第3話 放課後のファミレスは修羅場の味(ドリンクバー付き)
1.逃げ場のない放課後
放課後のチャイムが鳴った瞬間、俺は陸上部のエースも真っ青の速度でダッシュした。
目的地は校門――ではなく、裏門にある用務員室の脇を抜けた先、フェンスのほころびだ。
「悪いな白樺さん、俺は帰る! 一人で!」
昼休みの「あーん」地獄の後、乃愛は「放課後は私の家に来て? 躾の続きをしたいの」と、頬を染めながら爆弾発言をしていた。
冗談じゃない。そんな場所に行ったら最後、俺の貞操観念だけでなく、人間としての尊厳まで溶かされてしまう。
俺はフェンスの隙間をくぐり抜け、路地裏を走った。
目指すは駅前の繁華街にある、激安ファミレス『ジョイフル・ガーデン』。
あそこなら客層が雑多で紛れやすいし、Wi-Fiもある。何より、お嬢様である白樺乃愛は絶対に来ないような庶民的な店だ。
息を切らして店に入り、ドリンクバーのみを注文して一番奥の席に陣取る。
コーラを流し込み、ようやく人心地ついた。
「……はぁ。生きた心地がしねえ」
俺はスマホを取り出し、アプリのログを確認する。
『認識阻害』の効果は切れているようだが、副作用として『注目度』という謎のパラメータが上昇していた。
『現在の注目度:レベル2(一部の勘のいい異性が貴方に興味を持っています)』
勘のいい異性って誰だよ。ニュータイプかよ。
まあいい。ここで時間を潰して、夜になってからこっそり帰れば、家の前で待ち伏せされているリスクも減るだろう。妹の美咲には「今日は遅くなる」とLINEを送っておいた。
俺はイヤホンをつけ、お気に入りのアニソンを爆音で流しながら、電子書籍でラノベを読み始めた。
これだ。この孤独な没入感。これこそが俺の聖域。
――しかし、その安息はわずか10分で破られた。
ふと視線を感じて顔を上げると、テーブルの向かい側に、誰かが立っていた。
ウェイトレスではない。
制服姿の少女だ。
茶色く染めたセミロングの髪。少し派手なメイク。着崩した制服のカーディガン。
その顔を見て、俺の心臓は一瞬止まり、次に激しく警鐘を鳴らした。
「……順?」
その声。
半年間、夢にまで見て、そして呪い続けた声。
相沢里奈。
俺の幼馴染であり、元カノであり、俺を裏切った張本人。
「……なんの用だ、相沢」
俺は努めて冷静に、イヤホンを外して答えた。声が震えないように腹に力を入れる。
彼女がなぜここに? 偶然か? それとも『注目度』のせいか?
里奈は俺の冷たい態度に少し怯んだようだが、すぐに強気な笑みを浮かべて、許可もなく向かいの席に座った。
「用がないと話しかけちゃダメなの? 久しぶりじゃん。順、元気してた?」
「見ての通りだ。お前に関係ない」
「冷たいなぁ。……ねえ、聞いたよ? 今日の学校でのこと」
ドキリとした。
昼休みの件か? あの認識阻害で誤魔化したはずの?
「なんかさー、白樺さんとイチャイチャしてたって? 噂になってるよ」
里奈の目が笑っていない。
テーブルの下で、彼女の足先が俺の足にコツコツと当たっている。貧乏揺すりだ。
「……ただのクラスメイトだ。誤解だよ」
「ふーん。誤解、ねえ」
里奈はストローをいじりながら、上目遣いで俺を見た。
その瞳には、かつて俺が好きだった頃の面影があり、同時に、俺を捨てた時の残酷な光も混じっている。
「順さ、私と別れてから、なんか変わったよね。前はもっと……なんていうか、私のことだけ見てくれてたのに」
「お前がそれを捨てたんだろうが」
「うっ……」
痛いところを突かれ、里奈が言葉に詰まる。
だが、今日の彼女は引かなかった。むしろ、妙に積極的だ。
彼女はテーブルに身を乗り出し、俺の手を握ろうとしてきた。
「あのね、順。私、反省してるの。あのサッカー部の先輩とはすぐ別れたし……やっぱり、私には順しかいないって気づいたの」
は?
