表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
27/29

第27章 調理実習は愛妻弁当の予行演習(デスマーチ)

1.屋上の聖域と秋の空


 季節は完全に秋めいてきた。

 空は高く澄み渡り、心地よい風が校舎の屋上を吹き抜ける。

 俺、鷹井順は、昼休みの喧騒から逃れるため、屋上の給水塔の陰に身を潜めていた。

 ここは俺だけの聖域サンクチュアリ。誰にも邪魔されず、コンビニのおにぎりを食べながら、新作の異世界転生ラノベを読む至福の時間だ。


「……ふぅ。平和だ」


 おにぎりの包みを開け、一口かじる。鮭マヨネーズの味が広がる。

 このまま5限目のチャイムまで、俺は空気になりたい。


 ガチャン。

 重たい鉄の扉が開く音がした。

 ビクッとする。

 まさか、見つかったか? 乃愛か? 里奈か? それともカンナ先輩か?


 俺は息を殺して様子を伺った。

 足音が近づいてくる。一人ではない。複数だ。


「……ここなら誰もいないわね」

「うん。内緒話にぴったりだね」


 聞き覚えのある声。

 乃愛と里奈だ。

 俺を探しに来たわけではないようだ。彼女たちは手すりにもたれかかり、何やら深刻そうな顔で話し始めた。

 俺は給水塔の裏で小さくなった。今出ていけば「盗み聞き」の罪に問われるし、何より捕獲される。


「ねえ乃愛。……最近、順のガード固くない?」

「ええ。鉄壁ね。あの『席替え』の包囲網ですら、決定打に欠けているわ」

「やっぱりさ、もっと積極的に攻めないとダメかな? 既成事実とか……」

「焦ってはダメよ。ご主人様は警戒心が強い小動物のようなもの。追い詰めすぎると、自分の殻(二次元)に引きこもってしまうわ」


 俺の分析をしないでくれ。当たってるけど。


「でもさー、私、もう我慢できないかも。……次の調理実習、チャンスだと思わない?」

「調理実習? ……ふふっ、なるほど。胃袋を掴む、という古典的な作戦ね」

「それだけじゃないよ。手作り料理の中に……『愛のスパイス(媚薬)』を混ぜちゃえば……」


 おい! 里奈! お前いつからそんな危険思想になったんだ!

 林間学校のカレー事件(第7章)で懲りてないのか!


 俺は恐怖でスマホを握りしめた。

 アプリが反応する。


『環境検知:盗み聞き』

『アシスト機能:【超・集音マイク】』

『効果:遠くの話し声をクリアに拾い、さらに「言葉の裏にある具体的な計画」をシミュレーションして表示します』


 いらない! 聞きたくない!

 だが、スマホの画面には恐ろしいテキストが表示されていく。


『計画A(里奈案):ハンバーグの中に「順の好きなもの(自分)」を混ぜる(比喩ではなく髪の毛とか)』

『計画B(乃愛案):スープに「自白剤」を混入し、公開プロポーズさせる』


 犯罪だ! どっちも犯罪だ!

 俺は音を立てないように、そっとその場を離れようとした。


 バキッ。

 足元の小枝を踏んでしまった。


「……誰?」

 二人が同時に振り返る。

 俺と目が合う。


「あ、順……」

「……聞いていたのね、ご主人様」


 二人の目が、スッと細められた。

 逃げ場はない。屋上は密室だ。

 俺はラノベを盾にして後ずさりした。


「き、聞いてない! 今来たところだ! 鮭マヨの話しか聞いてない!」

「嘘おっしゃい。……でも、好都合だわ」


 乃愛が近づいてくる。


「計画がバレたなら、正々堂々と行きましょう。……明日の調理実習、覚悟しておきなさい?」

「美味しいご飯、作ってあげるからね……順のために♥」


 宣戦布告だ。

 秋の空は高く、俺の寿命は短く感じられた。


2.調理実習は化学実験室


 翌日。家庭科室。

 メニューはハンバーグとコーンスープ。

 俺の班は、当然のように乃愛、里奈、そしてなぜか他クラスのカンナ先輩(交換授業という謎の制度を利用してきた)が集結していた。


「順、玉ねぎのみじん切りお願い!」

「鷹井くん、火加減を見ていてください」

「ご主人様は座っていてくださる? 貴方の手(指)を怪我させるわけにはいかないわ」


 過保護だ。俺にも仕事をさせてくれ。

 三人は手際よく調理を進めていく。

 里奈は家庭的な手つきでひき肉をこねている。

 乃愛は優雅に、しかし正確に調味料を計量している。

 カンナ先輩は……なぜかビーカーとフラスコを持っている。それ調理器具じゃないですよね?


