にパイプ椅子を持ってきて座った。
肩が触れ合う距離。
「……静かにしてくれよ。ここは図書室だ」
「わかっているわ。だから……こうして『筆談』しましょう?」
乃愛が取り出したのは、小さなメモ帳とペンだった。
彼女はサラサラと何かを書き、俺に見せてきた。
『ご主人様、今日は私が本のページをめくって差し上げますわ』
いらない! 自分でめくるわ!
俺が首を横に振ると、乃愛は不満げに頬を膨らませ、次のページをめくった。
『じゃあ、膝枕で読書はいかが?』
却下だ!
俺は無視して本に視線を戻したが、乃愛の視線が顔に刺さって集中できない。
2.相沢里奈の潜入工作
さらに数分後。
今度は棚の向こうから、ガサゴソという不審な音が聞こえてきた。
誰かが匍匐前進でもしているのか?
「……順、ここだよ」
机の下から、ひょこっと顔を出したのは相沢里奈だった。
彼女は四つん這いの状態で、俺の足元に潜り込んでいたのだ。
「うおっ!? 里奈!?」
「しーっ! 声デカいよ順!」
里奈が人差し指を唇に当ててウインクする。
彼女はそのまま机の下に居座り、俺の太ももに顎を乗せて見上げてきた。
「ここなら図書委員に見つからないでしょ? 秘密基地みたいでドキドキするね」
「ドキドキするのは俺の心臓だよ! 出てこい!」
俺が小声で抗議すると、里奈はニヒヒと笑って、ポケットからポッキーの箱を取り出した。
「順、お腹空いてない? ほら、あーん」
「図書室は飲食禁止だぞ!」
「バレなきゃいいんだよ。ほら、机の下でコッソリ……」
里奈がポッキーを俺の口元に差し出す。
しかし、そのポッキーを持つ手が、俺の膝の内側をくすぐるように触れてくる。
くすぐったい! 変な声が出そうだ!
乃愛が冷ややかな目で机の下を覗き込んだ。
『泥棒猫、そこは私の指定席よ(いつから?)』とメモ帳に書いて見せる。
里奈は舌を出して『早い者勝ちだよーだ』と口パクで返す。
上からは乃愛の視線。下からは里奈のスキンシップ。
俺は読書どころではなくなった。
3.アプリ機能『サイレント・ボイス』
このままでは図書委員に見つかって退場処分になる。
俺はスマホを取り出し、対策を練った。
音を出さずに、二人を大人しくさせる方法はないか。
『環境検知:静寂が必要な場所』
『新機能:【サイレント・ボイス(テレパシー・チャット)】』
『効果:半径5メートル以内の対象者と、脳内で直接会話ができるようになります。声を出さずに意思疎通が可能』
『消費ポイント:10P/分』
これだ!
これなら声を出さずに注意できるし、里奈を机の下から引きずり出せる。
俺は機能をONにし、二人を招待した。
ピロン♪(脳内音)
『チャットルーム「図書室の秘密」が開設されました』
順(俺):『聞こえるか? 二人とも、いい加減にしろ。静かに本を読ませてくれ』
乃愛:『まあ! ご主人様の声が頭の中に直接……! これは魂の共鳴ですわ!』
里奈:『すごーい! 順の声がエコーかかって聞こえる! 愛のテレパシーだね!』
感動するポイントが違う!
順:『里奈、机の下から出ろ。乃愛、近すぎる』
里奈:『やだ! 順の足、あったかいもん。……ねえ、もっと上の方触っていい?』
乃愛:『ご主人様、脳内で会話できるということは……私の妄想も直接送信できるということですわね?』
嫌な予感がする。
乃愛:『(送信されたイメージ映像:ウェディングドレス姿の乃愛が、順に首輪をつけて散歩させている図)』
順:『うわあああ! 変な画像送るな!』
里奈:『じゃあ私からはこれ! (送信された音声:チュッ、チュッというリップ音)』
順:『鼓膜(脳)がくすぐったい! やめろ!』
テレパシー機能は逆効果だった。
声を出さない分、彼女たちの暴走がエスカレートしてしまったのだ。
脳内に直接響く乃愛の甘い囁きと、里奈の吐息。
俺は頭を抱えて机に突っ伏した。
4.風紀委員長の「静寂」の守り方
その時、コツコツと近づく足音がした。
図書委員……ではない。この威圧感は。
「……そこ。何をしているのですか?」
鉄輪カンナ先輩だ。
彼女は腕章をつけ、手には分厚い本を持っている。
俺たちの異様な状況(机の下に里奈、横に乃愛、悶える俺)を見て、眉をひそめた。
「図書室は神聖な学びの場です。不純な行為は慎みなさい」
「せ、先輩! 助けてください!」
俺は脳内チャットを切断し、小声で助けを求めた。
先輩はため息をつき、俺の反対側の席に座った。
「……監視が必要です。私がここで見張っていますから、静かにしていなさい」
先輩が本を開く。
タイトルは……『正しい男女交際の手引き』。
またそんな本を。
しかし、数分後。
先輩の様子がおかしい。
本を読んでいるふりをして、チラチラと俺の方を見ている。
そして、机の下で、先輩の足が俺の足にコツンと当たった。
「……あ、ごめんなさい」
先輩が小声で謝る。
だが、足は離れない。むしろ、俺の足にスリスリと擦り寄せてくる。
ストッキングの感触。
「……先輩?」
「……静かに。監視の一環です。逃げないように……足でロックしているだけです」
先輩の顔が赤い。
アプリの【ムッツリ解放】パッシブが、この静寂な空間で暴発しているらしい。
机の下では里奈が俺の右足をホールドし、先輩が左足をホールドしている。
机の上では乃愛が俺の腕に絡みついている。
俺は四肢を拘束された状態で、ラノベの1ページ目を読み進めることすらできずに固まっていた。
「……ご主人様、顔が赤いですわよ?」
乃愛が脳内チャットで送ってくる。
『ドキドキしているの? 可愛い……』
俺は心の中で叫んだ。
図書室はもう聖域じゃない。ここは「静かなる戦場」だ。
夕方のチャイムが鳴るまで、俺はこの拘束状態から逃れることができなかった。
帰り道、足が痺れて歩けない俺を、三人が甲斐甲斐しく介抱してくれたのが唯一の救い……いや、それもまた新たな羞恥プレイの始まりだったのだが。