何を言ってるんだコイツは。
都合が良すぎるだろ。俺はリサイクルショップか何かか?
「……復縁なんてお断りだ。俺はもう三次元には期待しない」
「そんなこと言わないでよ! ね、今からカラオケ行かない? 昔みたいにさ!」
里奈の手が俺の腕に触れる。
その瞬間、ポケットの中のスマホが「ブブブッ!」と激しく振動した。
『パッシブスキル発動中:対象【相沢里奈】の執着心を増幅中』
『警告:対象は「逃がした魚は大きかった」状態です。貴方を他の女に取られることを極端に恐れています』
またこれか!
俺の意思に関係なく、勝手に相手の未練をブーストさせてるのか!
「ねえ、行こうよ順! 話聞くだけでいいから!」
「離せ! 俺は帰る!」
「嫌だ! 絶対離さない!」
ファミレスの中で揉み合いになる。周囲の客がチラチラとこちらを見ている。
最悪だ。また公開処刑か。
俺が力ずくで振りほどこうとした、その時だった。
「――あら。随分と楽しそうね」
その場の温度が、一気に5度くらい下がった気がした。
聞き覚えのある、鈴を転がすような、しかし絶対零度を含んだ声。
入り口の方を見ると、そこには場違いなほど優雅な私服(白いワンピースにカーディガン)を纏った、銀髪の美少女が立っていた。
白樺乃愛。
なぜここに!? お嬢様はファミレスなんて来ないんじゃなかったのか!?
「し、白樺さん……?」
「順くんの匂いを辿ってきちゃった♥」
怖い! 警察犬かお前は!
乃愛は優雅な足取りで俺たちのテーブルに近づくと、俺の腕を掴んでいる里奈の手を、無言で見つめた。
そして、ニコリと笑った。
「泥棒猫さん?」
2.元カノvs下僕
空気が凍る。
里奈も負けじと立ち上がり、乃愛を睨みつけた。
「はあ? 泥棒猫って誰のこと? 私は順の幼馴染で、元カノなんですけど!」
「元カノ? ……ああ、順くんを傷つけて捨てたっていう、あの愚かなメス豚のこと?」
「メス……っ!?」
乃愛の毒舌が炸裂する。
普段の彼女なら「ふしだらな方」くらいの表現だろうが、今の彼女は俺への倒錯した忠誠心により、俺に害なす者には容赦がない。狂犬チワワだ。
「ちょっと順! なんでこんな性格悪い女と一緒にいんのよ!」
「性格? フフッ、私は順くんの所有物だから、性格なんて関係ないの。順くんが望むなら、私は悪魔にだってなるわ」
乃愛は恍惚とした表情で言い放ち、俺の反対側の腕をギュッと抱きしめた。
柔らかい感触が当たる。
里奈も負けじと、反対側の腕を強く引っ張る。
「順は私のものよ! 昔からずっと一緒だったんだから!」
「過去の栄光に縋るなんて見苦しいわね。今は私がご主人様の全てを管理してるの」
俺の両腕が左右から引っ張られる。
物理的に痛い。関節が外れる。
「お、おい二人とも落ち着け! ここは店だぞ!」
「順はどっちが大事なの!?」
「ご主人様、命令してください。この女を排除しろと」
究極の二択を迫られる。
どっちも嫌だ。俺は家に帰ってリリエルちゃんの新イベントを走りたいだけなんだ。
その時、俺の脳裏に閃きが走った。
そうだ、アプリだ。
この状況を打破するには、もう一度アプリを使うしかない。
しかし、前回のように失敗すれば、事態はさらに悪化する。里奈までヤンデレ化したら、俺の人生は詰む。
俺はこっそりとスマホを取り出し、画面を見た。
新しいメニューが増えていないか?
『緊急回避モード:対象同士の意識を逸らす』
『消費ポイント:50P(残りポイントギリギリです)』
これだ!
