第27章 調理実習は愛妻弁当の予行演習(デスマーチ)
1.屋上の聖域と秋の空
季節は完全に秋めいてきた。
空は高く澄み渡り、心地よい風が校舎の屋上を吹き抜ける。
俺、鷹井順は、昼休みの喧騒から逃れるため、屋上の給水塔の陰に身を潜めていた。
ここは俺だけの聖域。誰にも邪魔されず、コンビニのおにぎりを食べながら、新作の異世界転生ラノベを読む至福の時間だ。
「……ふぅ。平和だ」
おにぎりの包みを開け、一口かじる。鮭マヨネーズの味が広がる。
このまま5限目のチャイムまで、俺は空気になりたい。
ガチャン。
重たい鉄の扉が開く音がした。
ビクッとする。
まさか、見つかったか? 乃愛か? 里奈か? それともカンナ先輩か?
俺は息を殺して様子を伺った。
足音が近づいてくる。一人ではない。複数だ。
「……ここなら誰もいないわね」
「うん。内緒話にぴったりだね」
聞き覚えのある声。
乃愛と里奈だ。
俺を探しに来たわけではないようだ。彼女たちは手すりにもたれかかり、何やら深刻そうな顔で話し始めた。
俺は給水塔の裏で小さくなった。今出ていけば「盗み聞き」の罪に問われるし、何より捕獲される。
「ねえ乃愛。……最近、順のガード固くない?」
「ええ。鉄壁ね。あの『席替え』の包囲網ですら、決定打に欠けているわ」
「やっぱりさ、もっと積極的に攻めないとダメかな? 既成事実とか……」
「焦ってはダメよ。ご主人様は警戒心が強い小動物のようなもの。追い詰めすぎると、自分の殻(二次元)に引きこもってしまうわ」
俺の分析をしないでくれ。当たってるけど。
「でもさー、私、もう我慢できないかも。……次の調理実習、チャンスだと思わない?」
「調理実習? ……ふふっ、なるほど。胃袋を掴む、という古典的な作戦ね」
「それだけじゃないよ。手作り料理の中に……『愛のスパイス(媚薬)』を混ぜちゃえば……」
おい! 里奈! お前いつからそんな危険思想になったんだ!
林間学校のカレー事件(第7章)で懲りてないのか!
俺は恐怖でスマホを握りしめた。
アプリが反応する。
『環境検知:盗み聞き』
『アシスト機能:【超・集音マイク】』
『効果:遠くの話し声をクリアに拾い、さらに「言葉の裏にある具体的な計画」をシミュレーションして表示します』
いらない! 聞きたくない!
だが、スマホの画面には恐ろしいテキストが表示されていく。
『計画A(里奈案):ハンバーグの中に「順の好きなもの(自分)」を混ぜる(比喩ではなく髪の毛とか)』
『計画B(乃愛案):スープに「自白剤」を混入し、公開プロポーズさせる』
犯罪だ! どっちも犯罪だ!
俺は音を立てないように、そっとその場を離れようとした。
バキッ。
足元の小枝を踏んでしまった。
「……誰?」
二人が同時に振り返る。
俺と目が合う。
「あ、順……」
「……聞いていたのね、ご主人様」
二人の目が、スッと細められた。
逃げ場はない。屋上は密室だ。
俺はラノベを盾にして後ずさりした。
「き、聞いてない! 今来たところだ! 鮭マヨの話しか聞いてない!」
「嘘おっしゃい。……でも、好都合だわ」
乃愛が近づいてくる。
「計画がバレたなら、正々堂々と行きましょう。……明日の調理実習、覚悟しておきなさい?」
「美味しいご飯、作ってあげるからね……順のために♥」
宣戦布告だ。
秋の空は高く、俺の寿命は短く感じられた。
2.調理実習は化学実験室
翌日。家庭科室。
メニューはハンバーグとコーンスープ。
俺の班は、当然のように乃愛、里奈、そしてなぜか他クラスのカンナ先輩(交換授業という謎の制度を利用してきた)が集結していた。
「順、玉ねぎのみじん切りお願い!」
「鷹井くん、火加減を見ていてください」
「ご主人様は座っていてくださる? 貴方の手(指)を怪我させるわけにはいかないわ」
過保護だ。俺にも仕事をさせてくれ。
三人は手際よく調理を進めていく。
里奈は家庭的な手つきでひき肉をこねている。
乃愛は優雅に、しかし正確に調味料を計量している。
カンナ先輩は……なぜかビーカーとフラスコを持っている。それ調理器具じゃないですよね?