「よし、こね終わった! 焼くよー!」


 里奈がフライパンにタネを落とす。

 ジューッといういい音がする。匂いも悪くない。

 これなら普通に美味しいハンバーグができるはずだ。


 だが、俺は見てしまった。

 里奈がこっそりと、ポケットから小さな袋を取り出し、フライパンの中に振りかけているのを。

 粉末だ。ピンク色の粉末だ。


「おい里奈! 今何入れた!?」

「え? ……『魔法の粉』だよ☆」

「成分を言え!」


 アプリの【成分分析カメラ】でスキャンする。

 『判定:マタタビ粉末(猫用)』


「猫用かよ! 俺を猫扱いするな!」

「だって順、最近『にゃん』って言わなくなったし……寂しくて……」

「あれはクエストだったんだよ!」


 次に乃愛だ。

 彼女はスープの鍋をかき混ぜながら、優雅に小瓶を傾けていた。

 透明な液体だ。


「白樺さん、それは?」

「……ただの聖水よ」

「聖水!?」

「教会の神父様に祈祷していただいた水よ。これを飲めば、ご主人様の浮気心(邪念)が浄化されるはずですわ」


 除霊スープか! 味が薄まるだろ!


 最後にカンナ先輩。

 彼女はフラスコの中で緑色の液体を煮沸している。

 ドロドロしている。


「先輩、それハンバーグのソースですか?」

「ええ。……栄養バランスを考えて、青汁とプロテインと滋養強壮剤を濃縮還元しました」

「化学兵器だ!」


3.実食という名のロシアンルーレット


 「「「できましたー!」」」


 テーブルに並べられた料理たち。

 見た目は……意外と普通だ。

 ハンバーグ(マタタビ入り)、スープ(聖水入り)、ソース(化学兵器)。

 これらを組み合わせた定食。


「さあ順、食べて!」

「感想を聞かせてちょうだい」

「体の芯から熱くなるはずです」


 三人が期待に満ちた目で見つめてくる。

 俺は覚悟を決めた。

 アプリの【味覚遮断】機能はないが、【プラシーボ効果(思い込み)】機能ならある。


『機能起動:【脳内変換・激ウマフィルター】』

『効果:どんなゲテモノ料理も、脳内で「最高級フレンチ」の味に変換して知覚させます』


 これだ。これなら耐えられる。

 俺はハンバーグを一口食べた。


 ……!

 脳内:「美味い! 肉汁が溢れ出す! トリュフの香りが……!」

 現実(舌):苦い! 酸っぱい! そして何より、喉がカッとなる!


 アプリの変換が追いつかない! 素材の破壊力が強すぎる!


「ぐふっ……!」

「どう? 美味しい?」

「う、美味い……です……(涙目)」


 俺が無理やり飲み込むと、三人は歓声を上げた。

 「やったー!」「愛が通じたわ!」「健康になりますよ!」


 その直後、異変が起きた。

 マタタビの効果か、俺の体が勝手に床を転げ回り始めたのだ。

 ゴロゴロにゃーん……。


「あ! 順が猫になった!」

「可愛い……! お持ち帰り決定ね!」

「捕獲網を用意します!」


 家庭科室の床で悶える俺と、群がるヒロインたち。

 先生が「何してるんだお前ら!」と飛んできたが、時すでに遅し。

 俺の尊厳は、ハンバーグと共に消化されていった。


4.放課後の保健室


 俺は保健室のベッドで目を覚ました。

 胃洗浄を受けた後のような疲労感がある。

 枕元には、心配そうな顔の三人が座っていた。


「……順、ごめんね。張り切りすぎちゃった」

「ご主人様の胃袋の許容量を計算ミスしましたわ」

「……次はもっと飲みやすい流動食にします」


 反省しているようだ(方向性は間違っているが)。

 俺は力なく笑った。


「……もういいよ。生きてるし」


 窓の外は夕暮れ。

 オレンジ色の光が保健室に差し込んでいる。

 ふと、里奈が俺の手を握った。

 乃愛が反対の手を握る。

 カンナ先輩が額に手を当てる。


「熱はないみたい。……よかった」


 彼女たちの手は温かかった。

 料理は最悪だったが、その温もりだけは嘘じゃない気がした。

 ……いや、騙されるな俺。これはアプリによる吊り橋効果の余韻だ。


 俺はそっと目を閉じた。

 明日からは、絶対に購買のパンしか食べないと誓いながら。

 スマホの画面には、『ミッション:胃袋の強化クリア』という文字が虚しく輝いていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