俺は祈るような気持ちでボタンを押した。
ピロン♪
その瞬間、店内の照明が一瞬だけ暗くなり、またすぐに元に戻った。
「……あれ?」
里奈と乃愛が、同時に俺の手を離した。
二人は顔を見合わせ、それから周囲を見渡した。
「私、なんでこんなに怒ってたんだろ……?」
「……お腹が空きましたわ」
効果てきめんだ!
『意識を逸らす』効果により、二人の「俺に対する執着」が一時的に霧散し、生理的欲求(空腹)にすり替わったようだ。
「ねえ白樺さん、ここのポテト美味しいらしいよ」
「ポテト……? 庶民のジャンクフードですの? 興味深いわね」
なんと、二人は急に意気投合してメニューを見始めた。
奇跡だ。
神様、仏様、アプリ開発者様。
俺はこの隙を逃さなかった。
「トイレ行ってくる」と言い残し、席を立つ。二人はメニューに夢中で、俺の方を見向きもしない。
俺はそのままレジへ向かい(自分のドリンク代だけ置いて)、全力で店を飛び出した。
3.新たな通知と予兆
夜道を走り抜け、ようやく自宅の自室に滑り込む。
鍵をかけ、カーテンを閉め、布団を被る。
ここだけが安全地帯だ。
「……はぁ、はぁ。なんとかなったか……」
心臓がまだバクバクしている。
今日は一日で寿命が10年縮んだ気がする。
しかし、あのアプリ。本当に何なんだ?
俺の願いを叶えるどころか、状況をややこしくしているだけのような気もするが、ピンチの時には確実に助けてくれる。
まさに「毒をもって毒を制す」道具だ。
俺は枕元のスマホを手に取った。
画面には、新たな通知が来ていた。
『チュートリアル完了:基本機能の学習を確認しました』
『ユーザーレベルが2に上がりました』
『新機能解放:夢操作』
『ボーナス:アプリ開発者からのメッセージを受信しました』
開発者からのメッセージ?
俺は恐る恐るメールアイコンをタップした。
『To 鷹井 順 様
はじめまして、あるいはご愁傷様。
Hypno-Appの使い心地はいかがですか?
貴方のその「愛を拒絶する心」が、このアプリにとって最高の燃料になっています。
ただし、気をつけて。
愛を避ければ避けるほど、愛は歪んで追いかけてくるものです。
P.S.
貴方の妹さん、なかなか高い素質をお持ちですね。
今夜は「夢」に気をつけて。
From A』
「……は?」
背筋が凍りついた。
妹? 美咲のことか?
「夢に気をつけて」とはどういう意味だ?
その時。
隣の部屋――美咲の部屋から、ガタン! という物音が聞こえた。
さらに、くぐもったような、苦しそうな声が。
「うぅ……お兄、ちゃん……」
嫌な予感がする。
昨日の夜、俺が美咲にかけた「兄に優しくしろ」という暗示。
あれは時間が経てば消えるはずだった。
だが、もし「夢操作」という新機能が、勝手に暴走して美咲の夢に干渉しているとしたら?
俺はスマホを握りしめ、部屋を飛び出した。
美咲の部屋のドアを開ける。
そこには――。
ベッドの上で、汗だくになりながらシーツを握りしめ、うわ言を呟く妹の姿があった。
そして、彼女の枕元には、俺のスマホと同期するように、淡く光る不思議な紋様が浮かび上がっていた。
「……まさか、俺の夢が、美咲に流れ込んでるのか?」
俺が普段見ている、二次元キャラとの甘い妄想夢。
それが美咲の脳内で再生されているとしたら――妹は今、兄との禁断のラブコメ夢を見せられていることになる。
「やめろ! 起きろ美咲!」
俺は美咲の肩を揺さぶった。
しかし、彼女は目を開けない。その代わりに、夢うつつのまま俺の腕を掴み、力強く引き寄せた。
「行かないで……お兄ちゃん……大好き……」
第3のヒロイン、覚醒。
俺の家は、もはや安全地帯ではなくなりつつあった。