「よし、こね終わった! 焼くよー!」
里奈がフライパンにタネを落とす。
ジューッといういい音がする。匂いも悪くない。
これなら普通に美味しいハンバーグができるはずだ。
だが、俺は見てしまった。
里奈がこっそりと、ポケットから小さな袋を取り出し、フライパンの中に振りかけているのを。
粉末だ。ピンク色の粉末だ。
「おい里奈! 今何入れた!?」
「え? ……『魔法の粉』だよ☆」
「成分を言え!」
アプリの【成分分析カメラ】でスキャンする。
『判定:マタタビ粉末(猫用)』
「猫用かよ! 俺を猫扱いするな!」
「だって順、最近『にゃん』って言わなくなったし……寂しくて……」
「あれはクエストだったんだよ!」
次に乃愛だ。
彼女はスープの鍋をかき混ぜながら、優雅に小瓶を傾けていた。
透明な液体だ。
「白樺さん、それは?」
「……ただの聖水よ」
「聖水!?」
「教会の神父様に祈祷していただいた水よ。これを飲めば、ご主人様の浮気心(邪念)が浄化されるはずですわ」
除霊スープか! 味が薄まるだろ!
最後にカンナ先輩。
彼女はフラスコの中で緑色の液体を煮沸している。
ドロドロしている。
「先輩、それハンバーグのソースですか?」
「ええ。……栄養バランスを考えて、青汁とプロテインと滋養強壮剤を濃縮還元しました」
「化学兵器だ!」
3.実食という名のロシアンルーレット
「「「できましたー!」」」
テーブルに並べられた料理たち。
見た目は……意外と普通だ。
ハンバーグ(マタタビ入り)、スープ(聖水入り)、ソース(化学兵器)。
これらを組み合わせた定食。
「さあ順、食べて!」
「感想を聞かせてちょうだい」
「体の芯から熱くなるはずです」
三人が期待に満ちた目で見つめてくる。
俺は覚悟を決めた。
アプリの【味覚遮断】機能はないが、【プラシーボ効果(思い込み)】機能ならある。
『機能起動:【脳内変換・激ウマフィルター】』
『効果:どんなゲテモノ料理も、脳内で「最高級フレンチ」の味に変換して知覚させます』
これだ。これなら耐えられる。
俺はハンバーグを一口食べた。
……!
脳内:「美味い! 肉汁が溢れ出す! トリュフの香りが……!」
現実(舌):苦い! 酸っぱい! そして何より、喉がカッとなる!
アプリの変換が追いつかない! 素材の破壊力が強すぎる!
「ぐふっ……!」
「どう? 美味しい?」
「う、美味い……です……(涙目)」
俺が無理やり飲み込むと、三人は歓声を上げた。
「やったー!」「愛が通じたわ!」「健康になりますよ!」
その直後、異変が起きた。
マタタビの効果か、俺の体が勝手に床を転げ回り始めたのだ。
ゴロゴロにゃーん……。
「あ! 順が猫になった!」
「可愛い……! お持ち帰り決定ね!」
「捕獲網を用意します!」
家庭科室の床で悶える俺と、群がるヒロインたち。
先生が「何してるんだお前ら!」と飛んできたが、時すでに遅し。
俺の尊厳は、ハンバーグと共に消化されていった。
4.放課後の保健室
俺は保健室のベッドで目を覚ました。
胃洗浄を受けた後のような疲労感がある。
枕元には、心配そうな顔の三人が座っていた。
「……順、ごめんね。張り切りすぎちゃった」
「ご主人様の胃袋の許容量を計算ミスしましたわ」
「……次はもっと飲みやすい流動食にします」
反省しているようだ(方向性は間違っているが)。
俺は力なく笑った。
「……もういいよ。生きてるし」
窓の外は夕暮れ。
オレンジ色の光が保健室に差し込んでいる。
ふと、里奈が俺の手を握った。
乃愛が反対の手を握る。
カンナ先輩が額に手を当てる。
「熱はないみたい。……よかった」
彼女たちの手は温かかった。
料理は最悪だったが、その温もりだけは嘘じゃない気がした。
……いや、騙されるな俺。これはアプリによる吊り橋効果の余韻だ。
俺はそっと目を閉じた。
明日からは、絶対に購買のパンしか食べないと誓いながら。
スマホの画面には、『ミッション:胃袋の強化』という文字が虚しく輝いていた。




